真の心からの信愛
師は完全なる開放(openness)の生きた模範であり、師との関係は弟子の道となる。
信愛とは、師と接する方法であり、真にあるがままの現実に自身を開放(open)する方法である。しかし信愛(devotion)は、チベット語のムグ(mos gus)の拙い翻訳である。英語では「宗教的実践に捧げる者のこと」といった意味合いになるが、チベット語では「開放する」という意味になる。伝統的には、雨にずぶぬれになったが、のちに満開になる花になぞらえられる。
ム(mos)は渇望する、欲するという意味がある。それは師が与えるものを受け取る渇望である。グ(gus)はつつましやかであること、傲慢でないことであり、尊敬の意も含む。それゆえムグ(mos
gus)は、燃えるような渇望とつつましやかさの結合であり、尊敬、切望、忠誠、委任の組み合わせである。
師への信愛は、西欧でしばしば考えられるように、盲目的な服従を意味しない。反対に、真の関係は、彼(グル)の面前にいるとき、真の自己でありたいと願っているときのみ可能なのである。
グルは救世主ではない。われわれが成し遂げなければならないことを指し示すだけである。
*訳注:ムグ(mos gus)のム(mos)は、求めること、渇望すること、「信受」、すなわち仏(この場合師)のすくいを信じること、信解(しんげ)、すなわち仏法を信じて教えを会得すること。信受と信解は仏教用語。グ(gus)は心から深く尊敬するという意味。ムグで信頼して心から慕うという意味になる。私は信愛という言葉を用いているが、この語が比較的近いと考えている。