中国の侵攻 

 中国の脅威は日増しに高まり、極点に達しようとしていた。共産党は1949年に中国全土を支配下に置いていた。そしてすぐに彼らはチベットを併合すると宣言した。彼らはチベットを野蛮な宗教に毒されたもともと自分たちの州とみなしていた。それはマルクス主義に変えられるべきだった。

 1950年1月1日、中国は「チベットを外国の帝国主義者から解放し、母国に再編入させる」と宣言した。強大な軍隊が雪の国を侵攻しはじめた。

 はじめ中国人は、帝国主義や封建主義からチベット人を解放してくれる者として歓迎されるのではないかと考えていた。しかし実際はその逆で、チベット人は敵意むき出しだった。結局中国人が導き出した結論は、チベットを解放する唯一の方法は、それを破壊することだった。

 1955年、中国では土地改革(富裕層から土地を没収し、人民に分配するシステム)が導入された。中国の部隊によって武器と財産が没収され、すべての所有物が除かれた。彼らは公開で僧侶や尼僧を拷問にかけたり、処刑したりした。こうしたことから各地、とくにカムとアムドに反乱が発生し、ゲリラ部隊が作られた。それらは暴力的に鎮圧された。なぜなら中国人は圧倒的に数でまさり、武器にも雲泥の差があったからである。チベットの自由な日々は終焉を迎えようとしていた。

 1959年、事態はさらに悪化した。全チベットの精神的リーダーであるダライラマが誘拐されたかもしれないと発表されたとき、緊張はピークに達した。3月28日、周恩来はラジオでチベット政府は崩壊し、中国政府がそれにとってかわったと宣言した。その頃ダライラマは兵士に扮してインドにのがれていた。