メディテーション
身の回りに横行する精神の物質主義にたいして、私たちが手に取ることのできる武器は瞑想の実践修行だけである。この実践修行は、私たちが本当はだれなのかを見ることであり、心の状態をありのままに体験することといえる。しかしそのとき特別なゴールを設定すべきではない。瞑想は宗教的実践とはかならずしもいえないのだ。
「瞑想の実践は物事にこうあってほしいというものを基盤とするのではなく、物事があるがままの状態を基盤とするのです」
エゴに、すべてを競争的、攻撃的な仕方で見るという性質が与えられると、それは死ぬまで瞑想をしつづけるが、それでは意味がない。
言い換えるなら、精神の物質主義によって創り出された混乱に代わる唯一のものは、現在の私たち自身の体験に面と向かうことである。チョギャム・トゥルンパはそれを「今であること」と呼んでいる。これを達成するために彼がアドバイスできるのは、規則的に実践しなさい、ということだけだった。彼はたびたび繰り返し言った。
「スピリチュアルな修練の探索に興味がある人ならだれでも、まず坐って瞑想をすべきです」
米国に着いたとき、チョギャム・トゥルンパはだれにたいしても、菜食主義者になれとか、出家しろとか、特別に何かを信仰しろとか言わなかった。ただ瞑想の必要性、私たちのありのままを学ぶことの重要性について述べただけである。