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術士によっては男のかぶる帽子の帯、すなわち冠纓を重視する。『玉房秘訣』は言う。
「婦人が懐妊してから三か月未満で、戊子(の日)に男の冠纓を取って燃やし、灰にして、それを酒とともに飲むと、生まれてくる子は富貴で明敏となる。これは秘の中の秘である」。
秦代以前、貴族の子弟は二十歳前後になると加冠取字の冠礼を挙行した。これによって彼らは宗族や社会から合法的な戦士や統治者として認証されたのである。こうして冠と冠纓は男子の尊厳の象徴となった。[加冠は及冠、弱冠ともいう。二十歳になれば字(あざな)をつけることができた。たとえば諸葛亮の字は孔明である]
子路の「君子は死すとも冠を免(ぬ)がず」という故事は、身分の高い男の人にとって冠と冠纓がいかに重要であるかを物語っている。冠纓とは、男性であることを示すということであり、転女為男法術(女の子を男の子に変える法術)である。孫思邈は丹参丸の古医方はまさにこのようなものであり、「富貴で明敏な子を生む」ために用いられる。それは転女為男を一歩進めた結果である。
古代術士は、特定の日時に特定の方式で合陰陽をおこなえば、貴い子を生む効果が得られると考えた。唐代の韓翊(かんよく)が夏暦二月の「乙酉日の日中に、頭を北に向け合陰陽をすると、貴い子が得られた」のはその一例である。
伝統的な巫術の考え方からすると、産婦および嬰児と胞衣の間には永久につづく感応関係があった。胞衣の埋蔵方式は子供に大きな影響を与えた。それゆえ胞衣をどのように埋蔵するかが重要になった。これと関連した巫術行為には、胞衣埋蔵の禁忌があり、また埋蔵によって子供の吉祥に満ちた運命が確定する。
後者の法術と預致胎児富貴の法術(胎児に富貴をもたらす法術)はすべておなじというわけではない。それは子供が生まれたあとにおこなわれる。胞衣の埋蔵は分娩のあとにおこなわれるので、このうちの一つについて述べよう。
漢墓から出土した『雑療方』に「禹の胞衣埋蔵法」が詳しく述べられている。また選ばれた埋蔵法である「禹蔵図」が付せられている。この法術の大意は、胞衣の埋蔵は「小時」と「大時」を避け、「死位」にない数字より大きな吉日を探し出さなければならない、ということである。[一日は24の小時、12の時辰(大時)に分けられる]
分娩のあと、すぐに流水、あるいは清潔な井戸水を使って胞衣を何度も洗い、そのあとへその緒も繰り返し洗い、水を完全に切る。きれいな古い小盆に胞衣を入れ、別の小盆で虫が入らないようにきっちりと蓋をする。最後にきれいな、朝日が当たる、日当たりのいい場所に小盆を埋める。この処理の仕方のように、聡明で智慧があり、肌の色もよく、病が少ない嬰児が生まれるだろう。
のちに術士は胞衣埋蔵法を改良して、器の中に古銭などを入れるようになった。
『産経』に言う、胞衣を埋蔵しようとするなら、まず清水でよく洗い、良質の深紅の絹織物できれいな胞衣を包む。新しい甕の底に「子貢銭」を5枚入れる。文字の面は上にする。そして包んだ胞衣を入れる。新しい瓦の蓋をして、泥土を塗って密封する。[埋葬の場合銭を入れるのは彼岸に行くための船賃だが、埋蔵する胞衣を入れた甕に入れる場合、子が立身出世することを願うのだろう。貢には出世の意味がある。商売がうまく、政治的才能にもたけた孔子の弟子子貢にかけたかどうかはわからない]
そのあと埋胞図をよく見て、吉日と方位を選定し、男性が土を掘って胞衣を埋める。坑(あな)の深さは三尺二寸がよい。土で埋めたあと堅くなるまでよく搗く。
「この法に従えば、子供は長生きし、美しく、才能があり、善良で、知恵があり、富貴な者になるだろう」。
『産経』は筆やニワトリの雛(ひな)を埋め、また土偶を埋めながら子供の父は祷詞を口ずさんだと記す。これは伝統的な埋胞法である。筆をいっしょに埋めるのは子供に文才を持ってほしいからである。なぜ雛と土偶を埋めるのかははっきりしない。しかし施術者にはそれぞれの解釈があるはずである。