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『雑五行書』中の梓・楸(し・しゅう)の種を植えることによって「子孫に孝行を求め、口舌(いさかい)をなくす」という話は、あきらかに、孝行と消口舌(いさかいをなくすこと)が密接に関連した行為であることを反映している。術士は致孝術と同時に多くの厭鎮口舌法(いさかいを収める法術)を創案している。
漢墓から出土した『雑禁方』には「姑婦(嫁と姑)よく戦い、戸に五尺四方(の泥を)塗る」という一節がある。門の上に五尺四方の泥土を塗り、婦姑の争いを取り除く。閫(こん)、すなわち女性の部屋でいさかいの禍が発生し、家族全体の問題になったとき、不鎮宅、すなわち家の禍を鎮めることができないとき、古代において、消口舌法術のために、鎮宅霊物や鎮宅霊府を使用したである。
『雑五行書』に言う。「婦姑(嫁姑)の言い争いには、重さ60斤の石を取り、門外に埋める。たちまちやむ」。これは黄石鎮宅法術が完成前に変化したものである。
『太上秘法鎮宅霊符』に四道と厭鎮口舌に関係のある符が列挙されているが、その四道符が用途別に示されている。すなわち、つぎのとおり。
「厭盗賊口舌無瑞之鬼」
「厭除口舌悪事侵害」
「厭除口舌疾病之災」
「厭百怪口舌之鬼」
まさに厭鎮口舌と鎮鬼魅、除疾病、厭百怪を並べると、符を作った者が口舌のことを重視していたことがわかる。
古代民間に流布していたのは、より簡単な消除口舌符である。唐宋の頃の書『陳氏手記』につぎのように記されている。当時の習慣で端午節に「赤口」の二文字を家の壁に貼った。この「口」字の真ん中に竹釘を打った。これによって口舌の災いを断除できると考えられた。
閩(びん)地方(福建地方)に、端午節がやって来るたびに二枚の紙符を作る習俗があった。一枚には「官符上天」、もう一枚には「口舌入地」と書かれ、壁間にさかさまに貼られた。
いわゆる「顛倒(てんとう)貼于壁間」とは、「官符上天」をそのまま、「口舌入地」をさかさまに貼ることを指す。そのまま貼れば字は上に向かい、官符上天を象徴する。さかさまに貼れば字は下に向かい、口舌入地を代表する。
この二枚の符で一節の言葉になっている。すなわち官符は上天(昇天)したあと、神力を借りて、「非打(ののしり)」を地中に埋めるという意味である。
口舌は「赤口白舌」ともいう。意味はおなじ。言い争いのことである。ただ感情的色彩は強くなり、おとしめる度合いが増す。
南宋時代、端午節になると、都臨安のすべての正門に「赤口白舌」と書かれた書付が掛けられた。そのさまはなんと壮観だったろう。
呉自牧『夢梁録』巻三によると、端午の日、杭州の人は艾草(よもぎ)やその他の草を用いて張天師像を作り、門の横木に掛けた。
役人の家ではこの日の正午に、朱砂で書付に「五月五日天中節、赤口白舌尽消滅」と書いた。
周密『武林旧事』は言う、杭州の人は端午の日、「青羅(青い衣)で赤口白舌の書付を作り、艾人(よもぎの人形)とともに門の横木に掛け、厄払い(消災除病)とした」。
赤口白舌の書付の文字は通常の字体で書かれた。この点は上述の厭鎮口舌と異なっている。ただ巫術的意味合いを含む点では違いはない。