第二の局面:心を開け 

 2年以内にチョギャム・トゥルンパは、虎の尾とボルダーに純粋な実践的仏教徒コミュニティを創設した。彼はまた生徒同士の緊密な関係を確立した。彼は学生たちの評価の仕方を学んだのである。彼らにたいする完璧な信頼は、彼のアプローチのもっとも衝撃的な面のひとつだった。彼は生徒たちの熱気に、気難しさに、個性に順応した。彼は生徒たちに変容させようとはしなかった。そのかわりに彼ら自身が成長し、彼らが真の姿になるよう勇気づけた。あるセミナーのとき――コミュニティのなかで定期的にセミナーを開いていた――彼は参加者たちに言った。

「厳しすぎてたいへんすまない、感情的すぎて申し訳ない、しかしコミュニティのみんなとセックスしたいくらいなのだ。私が何を言おうとしているのか理解できると思うが……。私はあなたたちを完全に信頼しているのだ」

 1972年6月16日、チョギャム・トゥルンパは「第二局面」と銘打ったセミナーをおこなった。彼のティーチングの第一歩は、じっくり吟味することなしに受け入れることを拒否することを基本とした、成長したシニシズムによって刻まれると述べている。

 シニシズムとは、「いつもどおり」と考えられるもの、あるいは教義できまっているもの、また外側から課せられたすべてのもの、たとえば自分たち自身が発展させた癖や習慣的なものの考え方や行動、とらえられてしまっている「思考の流儀」、そういったものの仮面をはぐことだと彼は説明する。

 生徒たちはすべてのことを質問する準備を整えていた。質問をすればすぐに回答が返ってきた。彼らは何も信じなかった。彼らはさまざまなスピリチュアルなアプローチにたいする批判をまとめて提示し、彼らの物質主義や偽善をさらした。

 しかしながらシニシズムが度を越えると、自己を破壊しかねなかった。そこでいまこそ西欧に仏教を植える第二ステージとすべき時、人々のあいだに率直な関係を確立すべき時なのだった。互いに助け合うことが必要とされた。

「私たちは一種のロマンティシズムを発展させなければならない。いままでのシニカルなアプローチとおなじくらい重要なものである」

 本格的な皮肉屋――チョギャム・トゥルンパの生徒はほとんどそうなっていたのだが――には飲み込みがたい決定だった。そして論争があった。しかし彼は多くの場合にその考えを及ぼした。生徒たちは慈悲の心を発展させねばならなかった。シニシズムはエゴが信じているものを破壊する手段だったが、チョギャム・トゥルンパは傲慢さを切り捨てることによって、慈悲の心がいかにエゴを破壊するかを示した。

 「シニシズムと献身」と銘打たれたセミナーで、彼は神秘的体験の新大陸を発見することの重要性を説明した。それはタブーとされてきたテーマだった。

「神秘体験といっても、この場合、アストラル体の旅行や霊体を呼び出す儀礼用具、天井を床に変えることとは関係がない。この場合の神秘体験とは隠されたぬくもりを発見するということだ。広い意味での家のぬくもりを」

 チョギャム・トゥルンパは精神の物質主義の破壊をもたらし、エゴが美のセンスや愛と光のセンスさえも作るためにプレイする皮肉ゲームの核心まで切り込んでいった。

 ティーチングを深化させることで新しい局面が生まれたのである。長い変化のシリーズの最初の章である。年々、チョギャム・トゥルンパは先にティーチングのコアの部分と思われたものにたいし、疑いをもつようになった。そうしてつねに真実の核心へと通じる新しい道を発見していくのだ。