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 漢代の術士が唱えた致冨術(富を得る法術)のひとつに、青蚨環銭法がある。古代ではつねに銭を青蚨(せいふ)と呼んだが、これが由来である。

 『淮南万畢術』に言う、「青蚨とは戻ってくる銭のことである」。

 『説文解字』は言う、「青蚨、水の虫、銭を戻す」。

 青蚨の習性と青蚨の使用法に関して晋の干宝は詳細に説明している。「南方に虫あり。名を□(□は虫偏に禹)、またの名を□蠋(□は虫偏に則)、あるいは青蚨という。形はセミに似るが、やや大きい。食べると辛みがあっておいしい。

草の葉に蚕ほどの大きさの子(虫)が生まれる。その子を取ると、母親はどこにいようと飛来する。そこでひそかに子を取っても、母親はかならず気づく。母親の血を八十一枚の銅銭に塗り、子の血を八十一枚の銅銭に塗ると、市で物を買うとき、先に母の銅銭を用いても、あるいは子の銅銭を用いても、皆飛んで戻ってくる。この循環に終わりはない。ゆえに『淮南子術』はこれを還銭とし、青蚨と名づけた。

 ほかの一部の古籍は、青蚨のまたの名を魚伯、蒲虻というと言及している。青蚨の血を銅銭に塗り、小銭を甕の中に投げ入れるか、頭巾に包んで、東に延びる陰になっている壁の下に埋める。三日後にそれを取り出して血を塗る。

 『本草綱目』には青蚨図が付いているが[別表]、陳蔵器によればこの虫は「南海」に生まれている。術士の認識では青蚨の母虫と子虫の間には超常的な感応力がある。子虫が捉えられたら、どんなに遠く離れていても、正確に子虫の近くまで飛んでいく。

 ここまでの認識で終わっていればよかった(段成式がそうである)。後の人が異議を唱えることもなかったろう。しかし術士は青蚨の習性の描写に満足がいかず、青蚨の特異な能力を利用して、少しの投資から大きな利益を得ようとした。

彼らは青蚨から青蚨の血を考え出し、また青蚨の血を銅銭に塗り込むと、互いに引き合うと考えた。また母子81枚ずつの銅銭に血を塗るという規定を決めた。そして血を塗るまえに、三日間銅貨を埋めるよう要求した。彼らは青蚨銭が財物を移すことのできる飛蠱に見える霊物であるとみなした。いわば博物学の知識が変じて巫術となったのである。