ダライラマ六世、その愛と死
宮本神酒男訳
10 デシ(宰相)サンギェ、康煕帝の脅しにおびえる
康煕三十四年(1695)十一月のある日、北京城の上空に鵞鳥の羽毛のような雪が舞い、大雪が積もった。雪片は人の顔の上にガラスが砕け散ったかのように吹きつけられ、人は目を開けることができなかった。すべてが白く霞んだ氷の網に捕らわれたかのようだった。
紫禁城では、九千余の御殿や房屋上の黄色の瓦と白雪が格子状に並んで輝き、厳粛な雰囲気を醸し出していた。
乾清宮のなかでは、木炭の火鉢が燃え盛り、ロウソクが赤々と輝き、机上の奏上された文書に目を通している人の顔を赤く照らした。その顔はほっそりしていたが、秀でた顔つきで、八の字を書いたような眉の下の目は、爛々と輝いていた。下顎の黒くて硬い髭は密ではなく、長いわけでもなかった。この人物こそ康煕帝、清の聖祖愛新覚羅・玄ヨウ(火へんに華)だった。
康煕帝はこの年四十一歳、皇帝になって三十四年たっていた。十六歳のときに執政を開始し、朝政に力を発揮した。圏地政策を推進し、農民を圧迫し、逃亡貴族オボイらを罷免したり逮捕したりした。二十余年のあいだに呉三桂ら三藩の反乱を平定し、明復興の旗を掲げた台湾鄭氏政権を破ったあと駐屯軍を置き、黒竜江流域ヤクサ(アルバジン)の帝政ロシア軍を駆逐した。すなわち満族を中核とした多民族国家である清国の統一と辺土防衛を推し進めたのだ。この何年かはモンゴル、チベット、青海、新疆の動乱を苦心して押さえ込んだが、ガルタンというまつろわぬ火はいまだ消していなかった。彼は決心していた、つまり、よしんば馬上で戦死しようとも、あるいは机上で累死しようとも、太平な世の中を創出することを。
康煕帝は罷免された河道総督于成竜の奏上文に朱筆を入れた。その文には、水利事業から荒地の開墾、ガルダンとサンギェ・ギャツォの処分まで、さまざまなことが書かれていた。彼はまた何人かの優秀な素材を集めていた。大学士伊桑阿(イルゲン)、内大臣索額図(ソエト)、大将軍費揚古(フィヤング)、将軍薩布素(サプス)らである。彼は紫壇の椅子から立ち上がり、背筋を伸ばし、窓から外を眺めると雪はまだ降りやみそうにもなかった。瑞祥の雪は、かえって豊作をもたらすという古い言い伝えを思い出し、康煕帝は笑みを浮かべた。
しばらくして人々がやってきた。太監は火鉢に炭を足し、人々に茶を出したあと、退出した。
「やけに寒いんじゃないかね」と康煕帝は笑いながら聞いた。
「そんなに寒くはありません」と何人かが立ち上がり、身を屈めながらこたえた。
「まあ、坐って」と康煕帝は、手のひらを下に向け、押さえるような仕草をしながら言った。ふだんの皇帝は気を配るほうだった。
「北京は盛京(瀋陽)よりも温かいです」とソエトは加えた。
「そのとおり。建国というのは冷から暖、治国というのは暖から暑ということであろう。皇帝たるもの、威厳を示しながら、恩を賜るのがよいもの。天下に寒い心を教えるわけにはいかぬは!」
そう言って康煕帝は家臣たちをぐるりと見回すと、彼らは一心に拝聴していた。しかしその表情がさっぱりわからなかったので、言を付け加えた。
「朕がそなたたちを呼んだのはほかでもない、チベット方面のことを好きに論じてもらうためであるぞ。二、三日のちに正式な建議をまとめるというのでいかがかな?」
家臣らからいっせいに「はっ」と声が上った。しかし何から論じればいいか、だれにもわからなかった。
「陛下、吉兆の雪降るなか、雪国のことで招集されるとは、なんと詩的でありましょうや」と大学士イルゲンが沈黙を破った。
「朕は漢詩をこよなく愛する者であるが、現在は忙しく詩を作る暇がない。ところでそなたたちは、サンギェ・ギャツォとか申す宰相のことは知っておられるかな? 信頼するにたるお方であろうか?」
康煕帝はそれを議題にしたいようだった。
「チベットから来た人の話によりますと、この人物はすこぶる智謀が働き、まつりごとにひいでているとのことです。民間にはあまたの伝説が流布しているそうです」とソエトが奏上した。
「ほう? 朕にのべよ」
「サンギェ・ギャツォの頭は扁平なので、扁平頭宰相というあだ名がついているそうです。ある日軽い服装で壮外に出ました。川を渡るときに、あえて船賃を払わなかったのです。船頭は怒って彼の鼻を指差しながら罵倒しました。川を渡るのに船賃を払わぬとはなんという不届き者! もしおまえの扁平な頭が宰相さまに似ていなかったら、絶対に勘弁しないからな! と」
乾清宮のなかに爆笑が起こった。ソエトがついで言った。
「サンギェはいつも平民になりすまして商店や酒屋に出入りしているそうです。チベット人はつねに気をつけ、政治のことはあまり話題にしないとか。この扁平頭宰相に話を聞かれるのが怖いのです。あるとき彼はいつものように変装して酒屋に入りました。そこでツァンのシガツェから来た老人と会いました。彼は老人の耳元に探りを入れるように話しかけました。あんたらの地方ではこちらの政治のことをなんと言っているのですか、と。老人は酒盃をかかげながら、チベットのことなんぞ宰相さまにまかせておけばいい、わしらは酒を飲むだけじゃ、と」
康煕帝はうなずいた。「チベットの民は宰相に服し、また恐れてもいるようじゃの。朕とはうまくいくような気もするが」
「一昨年の十二月、ダライラマ五世が陛下に書を送り、宰相サンギェに封号を賜うよう懇願し、陛下は昨年四月、掌瓦赤喇怛喇嘛教弘宣仏法王布?達阿自迪之印という金印を賜れました。表面上は王という封号が与えられましたが、実質衰えのはげしいダライの治める仏教地域の範囲を超えるものではありません。陛下はなんとご聡明であられましょう」とイルゲンは過去のことを出し、皇帝の策略の優秀さを実感した。
「そなたたちは、臣(おみ)は年取りたるゆえ国事は宰相に任せ……印封を賜いますようお願いつかまつる、などという奏書が本当にダライラマによるものだと思うか?」と康煕帝は言って口をすぼめた。
「ウランブトンの役でオイラートの降伏した兵士から話を聞きました。チベットにはこんな風説が流れているといいます」とフィヤングが言った。「ダライラマ五世は逝去してもう何年にもなるが、確実な証拠がなく、臣下も聞かされていないので、あえて奏上することもないというのです」
「このことはすでに裕親王がすでに奏上しておるぞ」と康煕帝が口をはさむ。「ジロン・ラマがガルダンとの和を請うたとき、わざとわが師団を追ったことがあり、それで朕は疑惑を持ったのである」
「陛下、チベットをとがめないわけにはいきますまい。彼らを上京させ、厳しく問いただしましょう」とサプスが奏上した。
「朕はそう考えるぞ」と康煕帝は一呼吸置いた。「もしダライラマがこの世にいないなら、ダライの名を借りて自ら封じていることになる。これは君主を欺く罪であろう。とはいえ宰相が朝廷にて、朕の威風によってチベットを治めると言明するのなら、許してやらなくもない。朕が疑っておるのは、ガルダンと共謀して刃向かおうとしているのではないかということじゃ。ガルダンを除かぬことには、わが朝廷は安泰ではなかろう」
「以前陛下が自ら出兵されたとき、ガルダンの軍をおおいに打ち破りましたが、それでも帰順せず、誓いを反故にし、ごく最近もクルルン河に兵を進め、無礼なたわごとをのたまうのです。このたびの敗戦は武器が整わなかったゆえ。ロシアから六万の銃が支援されるので、あらためて雌雄を決しましょう、と。こんな輩、わしが辱めをくれてやろう!」とフィヤングは興奮を抑えきれなくなった。
康煕帝は怒りの表情を浮かべながらも、冷笑して言った。「ガルダンには外国と手を結ぶのはむつかしいだろう。六万の銃などとたわごとを言っても、怖くはないわ」康煕帝は突然卓を叩き、厳しい声を上げた。
「あやつは朕を恫喝する気か!」
乾清宮は静まり返り、康煕帝が歩くその靴のこすれる音だけが響いた。
康煕帝は止まって振り返り、激しい口調で言った。
「サプス! おまえは満州軍を率いてホルチン部から東へ出よ。フィヤング! 帰化城へ赴き、陝西、甘粛の兵を調達して寧夏に出兵し、翁金河から西へ出よ。朕はみずから禁軍を率いて中路を取って独石へ出よう。挟み込んで攻めるのだ。風を飲み、雪を食べ、戦うのだ。モンゴルの地でガルタン軍を殲滅せよ!」
「英明なる陛下、万歳!」
勅旨を賜った四人は深々と頭を垂れた。
準備万端整え、翌康煕三十五年春三月、ガルダン討伐の第二次戦役がはじまった。康煕帝の考えた布陣によって、砂地を行く困難を克服し、帝政ロシア軍からのガルダンへの助言をはばむためにも、食糧の供給が絶たれる危険性をはらみながら、一気呵成に攻め、六月十二日には完全な勝利を収めた。ガルダンはわずか数十騎とともに命からがら逃走した。彼の妃であるアヌドゥは砲火のなか死んでしまった。軍の食糧が尽きる頃、康煕帝は命じて軍を帰朝させた。
この頃、ダライラマ五世の勅使と称する数人の者が西寧から北京へ向かった。
康煕帝はソエトとイルゲンを呼び、勅令を伝達させた。実際、サンギェ・ギャツォへの叱責であった。皇帝は勅令のなかに、二度にわたるガルタン軍への勝利を盛り込み、その滋味を誇示していた。また勅令のなかにダライラマが逝去したことを知っていると匂わせていた。
「天下のモンゴル人はみなダライラマを教主として奉じている。もしダライラマが物故したと知ったら、各部は檀家に報告し、パンチェンラマを教主として掲げ、ツォンカパの築いた仏教の伝統を維持しようと図るだろう。しかるにそなたはダライラマの喪を隠し、それどころか名を借り、ガルダンを唆して悪事を働いている。朕はラサに使者を送り、ダライラマが本当に生きているかどうか確かめさせるつもりである。もしわが使者に会ったら、逃亡中のガルタンをさとしてほしいものである。このように過ぎ去ったことは意に介さないつもりである。しかしもしなお我らの使者を欺くようなら、もしダライラマに会わせないというなら、事情はやや困難になってこざるをえない」
康煕帝の叱責の勅旨を受けた使者は、皇帝と直接会うことはなく、またダライラマの生死について説明できないため、戦々恐々としながら北京を離れた。
サンギェ・ギャツォは熱い鍋の上の蟻のようだった。彼はもっているすべての知力を結集してあたらしい事態に対応しようとした。目下の局面は圧倒的に不利であるが、逃げるわけにもいかなかった。皇帝はすでにダライラマ物故の消息は得ているようだった。モンゴル各部とチベット内部も伝え聞いているだろう。ガルダンはクルルン河で惨敗を喫してしまった。老友の助けを借りてチベット内のホショト部を駆逐するという希望もほぼ潰えてしまった。どうすればいいのだ? 何度も何度も考えたが、結局自分で納得できる方策を得ることはできなかった。
彼は外に出て気分を晴らすことにした。この鬱陶しさをなくすにはもってこいの場所があった。彼は競走馬に乗り、侍従に弓矢を持たせ、ラサ郊外の射的場へ馬を走らせた。
サンギェ・ギャツォはすっかり忘れていた。この季節、日が西南に傾く頃、ラサではかならず風が立つのだ。一陣の強風が馬上の彼に吹きつけた。細かく砕けた砂粒が彼の頬を叩き、ザンパ(麦焦がし)のような砂が喉に入り、眼球にも入り込んで激痛をもたらした。彼は戻ろうかとも考えたが、弓を引く力を鍛えるにはいいのではないかと思い直した。彼は一度はじめたことをあらためるのは好きではなかった。ひとつのことにこだわって変えないことが、数々の成功をもたらしてきた。けれども彼は馬の頭の向きを変えることはなかったが、心の中はうらみごとで満ちていた。冬の風はどうして春の風とちがい、猛々しいのか? 日常的にないことをのぞんでいるのか? これは一種不吉なことが起ころうとしているのか? かれはさまざまなことに思いをめぐらしていたが、知らず知らずのうちに、皇帝の叱責のことで頭がいっぱいになっていた。彼の耳元で自身の声がこだました。「落ち着け! あわてることはない。皇帝はダライラマの消息に関してなんら確かな情報をえていないはず。皇帝の諌めも試しに言っているにすぎず、使者を送るということさえ決定事項ではない。皇帝の所在ははるか遠くに離れているわけだし、対処する時間は十分にある。ガルタンも本当に負けたといえるかどうかもわからない。もし惨敗したとしても、チベット、青海、そのたの地域に彼の勢力はまだ残されているではないか。ジロン・ラマの報告も待つべきだ。その内容によって作戦の立て方もかわってくる。
サンギェ・ギャツォは広い谷あいを馬に乗って見て回り、侍従に的を立てさせた。風砂を浴びながら、彼は片目をあけ、弓を引き、的の中央の赤い点を見つめた。彼は忽然と悟った。この日の弓はたんなる遊戯ではなく、占いであることを。的の赤い点はチベットの大権、自分自身は弓、強風は皇帝、砂礫はホショト部、ガルダンはこの弓の弦だ。彼は集中力を高め、渾身の力をこめ、弓を引き、「えいっ」と叫んで放つと、矢は赤い点に当たった。彼は非常に喜び、この一矢はまさに望んでいたことだと思った。この吉兆の矢の価値を下げないためにも、もう二度と矢は放たないことに決めた。
ちょうどそのとき、飛ぶように駆けてきた馬が道からななめに横切って射的場に入ってきて、サンギェ・ギャツォの前にやってきた。侍従は刀に手をやったが、「動くな!」というサンギェの一声で止まった。
馬から飛び降りて、男はサンギェ・ギャツォに向かって頭を下げた。そしてなにかしゃべろうとしたとき、サンギェは制し、「ポタラ宮に戻れ」と命じた。
侍従のひとりは別の侍従に小声で「ジロン・ラマだ」と教えた。
ポタラ宮。サンギェ・ギャツォとジロン・ラマはダライラマ五世の居室である日光殿にいた。
「ガルダンはどうだ?」
「全軍壊滅しました」
「いまどこにいるのだ?」
「わかりませぬ」
「おまえはずっとガルダンといっしょではなかったのか」
「トゥラ河東岸のジョモトで大将軍フィヤングに蹴散らかされてしまいました。私はモンゴル人の女性の服に着替えてなんとか逃げることができました」
「皇帝はおまえを取り逃がすのを恐れているだろう。皇帝の文書のなかにおまえの名前も出てくるからな」
「わたしはすべて宰相さまに助けられています」
「ああ、おまえには隠れるところがある。わたしにはない。よかろう、この木に隠れることができる。おまえが休める木の枝はどこにだってある。この何年か、チベットのため、わたしのため、おまえは本当に苦労してきたものだ!」
ちょうどそのときゲタンがあわてて入ってきたが、絨毯のかどがめくれていて、それに引っかかって転んだ。
「どうしたのだ?」とサンギェが聞いた。
「皇帝の使者の駕籠が着きました。摂政さまと接見したいとのことです」ゲタンは喘いでいた。まるで負けたばかりの相撲取りのようだった。
階段を昇る靴の音が聞こえた。外から皇帝の使者を迎える声が高らかに響いた。
サンギェ・ギャツォの心臓は高鳴って飛び出そうだった。使者はあっという間にやってきた。突然、やってきた。彼はなにも考えていなかった。彼は急いで衣冠を調えた。ジロン・ラマには外の壁際に立ってもらい、なかに戻ってこないようにしてほしかった。ジロン・ラマを使者が認識できるかどうか、わからなかった。もし認識できたら、かなり面倒なことになるだろう。サンギェ・ギャツォは稲光のごとく大殿のなかに眼光を走らせ、なにかの仏教図案が書かれた壁布を見つけた。ジロンは猫のようにその布の裏側に入っていった。
サンギェ・ギャツォは勅旨を受け取った。使者は皇帝のことばをよみあげる、そしてすぐにチベット語に翻訳された。彼は神経を集中して一句、一字、漏らすまいとしたが、突然脳のなかに空白が生じた。彼はあわてて自分を戒め、なんとかこんなことがないようにした。しかしつぎに、彼は発熱を覚え、背中に衣がくっついたように感じた。彼は衣類を脱ぎ捨てたかったが、もちろんそんなことはできない。彼は延々とつづく話をただじっと静かに聞いていなければならなかった。
「朕は道や法を重んじ、衆生を愛する者である。それゆえ誠の心をもって、正直さをもって法を守る者、さらには加えて愛でもって守る者を重んじる。それに対し法を破壊する者には譴責し、処罰することになる。おまえは第巴(摂政)であり、本来ダライラマのもとで管理、事務を司るのが職務のはずである。しかるに朕は発見した。おまえはツォンカパの教えを奉じているはずなのに、ひそかにガルダンの通じ、結束し、ダライラマとパンチェン・ホトクトを騙し、ツォンカパの教えに反していると。早い時期におまえはダライラマが存命であると偽り、ジロン・ホトクトをガルタンのもとへ派遣し、ウランボトンの戦役中ガルタンのために経典を誦させ、出征の日取りまで選択し、山上で観戦していたというではないか。賊軍が勝てばカタを献じ、負ければ替わりに講和を申し出て、われらの軍の追跡を遅らせ、ガルタンの逃亡の幇助をした。朕は衆生のためにパンチェン・ホトクトを召集する。おまえはガルダンに殺されるかもしれないと言ってパンチェンを騙し、脅し、北京に越させないようにした。青海のボショクト・ジノンはひそかにガルダンと親戚関係を結び、往来を重ねて関係を強化していたが、おまえはあえて摘発しなかった。ガルダンとボショクト・ジノンは、もしおまえの仲介がなければ、婚姻関係を結ばなかったのではないか。ガルダンはおまえのそそのかしと誘惑によって朕に反する行動を取るようになったのではないか。ジノンがガルタンに送った使者ロレイ・アムジら捕虜の自白によれば、ダライラマは死んでから九年にもなるという。このダライラマは智慧があり慈悲深い大ラマであり、清朝の護法主である。本朝との交流も六十年以上の長きにわたり、おまえは逝去の消息をただちに知らせるべきであるのに、かえって秘密にし、人民を騙し、ガルダン勢力の軍事謀略にそれを利用しようとした。おまえの罪は非常に大きい。おまえの行為はおよそ道にも法にも違い、私利私欲のために騙したのではないか。朕は衆生を養い育てる君主である。すぐれたものは褒め称え、よくないものは憎悪する。あいまいなことはしないのだ。おまえが心の底から間違いを認め、改悛してツォンカパの教えに従うなら、朕の召喚に応じ、使者を派遣せよ。そしてジロン・ホトクトを逮捕し、青海のボショクト・ジノンが娶ったガルタンの娘とともに護送せよ。もしそのようにしたら、おまえを厚く礼遇するだろう。もし上に述べたことを履行しないなら、おまえがダライラマ、パンチェンを侮辱し、ガルダンを助けたという罪名でもって雲南、四川、陝西の兵を送り、ガルダンの軍を殲滅したように、場合によっては朕自ら指揮を取って、あるいは諸王侯や大臣も加わって、おまえを討伐するだろう。以前おまえは朕の使者に言ったではないか。オイラート四部はおまえの護法主だと。おまえはオイラート四部を呼ぶ。朕はオイラートがどのようにおまえを助けるか見ようと思っている。おまえはさっそく朕の言ったことを実行に移したほうがいい。来年の正月以前に奏上しなければ、公開することになろう。この使者がおまえのところへ行きことばを与えるので、ジュンガル部を殲滅したときに分捕ったガルダンの佩刀と妻アヌの仏像、佩符、これらを記念に贈呈しよう。
勅書とともに錦緞子三十六丈。康煕三十五年八月甲午」
サンギェ・ギャツォが勅旨を聞き終えたとき、下着はすべてびっしょり汗で濡れていた。四十三年生きてきて、これほどの恐怖感を味わったことはなかった。彼は皇帝を見たことはなかった。想像のなかの皇帝はおだやかで慈しみのある三面の文殊菩薩だったが、いまは怒りの目でにらみつける護法天王だった。敬わないわけにも、畏れないわけにもいられなかった。サンギェ・ギャツォは渾身の力をこめて心を静めた。石はすでに割れている、裂け目に土を塗ったところでどうしようもない、と俗諺に言うではないか。ただ勅旨に従うしかなかろう。
「宰相の返答が必要だ」と使者はつっけんどんに言う。
「ええ、勅旨のとおりに手続きをとり、すぐに使者を送り、奏上いたします」と落ち着いて答えると、立ち上がり、大声で控えの侍従らに言った。「宮中で宴を開くぞ。さあ供応の準備を!」
サンギェの声とともに羊の内臓に刀が入った。ジロンは仏卓の下で意識を失いかけていた。彼は知っていた、中国皇帝の権威と比べたなら、摂政などたかだか小国の長にすぎないことを。このように、彼もまた自分は「終わった」と痛感していた。
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