コロラドのプライベートがない生活 

 バーモントに滞在し、カリフォルニアをツアーを周遊し、アメリカのいくつかの都市を訪ねたあと、1970年秋、チョギャム・トゥルンパはコロラドへ行った。生徒たちが選んだ山の中の小さな家を彼は喜んだ。12月、ボルダー近くのフォー・マイル・キャニオンの別の家に彼は移動した。

 彼はカール・ユーソウを含むコロラド大学の数人の人から、ボルダーに招待されていた。ユーソウはそれについて英国で彼に手紙を書いていた。ほかからもオファーがったが、夫がボルダーを選んだのは、山の風景のポストカードが気に入ったからだったとダイアナ・ムクポは記憶している。それを見て彼はチベットの風景を思い出したのである。

 「リンポチェの家」に人々は出入りし、そこに移り住む人もいた。ある日彼とダイアナは彼らのベッドルームに人が入るとき、ドアをノックすることを求めるべきかどうかで言い争った。ほかに行く場所がない訪問者は家に滞在し、好きな所で、ときにはトゥルンパと妻が寝る部屋の外で寝ることができた。プライベートはほとんどなかったのだ。虎の尾ではいっそうひどく、だれかがトゥルンパのあとをついてトイレに入り、彼の横に坐って質問しつづけるということさえときどきあった。

 1970年12月、彼の学生の何人かが、チョギャム・トゥルンパがアニティヤ・バヴァン(非永久の家)と呼んだボルダーの家に住むことに決めた。彼の最初のセミナーはそこで開かれたが、「リンポチェの家」でプログラムを終了するときに出すノイズがうるさいと近隣からクレームがついた。(この時期にはじまったトークのシリーズは、1971年春には1973年に刊行される『タントラの道 精神的物質主義を断ち切って』の基礎部分になっていた)

 1971年9月、メディテーションと仏教研究のセンター、カルマ・ゾンがパール・ストリート1111番地に創建された。