ロッキー・マウンテン・ダルマ・センター
1971年、農園生活センターを樹立するために広大な土地を購入する決定がなされた。最初の調査がおこなわれたあと、学生たちがチョギャム・トゥルンパに見せた土地はおおいにアピールしたようだった。9月16日に契約がかわされ、その土地はロッキー・マウンテン・ダルマ・センター(RMDC)と命名された。
ボルダーに住むピグミーズという名で知られるコミュニティに住むヒッピー・グループが、リンポチェと会ったすぐあとに弟子になった。彼らは「われらはボーディサットヴァ(菩薩)、われらは東アラパホ郡の住人だ」をモットーに選んだ。(ボーディサットヴァは他者の利益のために自分の命を捧げる悟りを開いた者という意味)
季節外れの早い大雪にもかかわらず、ピグミーズはチョギャム・トゥルンパの招待を受けて9月20日にRMDCに引っ越してきた。彼らの多くはそこに家を建てた。それらの家のうちのひとつに居間があり、それは瞑想ルームとして使われた。瞑想の時間になると彼らはテレビに布を掛けた。生活の糧を得るために、ピグミーズは彼らの土地で見つけた鹿の角からボタンを作った。彼らはまた機織りをした。1971年、少なくとも12人がRMDCに住んでいた。