チューギャム・トゥルンパ伝第5章
チューギャム・トゥルンパはどのように教えたか
これまでの教えで示したように、皆さんにお伝えしたダルマの一つ一つが皆さんの個人的な経験であることをご理解いただけるよう、できる限りのことをしてきました。皆さんは、その場で実際に体験したこととダルマを関連づけることができるのです。(チューギャム・トゥルンパ)
1 心から語る
チューギャム・トゥルンパはさまざまな西欧のダルマ実践者のなかでもっとも広く読まれた仏教関係の著作者の一人だった。彼の教えの本質と深遠さは、彼がこの世界に生きていたときのように今も生き生きとしている。彼の多くの本は、独自の統一性を備えた真の作品集を形成している。リンポチェ(トゥルンパ)は、最終的には一般向けの 108 巻が出版され、さらに上級の学生向けの約 40 巻が追加されることを望んでいた。
彼の作品はほとんどの場合、講演の教えを筆記したものがベースになっていた。チューギャム・トゥルンパは、それぞれの機会において、自らが置かれた状況と、講演に訪れた人々の期待に応えながら教えを説いた。しかし同時に、将来の人々に役立つ書籍として編集可能な、統一された講演集を提示することも念頭に置いていた。彼は自身の弟子だけでなく、未来の世代にも教えを説いていると説明した。
彼の本は他のスピリチュアル系の本と何が違うのか?
彼のアプローチの特徴の一つは、人々の期待に迎合しなかったことであり、特にスピリチュアル性に関する先入観に関しては顕著だった。神秘主義的あるいは主観的なアプローチを取らず、チューギャム・トゥルンパは神学と形而上学の両方、つまりスコラ哲学の時代以来西洋を支配してきた精神性への理論的アプローチを断ち切った。また、宗教がしばしば覆い隠す規範的、道徳的な言説とも決別した。彼は「賢者」の慣習的な仮面を一切被らない。彼の厳格さは比類なく、容赦なく、それでいてけっして独断的ではなかった。
彼の教授法はオックスフォードで見てきたものとは大きく異なっていた。また、彼は一般的には古典のテキストを逐一説明し、過去の偉大な師による注釈を付すという伝統的なチベットのスタイルも採用しなかった。
最初の数年間、彼はきわめて直接的かつ自由な方法で、あらゆる人々の経験の核心を狙いながら教えを説いた。
「わたしたちは、ブッダの時代に仏教が実践されていた本来のスタイルに立ち返り、人々が法を生き、無常をその場で生きるようにしています。彼らは実際に、すべてを正しく、そして完全に生きているのです。それがすべてを現実化する唯一の方法であるように思われます」。
他の師たちは深い理解と悟りを見出しているにもかかわらず、彼らの多くは自らの伝統に根づいた概念の網に囚われている。そのため、それらの伝統の外で育った人々にとっては理解しにくい。だからこそ、チューギャム・トゥルンパは率直に語ることを決意したのだ。仏教とは、概念的な思考、より正確には現実に関する私たちの信念体系からいかに解放されるかを示すものであるならば、チューギャム・トゥルンパはその道を示した。彼はつねに抽象概念を切り開き、最も具体的な経験の究極の深淵を明らかにした。彼は複雑で高度な教えを平易に説明できる新しい言語を発明したのだ。
彼の教えは卓越していただけでなく、感動的な点があった。チューギャム・トゥルンパは自身の体験を率直に語り、聴衆全員と心を分かち合った。こうしてチベットの伝統において師と弟子の間に維持されてきた距離を、彼は取り払った。前章で述べたように、このようにしてチューギャム・トゥルンパは現代へと飛躍した。
「金剛乗を説くにあたり、あまり系統的、あるいは学究的にならないように、心から語るべきです」。
ここで彼が「心から」と言っているのは、感傷的な意味ではなく、完全に開かれた、そして真摯な関わり合いの精神のことだ。グルであるだけでなく、彼は一人の人間として、他の人間と友情の関係を築いたのだった。
この特質は、彼の比類なき質問への答え方にとくに顕著に表れている。典型的なチベットの師は、それぞれの質問に対して、しばしば非常に長く、正確で、専門的な答えを学術的に与える。その際教義上の論点を繰り返す機会を逃さない。
チューギャム・トゥルンパは、質問者に直接答えた。これらの答えを読むと、しばしば的外れに思えるかもしれない。しかし、質疑応答のビデオを見ると、すべてが明らかになる。映像は、人と人との出会いの特別な雰囲気を物語っている。チューギャム・トゥルンパは、質問の言葉の意味だけでなく、質問者が本当に尋ねようとしていたこと、そして言葉の背後に隠されていたことにも答えた。彼は仏教の教義に従って「正しい」答えを与えようとはしなかった。むしろ、質問がどこから生じているのかを指摘することで、弟子の心をさらに開かせようとした。
彼の教えには専門的すぎたり、哲学的すぎたりすることはなかった。チューギャム・トゥルンパは聴衆を驚かせ、感動させることを好んでいた。今日、彼の話を聞き、言葉を読んでいると、彼の強烈な才能が突然閃き、私たちを虜にする瞬間が必ずある。たとえばカギュ派の偉大な師であるナーローパの生涯についてのセミナーを開いているとき、突然彼はつぎのような説明を始めた。
「わたしたちの話の中で、ナーローパが得た悟りはそれほど重要ではないようです。わたしたち凡人にとって重要なのは、ナーローパの混乱なのです」。
この転換のおかげで、彼は従来の論理を打ち破り、これまで隠されていたがきわめて重要な事実を明らかにした。誰もがナーローパに精神的達成の例を見出すことを期待していたが、チューギャム・トゥルンパは、ナーローパが自身の混乱に対処した方法こそが真に重要であると強調した。こうして私たちは、外的なモデルを模倣するのではなく、真の自分自身との真のつながりを確立することで、その道を歩むことができた。彼の講演を聴いている間、わたしたちは突然武装解除され、当初知覚していたものよりもさらに広大な次元へと開かれる。そしてこのような経験に、概念的な要素は何もない。
彼はけっして義務感から教えているようには見えなかった。それが、彼が示した自由の秘訣だったに違いない。彼は学生たちと可能な限り直接的な関係を築きたいと考えていた。講演の終わりには、しばしば時間を割いて、聞きに来た人々と交流した。人々が列を作り、皆が彼と個人的に言葉を交わそうと待っていた。たとえ数分間の時間であっても、彼は非常に親身になって相手を気づかってくれたので、人々はほんの短い接触で深く感動した。こうして彼は出会った人々の人生を劇的に変えた。彼の学生の一人、スーザン・Gは、彼に紹介された時のことをこう回想している。
「まるで電気ショックを受けたかのように、わたしは衝撃を受けました。彼が手を差し出し、その手を握った瞬間、今まで経験したことのないほどの優しさを感じました。それとは対照的に、わたしのエネルギーは痛々しいほどに攻撃的でした。そして彼の瞳を見つめました。彼からは、わたしがこれまで経験したことのない柔らかさと優しさが溢れ出ていました。そして、それ以上に計り知れない深みがありました。あの瞳の向こうにいるのがどんな人なのか、わたしにはわかりませんでした。その衝撃は計り知れないほど強烈でした。まるでこの男性はわたしの心の奥底まで見透かし、それでもわたしを受け入れてくれるかのようでした。まるで愛情深くもレントゲンのような瞳に貫かれたような気がしました。彼のあまりにもリアルな存在の光に、私の仮面がはがれ落ちたのです」。
ほとんどの大学教授、多くの学者、そして一部の宗教家は、まるで役を演じているかのように、話す際に独特の声色と表情を身につけている。こうした「保護層」によって人間性が歪められることなく、誰かの話を聴くことほど心を打つものはないだろう。チューギャム・トゥルンパは、高い声で、私たちすべてへの愛に燃え、ありのままの普遍的な姿で、私たちの前に立っていた。