政治と精神性の結合
トゥルンパ11世として子供はスルマン寺院の世俗リーダー、そしてそこで実践される教義の精神的保有者となった。
スルマンとは大師トゥン(トゥルン)・マセ・ロド・リンチェンが創建した寺院群に与えられた名前だった。チベットの東の端に産まれた大師はミニャク国の王の息子だった。しかし王国を捨てた彼はグル探しの旅に出た。いくつもの寺院を訪ねた彼は、最終的に中央チベットのツルプ寺にたどりついた。彼はここでカルマパ5世テシン・シェクパ(1384−1415)と会った。カルマパの指導のもと彼は勉学に励み、たいへん厳しい条件のなかでおよそ10年間、修行生活を送った。
カルマパはじつに偉大なグルだった。彼は皇帝の永楽帝から中国に招待された。そして永楽帝はカルマパの弟子になった。永楽帝はカルマパに対し尊敬の念をいだいていたので、帝師という称号を与えた。そして有名な、のちにカルマパのシンボルとなる黒帽(ブラック・ハット)、あるいは金剛冠を贈った。この金剛冠はカルマパの霊的な達成度を示していた。今日でさえ、特別な儀礼のとき、カルマパは瞑想をしながら一定の時間、黒帽を頭に載せている。彼はこのとき、具現化されたアヴァローキテーシュヴァラ、すなわち慈悲の菩薩になっているという。テシン・シェクパは中国の精神的、文化的な思想に大きな影響を与えた。
カルマパは数年間彼とともにいたトゥン(トゥルン)・マセに、実践修行と研究ができる寺院を建設するよう要請した。トゥン・マセは、東チベットの故郷に戻る前、さまざまな場所を旅して回った。ユーシュン谷に至ったとき、彼はここがその場所だと感じた。少数の弟子たちに教えを説き始める前の6年間、彼は孤独のなかで瞑想修行をつづけた。極度に簡素な葦の小屋に住み、修行をおこなった。
精神的な高みに達すれば達するほど多くの弟子たちが集まってきた。そして寺院が建てられた。