虎の尾
チョギャム・トゥルンパがアメリカで最初に生活したのは、スコットランドの彼が創立したサムイェ―・リンで出会った4人の生徒たちによって作られた、バーモントの400エーカーの農園だった。彼らは1970年3月に農園に移動し、トゥルンパがやってくる前に準備を進めた。トゥルンパの祝福を受けて、彼らは易経(変化の書)に出てくるエピソードの名にちなんで虎の尾と名付けた。チョギャム・トゥルンパ自身が到着したのは1970年5月だった。
英国で彼とともに学び、ケサン・トゥンマという仏教名をもらったタニア・レオントフがそのときの彼の秘書だった。彼女はアメリカ人で、ニューヨークにたくさん知り合いがいたが、虎の尾に彼を呼んだのは彼女だった。7月、チョギャム・トゥルンパは虎の尾で最初のセミナーを開いた。彼のやりかたは極端なほどマイルドで慎み深かった。チャック・リーフはこのときはじめてトゥルンパと会った。彼がいかにやさしかったか、よく覚えている。彼は恥ずかしがり屋で、これだけの見知らぬ顔が彼に会いに来たことに驚き、喜んだ。
数か月後、20人ほどの永久居住者が虎の尾に住んでいた。1000人近い訪問者がそこにいて、彼らはセミナーに参加し、瞑想の教えを受け、リトリートに行き、ともに共同生活を送った。当時の虎の尾の雰囲気は、ヒッピーのコミュニティと仏教僧院と修行センターが混じったような感じだった。はじめはヒッピーの集まりという空気が支配的だったが。