3 11世トゥルンパの認定と特別な訓練 

 チョギャム・トゥルンパは、カルマパ16世によって、トゥルンパ11世として認められ、その座に就くことになった。東チベット全域から集まってきた1万2千人を超える僧侶と俗人がそのセレモニーに参加した。この期間に子供はブッダ(覚醒した者)、ダルマ(道を示すブッダの教え)、サンガ(実践者の共同体)に帰依した。このセレモニーはすべてのブッダの生涯の鍵となる瞬間だった。しかしこのセレモニーの場合、トゥルンパ11世に重要性が与えられるとりわけ荘厳な儀式であった。

 カルマパが子供の髪を切るためにハサミを持って近づいたとき、その意義を象徴するかのように雷鳴がとどろき、雨が降り始め、虹が架かった。これはよい前兆だととらえられた。

 カルマパは子供に新しい名を与えた。すなわちカルマ・テンズィン・ティンレー・クンキャプ・パル・サンポである。カルマ・カギュに帰依する者はみなこの法統に属するしるしとしてカルマという名を受け取った。テンズィン・ティンレー・クンキャプ・パル・サンポは「教義の保持者の普遍的行動、輝かしき善良」を意味している。

 セレモニーのあとチョギャム・トゥルンパは彼を世話する召使たちに囲まれ、母とともに残って生活した。そして5歳になったとき、教育がはじまることになった。アサン・ラマという名の教師が教育係に選ばれた。とても親切でやさしい男で、チョギャム・トゥルンパは彼のことを深く愛し、慕った。彼は少年に読み書きを教え、芸術の世界にも導いた。またこの法統のおもな教師たちの物語も語った。これらの話は若いトゥルンパ・トゥルクの心に深く刻まれた。

 ドゥツィ・テルの生活は心の集中をかき乱すことが多かったので、彼はドルジェ・キュン・ゾンのリトリート(隠棲)センターへと移されることになった。

 7歳のとき、チョギャム・トゥルンパはドゥツィ・テルに戻され、ブッダの教えを含む経典集カンギュルを勉強するための儀礼のお墨付きをもらった。二つの寺院の代表住持たちは、教師のアサン・ラマに満足していなかった。というのも彼では厳しさが足りないと考えたからである。そこで新しい教師にアポ・カルマを指名した。この新しい教師は絵画の勉強をやめ、文章を書く時間を減らし、チョギャム・トゥルンパにもっとがんばって記憶するようハッパをかけた。父親のように慕っていた人と離されてしまったので、彼はひどく悲しく思った。だからアポ・カルマの支配から解放されたとき、彼はとても喜んだのである。のちに教育について語るとき、チョギャム・トゥルンパはいつも一段と感情をこめたものである。

「わたしは幼少の頃から、つまり生後18か月のときから、厳しく育てられました。だから自由に何かをするとか、何かをなくすといったことがわからないのです。泥の中で遊んだり、オモチャで遊んだり、錆びた金属をかんだりする普通の子供のことはわからないのです。普通の子供のことがわからないので、世界はそんなものだと思っていました。わたしは気楽だったのですが、同時に極端にいらついたり、閉所恐怖症になったりしていたのです」

 ドゥツィ・テル寺の住持のラマ・ロルパ・ドルジェもチョギャム・トゥルンパがスルマンで受けた教育において重要な役割を果たしていた。とりわけ彼がトゥルンパに伝えたヴァジュラヨーギーニの実践法はきわめて重要だった。このカギュ派の基本的な実践法は、西欧においてチョギャム・トゥルンパが示した教えのなかでも重要なものだったのである。