4 教えることに関する生徒たちへのアドバイス 

 チューギャム・トゥルンパが教えをどのように捉えていたかを理解するもう一つの方法は、彼が自身の信奉者に与えたアドバイスを調べることである。弟子たちが自らの理解を表明することを彼がいかに重要視していたかは、すでに指摘した通りだ。

1972年、彼は弟子たちにこの責任を引き受けるよう呼びかけた。毎週金曜日の夜、コロラド州ボルダーに集まった人々に講義を行う際、彼はある人物に自身の著書の一章に基づいた短いプレゼンテーションを準備するよう依頼した。弟子たちにダルマの代弁者になってほしいと考えたのだ。

『実践する瞑想』の中で彼は「あなたが成し遂げたことを言葉にし、他者に伝えることこそが、自己を成長させる唯一の道です」と記している。弟子たちは、修行者の集まりの前に立つとき、物事を真剣に受け止め、自身を表現する最善の方法を見つけなければならない。少しでも策略や偽善を企てようとしても、たいていはすぐばれてしまうものである。

 彼は生徒たちに教えさせることで、彼らが教えと一体となり、自分たちは無力であり教師に養ってもらう必要があるという考えを捨て去るのを助けていた。

 彼が与えた主なアドバイスは、シンプルに、心から話すこと、そして概念の背後に隠れないことだった。生徒たちは必ずしも教師の存在や教師が作り出した環境を覚えているわけではないと彼は言った。自分の専門分野をよく理解することは重要だとしながらも、真のプラジュナ(智慧)とは直感と理解の融合であり、それは情報の伝達ではなく、他者との繋がりから生まれるものだと強調した。

 デーヴィッド・ロームは公衆の前で教えを説かなければならなかった際、チューギャム・トゥルンパに自身のダルマの教え方を批評するよう求めた。すると彼は講義を締めくくる話の盛り上げ方の感覚に欠けていると指摘された。そして、特定の論理を説明できる空間を作り出すようにと助言された。同時に、この論理を捨て去り、自発的で情熱的な語り口にすることが必要だと言った。肝心なのは、論じている主題の持つ独特の肌理(きめ)を明らかにすることだった。こうしてデーヴィッド・ロームは、教える際に臨場感を維持する方法を学んだ。空間の中にあって、それを調整する方法を知ることこそが、真の教え方であり、それが現れる次元を明らかにする手段なのである。

 誰かが講義でダルマを説くとき、聴きに来た生徒たちは、まさに集中力に溢れた状態に自分があることに気づく。このような鋭い集中力は、あらゆる指導の根幹を成すものだ。沈黙を保つことは、話すことと同等、あるいはそれ以上に効果的な伝達方法となりえる。教える技術とは、教えたいことがわたしたちとは独立した独自の存在であることを認識することだ。

チューギャム・トゥルンパは、すでに真実だと知られていることを繰り返すのではなく、話す瞬間に自分にとって真実であるものを表現することの重要性をしばしば説いた。教えられたことをただ口にするだけでは十分ではなかった。