6 シャマタの単純さから
マハームドラーとマハー・アティの原初の本質へ
瞑想の実践は厳格なものではない。それは生徒の個人的な発展や生活の中身とともに進化する生きたプロセスである。チョギャム・トゥルンパは着座する瞑想を純粋に初歩的な実践ではなく、仏道を求める間ずっと心がける訓練として提示している。
彼はこのことを説明するのに、二つの異なる、しかし補完的なアプローチを採択している。一つは、すでに説明してきたが、同時にその能力を伸ばしている分かちがたいシャマタとヴィパシュヤナー、すなわち注意と気づきを基礎としたもの。
しかしながら、1972年、教師トレーニング・セミナーで、実践はまた異なるステップに分割されうるとも彼は述べている。すなわちシャマタ、ヴィパシュヤナー、マハーヴィパシュヤナー、マハームドラー、マハー・アティである。シャマタに属する正確さの体験、ヴィパシュヤナーに属する全体性の体験が合流し、マハーヴィパシュヤナーに属する空(くう)の体験が生まれている。『物質的精神主義を断ち切って』のなかで彼はつぎのように説明している。
「マハーヴィパシュヤナーの瞑想をしていますと、私たちと対象の間にはとてつもなく大きな空間が広がっています。私たち自身とある場所の間の空間を私たちは意識します。その空間ではどんなことでも起こりうるのです……気づきはとても明確になり、すべてを包み込むことができるようになります」
このことを理解することによって、高度に焦点が合った、明確な注意から、空間の充溢へと導く道が開かれる。そこからマハームドラーに属する覚醒の自発的な体験が起こりうる。