1 11世トゥルンパの発見とトゥルクという概念
チョギャム・トゥルンパは1940年2月、チベット北東部の高言の小さな村に生まれた。村の背後には「天空の柱」と呼ばれる著名な山、パグ・プンスム峰がそびえたち、頂は18000フィート以上の高みに達していた。それは巨大な矢のような形をしていて、頂上付近の永遠に溶けない雪が太陽のもと輝いていた。ここは(チベット人がみな自分の国をそう呼ぶように)雪の国に属する東チベットのカム地方であったが、ラサの中央政権の力が及ばず、ある程度の自由を享受することができていた。
ほかの村人と同様、チョギャム・トゥルンパの両親は遊牧民だった。遊牧民はテントのなかに大家族で住み、ヤクや羊とともにある場所からつぎの場所へと移動した。多くのチベット人はこのように、馬に乗って、あるいはもし貧しければ徒歩であちこち旅をした。
「東チベットの牛小屋に私は生まれた」とチョギャム・トゥルンパは思い起こす。「人々は木を見たことがなかった。木も灌木も草木もない牧草地に彼らは生きていた。一年中彼らは肉や乳製品を食べて生きていた。私は純粋に大地の子、農民の子だった」
気候の厳しさで知られるこの国において、人々と自然のあいだには深い絆があった。人間は環境と強いつながりをもっていると信じているので、チベット人はまわりの世界を変えようとか、干渉しようとは思わなかった。聖なるものとの、あるいはお互いの関係は、西洋におけるそれとはまったく異なるものだった。
生後13か月のとき、チョギャム・トゥルンパはトゥルク、すなわち重要な仏教大師の生まれ変わりとして認められた。この神秘的な言葉を説明するために、まずいくつかの仏教の原則的な概念を説明する必要があるだろう。チベット独特の概念ではあるけれど、トゥルクというシステムは伝統的な仏教の概念であるカルマや転生から派生したものである。これらの言葉は西洋でもしばしば使われるが、それらはおおよそ誤用である。これについてはさらなる解説が必要とされるだろう。
仏教において、それぞれの存在は無数の存在である。しかしながらこれらの人生には、西欧で理解されているような輪廻転生とは違って、もともと現実性が備わっているわけではない。意識の連続性があるとされるが、それによって「魂」や実体が形成されているわけではない。このように、カルマの教義がわれわれに永遠の時間が与え、自分自身を完成することができるわけではない。そうではなく、カルマの教義とは、生と死が連続していることを理解することなのだ。
このように仏教の輪廻転生につい語ると、不正確になりかねない。輪廻転生(reincarnation)よりも再生(rebirth)という言葉のほうが適切かもしれない。ブッダは、他の生き物と同様、苦悩は人類に割り当てられた特性として理解していた。自分の「個」を認めてほしいと願うばかりに、人間は苦悩という軛(くびき)から解放されることはなかった。「私」を捨て、「再生」の本性のまやかしを認識しながら、ようやく解放されるのだった。
トゥルク(転生ラマ)に関して言えば、存在を形作る力はカルマだけで条件づけられるのではなかった。彼らのような存在は基本的に自由だった。というのも彼らは覚醒を得た存在だからである。彼らの「再生」はボーディサットヴァの誓い、すなわち地上に戻って他者のために身を捧げたいというダイレクトな表現である。仏教のどの宗派であろうと、道の行く先は混乱や苦悩からの解放(サムサーラからの離脱)であるが、チベット仏教ではとくに、自分自身の解放を超越して、あなた自身の身をすべての生き物の解放のために捧げることが望まれる。このようにして、トゥルク制度はすべての実践者にとっての熱望の完全な達成である。これらはしばしば4つの偉大なる誓いという形で表現されることがある。
数えきれないほどの存在があろうとも
彼らを救うことを誓います
どれだけ尽きない情熱があろうとも
彼らを変えることを誓います
仏法がどれだけ限りないものであろうと
それを完全に理解することを誓います
ブッダの真実がいかに無限であろうとも
それを達成することを誓います
このような展望があっても、実践者の覚醒したいという希望は果たされない。彼らが第一に願っていることはすべての生きているものに身を捧げることであり、苦悩の原因である基本的な無知の状態から彼らが解放されるのを助けることである。
偉大なる師が死ぬと、法統の長はしばしば、新しい生まれ変わりを探す任務が課せられる。彼は夢や幻視のなかで、その子供をどこで見つけることができるか、正確な指示を受け取ることになる。チョギャム・トゥルンパの場合、トゥルンパ10世のトゥルクはスルマンから歩いて5日ほどの村に生まれていると、カルマパ16世が示した。その家は南側に戸があり、家族は大きな赤い犬を飼っていて、父の名はイェシェ・ダルギェ、母の名はチュン・ツォだという。母は再婚だったので、子供を特定するとき、いくらか混乱があった。彼女がいっしょに暮している男の名は、予言で明らかにされたチョギャム・トゥルンパの本当の父の名とは異なっていた。
チョギャム・トゥルンパは最終的に認定され、習慣にしたがって試験された。子どものトゥルンパの前にいくつかの同じようなものが置かれた。そのうちのひとつだけが先代トゥルンパの持ち物だった。躊躇なく子どもは前代の持ち物を当てた。カルマパの予言は正しかったことがわかった。チョギャム・トゥルンパは13歳になるまで、先代トゥルンパの生涯を記憶していた。
しかしながら、もし転生ラマに認定された子供が十分な可能性を持っていたとしても、この可能性を完全に理解することはできなかったかもしれない。一般の僧より、非常に厳しく、正確な教育を受けなければならなかった。生後十八か月でチョギャム・トゥルンパは村を離れ、僧院で過ごすことになった。5歳のとき、彼の正式な教育がはじまった。