チョギャム・トゥルンパのこと
『ギンズバーグ伝記』より抜粋 バリー・マイルス 宮本神酒男訳
アレン・ギンズバーグはニューヨークで詩人W・S・マーウィンと会った。これで前年の秋、トゥルンパのヴァジュラヤーナ・セミナーで何が起きたのか、直接当事者から話を聞くことができた。この事件は仏教界、詩壇の両方でたいへんな騒ぎを引き起こしていたのである。
トゥルンパが毎年オーガナイズしている3か月集中セミナーで、それは起きた。アレンも1973年の第1回のセミナーに参加し、その後何度かピーター・オルロフスキー(ゲイの恋人)とともに参加している。1975年、セミナーはコロラド州スノウマスのエルドラド・スカイ・ロッジで開かれた。これはヴァジュラダートゥ(瞑想センター。現在の名称はシャンバラ・インターナショナル)が9月はじめから感謝祭まで担当していたもので、参加費用は550ドルだった。
マーウィンはダンテについてのレクチャーをおこない、ナーローパ学院で詩を朗読し、デイナ・ナオンとともにそこで夏を過ごしていた。彼はトゥルンパに、自分たちがセミナーに参加できるかどうか聞いてみた。最初トゥルンパは彼の要望を拒絶した。結局4分の1だけ受け入れられ、登録は完了した。通常の要望は、申請者があらかじめダトゥン(30日間の坐行)をすまし、ボルダーかバーモントでセミナー前のさまざまなトレーニング・コースを終えてから出されるのが望ましかった。
マーウィンとナオンはふたりとも、坐禅には親しんでいたものの、トゥルンパの生徒ではなく、リトリートの経験もなかった。マーウィンはかなり強く参加を希望し、トゥルンパも最終的には同意した。彼らはセミナーに来るまでは口外しないようにと釘を刺された。というのも彼らは優先権を与えられ、順番待ちを免除されていたからである。
カリキュラムは厳格だった。ほぼ1か月ずつが、ヒナヤーナ(小乗)、マハーヤーナ(大乗)、ヴァジュラヤーナ(金剛乗)の勉強にあてがわれ、それぞれが2週間のレクチャー、試験、2週間の集中的坐行を含んでいた。シュライン・ルームの扉に毎日6回の坐行セッションについて貼りだされたが、各自何時間坐ったかということまで記されていた。マーウィンのこれまでの環境は知的レベルが高く、禁欲的で、黙想的で、おだやかだったので、平和主義者として憤怒神に捧げる歌に参加することはどうしてもできなかった。(ギンズバーグは憤怒神を、情欲、攻撃性、無知の三毒にたいする洞察を代表するものと考えた。仏教用語では貪、瞋、痴)
たとえば「エゴの熱い血を楽しんで飲みなさい」とか「夜になったら教えの曲解者の大動脈を切りなさい」などといったフレーズがチベット語から英語に訳されたチャントに含まれていると、マーウィンは紙を裏返し、その部分が終わるまで口を閉じていた。「血に飢えた」などという言葉を見つけると、マーウィンと妻ナオンはますますトゥルンパに帰依しようという気持ちが萎えていった。そして私的な面談で、彼らはそのことをトゥルンパに伝えた。彼らはグルに全面降伏する気などさらさらなかった。チベット仏教の外側の姿に彼らはまったく心が休まらなかったのだ。
坐行の期間のまっただなかの10月31日、それは起きた。トゥルンパはヴァジュラヤーナ・ティーチングのはじめを祝ってハロウィン・パーティをおこなうと宣言した。パーティでマーウィンとデイナは1時間かそこら、他の生徒たちとともに踊ったと記録されている。
トゥルンパが酔っぱらってそこに到着したのは夜10時半だった。いつも彼が席に着くときにサポートする参加者がこのときも支えていた。7年前、自動車事故に遭って以来、トゥルンパの身体の左側には麻痺が残っていたのである。シュライン・ルームに入るとき、倒れそうな彼を二度、彼らはなんとか抱き起した。
その夜早くに、トゥルンパは年長の女性の生徒に、ハロウィンの「仮面はずし」として参加者に服を脱いでもらうつもりだと話していた。彼女は最初に服を脱ぐはずだった。彼女はだんだんと脱いでいるつもりだったが、あとで語った話では、「ポイ捨て」されたという。それからトゥルンパ自身が脱ぎ始めた。そして彼が裸になると、ふたりの生徒(ひとりはすでに脱いでいた)は肩の上にトゥルンパを担ぎ、部屋のなかをパレードしはじめた。それからトゥルンパは服を着ると、参加者ひとりひとりを指しながら、彼の護衛に「やつらをたたき切れ」と命じて服を脱がせた。
トゥルンパはヴァジュラヤーナのレクチャーをおこなうと宣言した。そして彼が到着する前にマーウィンとデイナはシュライン・ルームを離れていたことを聞くと、彼はウィリアム・マッキーヴァーという生徒をやってふたりを連れ戻そうとした。彼らは服を着てダイニング・ルームの扉のところまでやってきた。しかしパーティの雰囲気が是認しがたかったので、夜のうちにアスペンに車で戻ることに決めた。彼らが身づくろいをしているときに、トゥルンパからの指令を受けたマッキーヴァーがやってきて、パーティへの参加をうながした。彼らはしかし、すでに一度顔を出したので、もう一度行くことはないと答えた。
マーウィンによると、彼は廊下の端に人の頭がたくさんあってこちらをじろじろ見ていたという。そこで用心のために部屋のドアに鍵をかけた。マッキーヴァーがふたたびマーウィンらのもとに戻ってきたときは、彼らをパーティに連れてくるようにというトゥルンパの指令を受けていた。マーウィンは何度も断りを述べて、外から人が入ってこないようにとバルコニーのガラスの大きなドアもロックした。
いまやホールには人だかりができて脅威になりつつあった。電話線は切られ、マスターキーをもっただれかが部屋に入ろうとした。群衆がドアを蹴り破ろうとしはじめたので、マーウィンは整理ダンスをドアのほうに押した。彼が部屋の電気を消すと、バルコニーの群衆からはいっそう中が見えにくくなった。
するとだれかが得意げに、トゥルンパは最後通牒を出したと宣言した。いかなる犠牲を払ってでもふたりを連れて来い、と命じたというのだ。それを聞いたマーウィンはドアにバリケードを作った。一方トゥルンパは窓を壊すよう指示した。彼の護衛たちはドアと窓両方を同時に襲うことを考えた。彼らがドアを壊し始めると、最初に入ってきた者は傷つくことになるだろうとマーウィンは警告を発した。
ドアが破られると、暗闇のなかでマーウィンはボトルを振り回した。しかし侵入者たちはガラスの破片を踏んでなかに入ってきた。ボトルはだれかに当って割れ、何人かは怪我をした。もう一本ボトルをつかむと、彼はふたたびそれを振り回した。ボトルはまたも粉砕した。そのときの状況をマーウィン自身が記している。
そのときデイナは金切り声で叫んだ。そして大きな砕ける音。マッキーヴァーがバルコニーのガラスのドアをたたき割ったのだ。私は部屋を横切ってガラスのドアの破片をバルコニーのほうに向けて叩き始めた。しかしそうしているうちに、ホールから群衆が部屋の中に押し寄せてきた。デイナは叫んだ。「警察を呼んで! どうしてだれも警察を呼んでくれないの?」と。しかし彼らは笑うだけだった。女たちさえも。トゥルンパはのち、レクチャーのなかで、彼女のことを嘲笑ったと聞く。
マーウィンとデイナは取り囲まれた。デイナは部屋の隅に追いやられたが、マーウィンは割れたボトルをもって群衆を近寄らせなかった。しかし彼は顔から血が噴き出ているのが、友人のロリン・パーマーのであることに気づき、両手を差し出してボトルを彼らに取らせようとした。そのとき護衛の連中が彼にとびかかり、後ろ手におさえつけた。デイナは護衛のひとりにパンチを食らわせて黒アザを作ったが、結局降参した。ホールの前は見物人でごった返していた。デイナはふたたび懇願した。
「どうしてだれも警察を呼ばないの?」
しかし女のひとりは彼女を侮辱し、男はワイングラスを彼女の顔に投げつけた。
トゥルンパは弟子たちに囲まれてフロアの上に坐っていた。マーウィンはつぎのように描写している。
私たちはトゥルンパの前に引きたてられた。彼は私を見上げながらこう言った。
「ひどいトラブルを起こしたんだってね」
そして私の手をつかみ、引き寄せようとした。
「まあ坐って」
(もう片方の手は出血していたのでタオルを巻いていた)
私はフロアの上に坐り、彼と向かい合うことになった。彼は私たちがインビテーションを受けなかったことを問題にした。私はもしそれを受け入れなければならないのなら、それはインビテーションとは呼ばない、と主張した。インビテーションとは、その者に断る権利を賦与するものだ。私たちはまわりをすこし押し分けようとした。しかしだれも私たちに力を加えているわけではなかった。私たちは彼に服従すると約束したわけではないことを思い起こさせた。
「ははん、でも来たいと言ったのはきみじゃないのか」と彼は劇的な調子で言った。「ライオンの口に」
「彼らは大きなコーク・スクリュー・パンチを上達させたみたいだな」と私は言ってやった。「隠れ家の穴からコヨーテを追い出すくらいのね」
コヨーテを一匹捕まえれば、仕事をしやすくなるってわけだ。
この言葉のやりとりのあいだにも、トゥルンパはワイングラスをマーウィンの顔に投げつけた。「これはサケだ」とトゥルンパは彼に言い、それからデイナ・ナオンのほうを向いて言った。
「あんたは東洋人だ。だからこいつより頭がいいだろう。この白人男の奴隷を演じているかもしれないが、われわれは知っているだろう? あんたも私も東洋人だからな。それがどこなのかふたりとも知っているのだ」
彼は話をはじめた。「わが国はずたずたに切り裂かれている。それをやったのは中国共産党だ。もし生きているあいだに見たいものがあるとするなら、それは私の国が戻ってくることだ。東洋人だけがこのことを理解できるだろう」
トゥルンパの弟子のひとりジャック・ナイランドによれば、彼はこの人種差別的な発言をやめようとしなかった。まるで切り刻んでいるかのようだった。デイナはそれにたいし、「あなたはナチよ」と繰り返した。そして「だれか警察を呼んで!」と叫んだ。
それからトゥルンパは彼らにダンスと祝い行事に加わり、服を脱ぐよう頼んだ。彼らは断った。
「どうして?」とトゥルンパは聞いた。「何か秘密があるのか? なぜ脱ぎたくない?」
そしてデイナに向って言った。
「あんたは陰毛を見せるのが恐いのか?」
トゥルンパは、もし脱がないというのなら、脱がされることになると言った。マーウィンはこの状況を書き記している。
彼は護衛たちに仕事をするよう命じた。彼らは私たちを別々に引きずりだした。デイナは泣きわめき始めた。それぞれ何人かが私とデイナを組み押さえた。その場ではデニス・ホワイトとビル・キングだけが既婚者で、小さな子供たちを連れてセミナーにやってきていたが、彼らだけの言葉で止めることはできなかった。トゥルンパはビル・キングの顔にパンチを浴びせ、ののしり、邪魔をするなと言った。護衛たちはビル・キングを外にほうりだした。そこから離れていた護衛のひとりは、外に出て嘔吐したと後日、私たちは聞いた。
私は身体の自由がきくようになると、立ち上がり、トゥルンパに向って突進した。しかし3人の護衛にはばまれ、群衆のなかからタオルを巻いた左手を振り下ろすくらいしかできなかった。パンチはトゥルンパの唇をかすめるのがせいいっぱいだった。もちろん私は引きずられてその場から離されただけのことだった。
護衛に取り押さえられたデイナはマーウィンにしがみつこうとしたが、引き離されてしまった。彼女はトゥルンパに訴えようとしたが、彼は護衛たちにがっちりと守られていた。
「護衛は私を引きずって、フロアに押さえつけた」と彼女はこのできごとについて書き記している。「ウィリアムがすこし離れたところで戦っているのが見えました。私は必死になって友人たちに向って警察を呼ぶよう叫びました。群衆のなかに知っている顔がありました。でもだれも呼んでくれないのです。ほかの人たちが私の手足を押さえているあいだに、リチャード・アセイリーが私の服を脱がせました。トゥルンパは彼の頭を小突いて速くするようにと促しました。私のほかの服は引き裂かれました」
「わかったかい?」とトゥルンパは言った。「そんなに悪くはないだろう?」
マーウィンとデイナは互いにしがみつきながら、裸で立っていた。デイナは嗚咽していた。
翌日、お茶の時間にトゥルンパと話し合いをしたあと、マーウィンとナオンはセミナーに残り、トゥルンパのヴァジュラヤーナのレクチャーに参加することに決めた。つぎの2週間それは予定通りにおこなわれた。彼らは屈辱的な体験について公開はしなかったが、噂とゴシップがすぐに仏教界と詩壇に広まった。多くの仏教徒は、トゥルンパの方法に不安を感じ、マーウィンとナオンが受けた仕打ちに激怒するマーウィンの友人たちにたいして申し訳なく思った。この件はトゥルンパの名声に泥を塗ることになり、チベット仏教にたいしても疑念や敵対心を呼び起こすことになってしまった。中国の革命を支持する者にとっては、チベットに変革が必要であったことの証しとされてしまった。