2 翻訳


英語で教える

 チューギャム・トゥルンパが始めた伝統との新しい関係において、翻訳の問題は当然きわめて大きかった。チューギャム・トゥルンパは、弟子たちの母国語でダルマを伝える必要性を主張することで、遠く離れた異国情緒的なものに流行の関心が集まるのを阻止しようとした。

 チューギャム・トゥルンパの仕事の大部分は、重要な教義の教えを弟子たちの言語である英語で直接伝え、大量の経典を翻訳することだった。このように彼は通訳を使わずに西洋の言語でダルマを伝えた最初の人の一人であり、また生徒たちに自分の言語で修行するよう求めた最初の人の一人でもあった。

「アメリカ人の生徒向けのバージョンがあれば、もっとダイナミックで、より個人的な体験になるでしょう。まさにそれが、わたしの生徒の中から瞑想指導者を選任している理由の一つです。彼らは信頼され、実際に成長を遂げてきた人たちです。ダルマは時として、自分の言語、自分のことばで聞けます。自分の方言で聞くと、とても刺激を受けます。ただし、東洋的な旅にでも興味があるというなら話は別です」

 ブッダ自身はおそらくサンスクリット語やパーリ語ではなく、地元の言葉を用いただろう。カースト制への批判は変わることなく、誰にでも教えること、サンスクリットを理解できる僧侶だけが教えられるわけでもないと彼は主張した。この点で、仏教はユダヤ教とは区別される。ユダヤ教では、ヘブライ語は神の存在を含んだ神聖な言語だ。「仏教」の言語は存在しない。

 伝統をある言語から別の言語に移すという膨大な仕事を遂行するために、チューギャム・トゥルンパはサンスクリット語に戻った。なぜなら、サンスクリット語は中国や日本を含むすべての仏教国[仏教が伝播した国と言う意味]における共通語、リンガ・フランカ(国際共通語)だからである。

 仏教を異なる言語に翻訳するのは新しいことではなかった。チベット人自身それをやっていた。7、8世紀頃、インドの仏典すべてをチベット語に翻訳した。もう一度兵後にそれを翻訳する前、チューギャム・トゥルンパはオリジナルのサンスクリット語で読むべきだと考えた。[訳注:多くの仏典が翻訳されたのはこの旧訳の時期ではなく、リンチェン・サンポ(958-1055)の新訳の時代である。彼とアティーシャ(982-1054)がいなければ、チベットに仏教が根付かなかったかもしれない]

 可能な限り、彼はチベット語よりもサンスクリット語の用語を選択することを決めた(たとえば、マインドフルネスの実践では、チューギャム・トゥルンパはサンスクリット語の「シャマタ」を使用したが、他の教師はチベット語の「シャマタ」を好んだ)。

 さらにはギリシア語やラテン語とともに、サンスクリット語はすべてのインド=ヨーロッパ語の根本だった。このようにわたしたちにとって遠く離れた存在ではなかった。ブッダやボーディサットヴァ、カルマ、ヨーガなどの言葉は日常的な言葉となり、西欧の辞書にも入れられた。チューギャム・トゥルンパはさらに多くの言葉が辞書入りすることを願った。

 彼はまた生徒たちにバラモンのようにサンスクリット語を正確に発音することを望んだ。チベット人のようにサンスクリット語を不正確に読み、奇妙な発音をすることを望まなかった。たとえば破壊することのできない本質を意味するヴァジュラという言葉を彼らはベンザと発音した。

 チューギャム・トゥルンパは、このような決断を下すことで、現地語に基づいた独自の仏教言語を創造しようとした。

「英語は野蛮人の言語だからチベット語やサンスクリット語を学ばなければならないという話を聞いたことがあります。しかし、どちらの言語も真実を伝えているのであれば、両者を区別する理由はないでしょう。実際、さらに感動的なのは、私たちが人種や文化の壁を超越し、ありのままの姿で、その核心に直接入り込むことができるということです。これは、魅惑を切り裂く智慧の洞察なのです。」