チューギャム・トゥルンパとポール・セザンヌ
すでに指摘したように、チューギャム・トゥルンパの著作によって放たれた歴史的なムーブメントは、芸術家の作品のようだった。
ポール・セザンヌは現代の画家のなかでももっとも重要なひとりである。
「世代から世代へ、セザンヌはすべての画家のワークショップの上に影を投げかけた。ゴーギャンからピカソ、マティスからクレー、ボナールからマレーヴィッチ、ブラックからカンディンスキー、マルセル・デュシャンからジャスパー・ジョーンズ、これらすべての画家がセザンヌと親交があった。セザンヌは<われわれすべての父>(ピカソ)、<最高のマスター>(クレー)であるだけでなく、精神的な導師でもあった。また<絵画の神様>(マティス)、<神秘的構造のプロデューサー>(フランツ・マルク)、形態を通じて<絵画に魂を取り戻した>(カンディンスキー)」
セザンヌは美術の歴史を変えたのである。新しい時代がセザンヌとともに始まった。セザンヌ以降、もはやセザンヌ以前のようには描けなくなった。しかしながらセザンヌはけっして自分が新しいものを生み出しているとは主張しなかった。彼が説明するように、彼はたんに「自然なプッサン」を描こうとしただけである。
セザンヌの芸術革命は彼にとって伝統に忠実であるための方法であったことを理解するのは重要なことである。彼はほかでもないニコラス・プッサンが乗り移ったかのように感じただろう。著名な美術史家クレメント・グリーンバーグはこう語る。
「これぞわたしが当世風、アヴァンギャルドと感じる考え方である。マネ、フローベール、ボードレールらは前任者ほどのすぐれた芸術家でありたいと願った。でも彼らは過去を真似することはできなかった。このようにしてアヴァンギャルドは西欧の伝統における救出オペレーションである」
セザンヌはこうして絵画が実際にそうであるように示そうとした。「絵画における真実を知ったのはあなたのおかげです。そのことをあなたに語りたいのです」。彼の現代性は過去の否定ではなかった。真実を求める情熱的な探求心から生まれたのである。
こうした心を持ってセザンヌは自身の体験との関係を確立した。それがセザンヌにとってナチュラルという言葉の意味である。つまり感じたことをダイレクトに描くこと。こうして現代性は生まれたのだ。彼は先達者を称賛している。作家のC・F・ラムスが述べるように、
「彼らに似たいと思っていたかもしれない。しかし似ることはできないのだ。現実的に、自分の中に自分の修練を見出しただけだった」。
セザンヌのようにチューギャム・トゥルンパは長い間アカデミーから批判され、孤立してきた。アカデミーは彼が示した自由の体験を恐れたのである。トゥルンパもセザンヌもともに慰めでなく、真正な方法で真実をもたらそうとした。長年チューギャム・トゥルンパの秘書を務めてきた現代美術の鑑定家デーヴィッド・ロームは語る。
「このふたりは同じ基本的なクオリティと荒々しいパワーを持っていることをあきらかにしました。勇気を持つこと、天才であること、忍耐強くあること。土を金に変容することを決してあきらめはしません」
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