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 古代の生子法術には変女為男法術(生まれる女の子を男の子に変える法術)があった。

 また古代の医家は揺るぎない信念をもっていた。三か月以内の胚子には性別がなく、懐妊後三か月以内に薬を服用し、法術を受ければ、自然に女性の胚子になるところが、男性の胚子に転じると信じていた。

 漢墓出土の『胎産書』に言う、三か月の胚子を「始脂」と呼ぶ。「このとき(始脂の時期)いまだ(性別は)決まっていないが、変えることができる」。後代の医家はこの説を基準とした。

 孫思邈は『徐之才養胎法』を引用して言う、「(身ごもって)三か月を始胎と呼ぶ。血脈が流れず、形が変わり、性質もはっきりせず、分化しはじめたところである。男女にも分かれていないので、三か月以内であれば、薬を服用し、方術によって性を転じ、男の子を生むことができる」。その他の医書にも同様のことが記されている。この誤った説が古代のすべての変女為男法術の理論的な基礎となっている。


 胎児の性別を変えるのはそれほど困難なことではないと、古代の医家はみなしている。彼らは男の生活と密接な関係があるもの、および雄性(男性的なもの)、陽性のものはすべて女を男に変える魔力を持っていると認識していた。


 秦代以前の高禖(こうばい)を祀る儀式では、嬪妃(妾や女官)に弓の束を体に掛けるよう要求した。これは携帯している物品によって性別の決定に影響が与えられた、あるいは胎児の性別をコントロールしようとしたもっとも早い記述である。

 『千金方』などの書には「弓弩(いしゆみ)の弦を取り、深紅の袋に詰め込む。それを婦人の左腕に掛けるといい。あるいは、腰に掛けるといい。満百日でこれを取る」とある。これは秦代以前の古いやり方である。弓弦以外では、大刀と斧が変性霊物(性を変える霊的な力のあるもの)として用いられた。これらは弓矢と同様男性がもっぱら用いるものであり、常用したものだからである。

 『葛氏方』『如意方』とも「ひそかに臥席(横になったり休んだりする床)の下に大刀を置く」。すると(生まれる子供を)女の子から男の子に変えることができる。

 『霊奇方』は言う。「孕んでから」三か月未満であれば、斧を取って婦人の床の下に置く。すると(女の子が)男の子になる。

 孫思邈らは斧を置く方法を紹介するだけでなく、この方法が霊験あらたかであることを証明する有力な傍証を挙げる。

「斧を産婦の床の下に置く。斧の刃は下に向ける。このことは人に知られてはいけない。信じなくても、ニワトリが卵を産むのを待てばいい。巣の下に斧を置けば、生まれてくるひよこはみな雄である」。


 民間がつねに用いる方法は、夫の衣冠衣帯(正装すること)によって性別を決めるというもの。張華は言う。

「婦人が妊娠して三か月未満のとき、夫は衣冠を着け(正装で)、朝早く(陽が地平線に見え始めた頃)井戸の周囲を左回りに三周し、詳(吉祥)の影を水に映す。振り返っても、人に知られてもいけない。かならず男の子が生まれる」。

 宋代の周日用はこれを補足して言う。張華が言及している方法は、女の子を男の子に変えるものであると。もし胎児が女の子であることを知っていて(女の子を男の子に変える)法術を行うのならともかく、胎児が男の子なら、この法術を行うのは無意味である。それゆえ施法の前に胎児の性別を知らなければならない。

「私は決まった方法があると聞く。決まった(懐妊してからの)時間、受胎の日時などから計算し、奇数なら男、偶数なら女である。女の子であることがわかったら、(男の子に変える)法術を行う」。

 周日用の解釈によれば、三か月内の胚子はすでに性別が分かれていることを認識しているかのようだが、実際はそうではない。「男の子にする」「女の子にする」と言っても、男への分化、女への分化はすでに始まっている。

 張華の説とよく似ているが、『枕中方』によれば夫の衣の帯を焼いて灰にし、それを妊婦に食べさせれば女の子を男の子に変える効果があるという。「妊娠して三か月、男の子を求める。夫の衣の帯を三寸ほど取って焼いて灰にする。井華水(早朝最初に汲んだ水)を二升、東南に向いて服用すればたいへんよい(男の子になる)」。


 雄の鶏の羽根、雄の鴨の羽根も、胎児の性別に影響を与えるとして用いられる。

 『如意方』に言う、「カラスの左の羽根二十本を女人の臥席の下に置く。すると男の子が生まれる」。また言う、「雄の鴨の羽根二本を取って婦人の臥床の下に置く。このことは知られてはいけない」。

 『葛氏方』には一風変わった男の子の生み方が記されている。「身ごもって三か月、オンドリの溺(尿)を浴びる」。オンドリの羽根で胎児の性を変えるだけでなく、オンドリ(の尿)を使って沐浴し、同様の威力を得るのである。