第3章 瞑想と着座の重要性 

ここにともにいるのはなぜかといえば、純粋に、瞑想の実践をするためです。そして私が地上になぜいるのかといえば、やはり、瞑想の実践をするためなのです。それがなかったなら、活動するための基盤というものはありません。そのような活動するための基盤があるからこそ、とても楽しく感じるのです。

チョギャム・トゥルンパ 

 

 チョギャム・トゥルンパは繰り返し述べている。

「もしあなたが着座しないなら、私の講義は要点を失ってしまいます。それはとてもシンプルなことなのです」

 彼が西欧で仏教をどのように示したかを知るには、瞑想の実践の仕方をどのように示したかについて学ぶ必要がある。

 

1 シンプルな実践に戻る必要性 

 早くも1970年、米国に住み始めた数か月の間に、チョギャム・トゥルンパは一つの点を強調した。それはとても基本的なことである。着座する、そしてすべての教義と信仰を超えて、あなたがだれであるかを学ぶために、あなた自身でいること。すでに述べたように、このような基本的な動作をすることによって、精神性を使って特別なゴールに達しようとか、精神的物質主義を突破しようという誘惑を減じる傾向がある。

 学生たちがチョギャム・トゥルンパに秘密の教えを求めるたびに、きわめてシンプルに坐ることからはじめる必要性を彼らに思い起こさせた。

 ある講義で、ダイアナ・ムクポは彼女とチョギャム・トゥルンパが北アメリカに到着したあとの数日間に起きた、いくつかのできごとについて語っている。彼らはお金を持っていなかったのっで、週25ドルの小さなアパートをともかくも借りた。

 じつはサムイェー・リンでチョギャム・トゥルンパの指導のもとに学んでいた数人の人々が、バーモント州バーネットの近くに、瞑想センターを建てるのによさそうな土地を見つけていた。彼らはすでにそこに住んでいて、チョギャム・トゥルンパとダイアナ・ムクポが到着するのを待っていたのだ。彼らはモントリオールにいたチョギャム・トゥルンパに電話をして、すぐに会いに行きたいと伝えてきた。

 ダイアナ・ムクポはつぎのように回顧している。

「彼らはモントリオールに車でやってきたのです。というのもわたしたちには米国に入国するための入国ビザを持っていませんでしたから。わたしたちはまたモントリオールでサイラス・クレーン氏と会いました。彼は当時70歳くらいで、年齢でいえば、リンポチェの学生のなかでもっとも年をとっていました。彼はとてもすばらしい人でした。彼はモントリオールで、瞑想についてはじめてリンポチェに質問した人物です。彼はたずねました。
『リンポチェ、いくつかアドバイスをください。私は最初、マハームドラーを試してみました。それからマハー・アティをやってみました。(マハー・アティはやりとげるのに数年間を要する高度な実践法です) これらをやったあと、つぎに何をしたらいいのでしょうか』。
 リンポチェは彼に言いました。『これから瞑想の仕方を教えようと思っていたところだ』と」 

 この逸話はチョギャム・トゥルンパの教えの初期のスタイルと内容を反映しているだけでなく、彼がつねに持っていた方向性を示している。彼なりの目立った言い方で、いつもつぎのように説明していた。

「瞑想によって、とても基本的でシンプルなことが表されます。それはどんな文化にとっても退屈なものではないはずです。それはとても基本的な動作について語っているのです。地面に坐り、よい姿勢を保ち、われわれの地点、つまりこの地球上のわれわれのいる場所の感覚を磨くのです」