7 ニントゥン、ダトゥン、瞑想インストラクター
1970年代のはじめ、人々がチョギャム・トゥルンパから学びたいと申し出ると、彼は人里離れた山中のリトリート・センターへ彼らを送り、瞑想集中セッションを受けさせた。たとえば1970年秋にはじめてリンポチェに会ったシェラブ・チューズィンことマイケル・H・コーンは3か月のひとりきりのリトリートをすすめられた。シェラブはその案を受け入れ、「虎の尾」に隠棲小屋を建てた。サラ・コールマンは、チョギャム・トゥルンパが彼女に2週間のリトリートへ行かないかと提案したときのことをよく覚えている。彼女はリンポチェにそれが不可能であること、そしてそのような実行できそうにないプロジェクトに参加する心構えができていないことを説明しようとした。しかし彼はすぐに、もし彼から学びたかったなら、一か月のリトリートに行かなければならないと言った。
当時彼と会った若い生徒たちは、彼らの幻想を維持するために仏教を利用する傾向があった。若い芸術家のデーヴィッド・マッカーシーはチョギャム・トゥルンパとの面会を求めたとき、ボストンですでに数か月の瞑想経験があった。多数の椅子に囲まれた長いテーブルが置かれた大きな部屋でふたりの会話があった。部屋の隅のソファにチョギャム・トゥルンパは腰かけていた。彼はデーヴィッド・マッカーシーに隣に坐るようにと言った。若者にはそれがうれしく、自分に注目してくれたことを誇りに思った。彼は自分の瞑想についてと瞑想の間に得た特別なヴィジョンについて話し始めた。しばらくするとチョギャム・トゥルンパは話をさえぎり、椅子のひとつを移動させるように言った。その椅子はほかの椅子と一列に並んでいなかった。マッカーシーは立ち上がり、できるだけテキパキとこの小さな作業を終えようとした。このマスターとともにいるという驚くべき経験をできるだけ長く味わいたかったからである。しかし彼はチョギャム・トゥルンパに見られていると感じたので、少し動作の速度をゆるめた。観察されていると思うと、少しおどおどしてしまっているように感じた。
マッカーシーが戻ってくると、チョギャム・トゥルンパは彼の前にある椅子に坐るようにと言った。少し距離があり、マッカーシーは拒否されたように感じた。彼はがっかりし、特別な深い方法で、すべてがさらけだされてしまっているように感じた。もはや自分はこういうふうに見られたいというイメージの人間ではなかった。演じたいと思っていた自分をつづけるかわりに、たしかなことだけを話そうと考えた。
その瞬間にチョギャム・トゥルンパは彼にたずねた。
「リトリートに行く時間はあるかい?」
「ええ、あります」
「いますぐでも?」
「ええ、いますぐでも」
チョギャム・トゥルンパは彼に「虎の尾」に電話をし、その日のうちに行くようにと言った。
マッカーシーはふと心配になり、なぜすぐにリトリートへ行かなければならないのかと尋ねた。
「ぼくはすぐ死んでしまうような危機に瀕しているのでしょうか?」
チョギャム・トゥルンパは彼に説明した。彼の心は基本的に健康で清らかであるけれど、たくさんのゴミによって覆われている。だからできるだけ早く坐って瞑想をはじめるべきだと言った。透明な本性を認識するために、到着した瞬間にいくつかのヴィジョンをしっかりと見るようにと言われたほかは、わずかばかりの注意事項を伝えただけだった。マッカーシーはそれらがいかにどんよりとしていて、3週間の瞑想の間にそれらがどのように消えていったかよく覚えている。
1973年、チョギャム・トゥルンパは生徒全員に、直接触れる実践体験を積むために、ロッキー山脈ダーマ・センターでダトゥン(zla thun 月班。一か月のグループ瞑想)を受けるようにと言った。はじめ参加者全員がついていけないのではないかと恐れた。しかしひとたびプロジェクトに関わると、彼らはみな喜びを感じた。このような体験は自己発見の、あるいは心を教えの魔術と混じりあうための、ユニークな機会となった。この流れのなかでは、すべての先入観から解き放たれ、だれもが瞑想の実践の深さを味わうことができた。
チョギャム・トゥルンパはまた、ニントゥン(nyin thun 日班)の実践、すなわち一週間あたり一日フルの瞑想を導入した。この期間彼は共同体全体の人々に、集まって実践するよう鼓舞した。
彼の個人的秘書、デーヴィッド・ロームは、彼、すなわちリンポチェが後継者に指名したリージェントや、近しい欧米の弟子たちがニントゥンに参加しなかったとき、烈火のごとく怒ったのを覚えている。彼はニントゥンにだれもが積極的に参加すべきと主張していたのだ。
瞑想実践がなく、自分自身とダイレクトに接することなく、すべての概念から離れたとき、道は曲がってもうひとつのメンタル・ゲームを開始する。規律がなければ、ほかの企画(ほかのセミナーなど)の「いいとこどり」などで雑然としているところに、仏教のティーチングが新奇なものとして加わるだけの話である。
1975年、瞑想のインストラクターのための最初のトレーニング・コースが組織された。それ以前は、なりたい生徒たちがインストラクターになっていたのである。チョギャム・トゥルンパに言わせると、瞑想インストラクターは「厳密な意味で言いますと、インストラクターの役割は理論化したり、分析したりするのではなく、学んだことや理解したことを伝えることなのです」ということになる。彼らはグルではないが、それでも決定的な役割は果たしている。というのも、瞑想は中心で起こる活動の核心部分だからだ。彼らは深みを開発するために瞑想のシンプルさと正確さに戻るよう生徒たちを手助けするのである。
瞑想インストラクターに権威づけしたのは、チョギャム・トゥルンパの重要な功績である。生徒たちは理解したものを他者と共有しなければならなかった。これは格別の経験だった。この経験によって、彼ら自身の経験をティーチングの光に当て、吟味しなければならなかった。それぞれの新しい生徒は瞑想インストラクターをあてがわれ、それから彼らは一般的な個人的関係を築いていった。
この章を結論づけると、瞑想の実践とエゴ(自我)なしの発見と経験に関しては、チョギャム・トゥルンパの功績とすべきだろう。これがなければ、残りのものはメンタルの構築のセットにすぎず、興味深いものではあるが、真の体験を可能にする生きた素材からはかけ離れていた。