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霊土を用いて冨がもたらされる方法は、漢代にはあった。『淮南万畢術』は言及する。「二月上壬の日、道の土を取り、井華水と混ぜ、その泥を蚕小屋の四つの牖(よう)すなわち格子窓に塗るのは、名を菀窳(えんわ)という蚕神に適している(蚕神を喜ばせて生糸を大量に生産する)」。
『如意方』に記された宜蚕法術もこれと大同小異である。ただ四牖が四角(よすみ)に変わっただけである。二月第一壬の日、道の土と井華水を混ぜ、その泥を蚕房の四角、あるいは四面の窓に塗る。蚕神にとっては大いに利益がある。というのも生糸がたきさん生産されるのである。
この種の宜蚕法術の影響はとても大きく、霊土を倉に塗る、あるいはかまどに塗るといった致冨法術はこれから派生したと考えられる。
後世の富を求める人が重視した霊土は、裕福な人の田んぼや屋敷の土だった。彼らはこの種の土によって裕福な人の財運が自分の家にやってくると信じていた。
『枕中方』は言う。「立春の日に富裕な家の田んぼの土を取りかまどに塗る。人を富裕にすることができる」。清代に至ると、一部の農学家はなおもこの法術を伝授していた。
張宗法の『三農紀』巻二十一は紹介する。「除夜の日に富裕な人の田んぼの土泥をかまどに塗る。招財もおこなわれる。七月の丑の日、富裕な人の家の庭の土を取ってかまどに塗る。人に知られてはいけない。こうすれば富が得られる」。
土を取る日時に変化があるほか、基本的精神や伝統的な法術の部分は完全におなじである。冨をもたらす霊物である土は春牛の土である。張宗法が言う「春、牛角上の土を戸の上に置く。家族に吉をもたらす。蚕もよく生産される」はその一例である。
富をもたらす霊物は多く、用いる方式も「埋める」「塗る」だけに限らない。たとえば「ブタの耳を掛ける」なんていうのもある。夏暦(陰暦)十二月、「ブタの耳を堂の梁の上に吊るす。すると人は富む(お金持ち位なる)」。
牛馬を呼んで、粟豆を撒く者がいる。「元旦の日が昇る頃、門前で牛馬やその他の家畜を呼んで来させると、粟豆を灰の中に置き、これを家の中に撒く。そして牛馬を招くように言う」。
牛馬の骨を焼く者がいる。「牛馬の骨を焼けば、大貴である(大いなる富が得られる)」。
食器に画をえがく者がいる。除夜の日の夜、石灰を用いて打穀場、道路、居室内で豊作を祈願する。これらの方術に共通する特長は象徴に祈願する手法である。
致冨法術はとくに日時の威力を重視する。『枕中方』に言う、「老子いわく、つねに戊子の日に馬を買う。丑の日にこれに乗る。代々馬が絶えることはない」。
『霊奇方』は戊子の日にひそかに地券を買って埋めることを要求した。また前述のように、戊子の日に「合陰陽」することで子を求める法術をおこなうことを要求した。こうしたことから術士は、戊子の日におこなうことに尋常ならざる意義があると考えていたことがわかる。