インドへの逃亡
チョギャム・トゥルンパはまずラサへ行った。しかしダライラマがすでに亡命したことを知り、自身も難民グループの長として、インドへ向かうことにした。9人の仲間と出発し、しばらくすると自分のグループから300人ほどが加わってきた。彼らを導きながら、ときおり占いを実践した。
旅は長くて危険に満ちていた。それはほぼ過酷な条件下で10か月つづいた。彼らを追跡している中国人たちをかわしながら、しばしば明け方から夕方まで歩き続けた。夜、歩くこともあった。チョギャム・トゥルンパは困難をものともせず、この旅を一種のブッダの故郷への巡礼の旅ととらえ、多くの時間を宗教的実践に費やした。
「われわれの道が困難であるのは運が良かった。過去のどんな巡礼よりも大きなこんなと戦わなければならないからね。でもそれによってふつうの巡礼よりも多くのことを学ぶことができたのだ」
彼は遭遇した困難をいかに精神的な体験に変容させるか考えた。彼は仲間たちに説明した。アッサムとインドの境界地帯に着いたとき、残っていたメンバーはわずか19人だった。チベットからの長い旅の間に、ある者は病気になり、ある者は年老いすぎて激しい歩行についていけず、疲労のあまり死んだ者もいた。また、捕らえられて牢獄に入れられた者もいた。
ついに彼らは山岳地帯を超え、熱帯ゾーンに到達した。そのとき食べるものがなかったので、皮のバッグをゆでたという。彼らはバナナを見かけても、触らなかった。それを見たことがなかったので、食べられるかどうかわからなかったのだ。
チベットから無事インドにたどり着いたチョギャム・トゥルンパは、多くの伝統や習慣と決別することになった。よりよい世界をめざして故郷をあとにした彼は、もう戻ることは二度とないだろうと考えていた。
1960年にインドに着いた若者は傑出した人物だった。それは彼がトゥルクで、尋常でない育ち方をしたというだけではなかった。それは彼が下した決断のせいでもあった。彼が彼自身の人生を変えた教えの勝利の旗を揚げるために、いかなる犠牲をも惜しまなかった。仏教は彼にとって外的なものではなかった。教えはひとつだった。