ダライラマ六世、その愛と死
宮本神酒男 翻訳
11 ダライラマ六世の突然の登位(続)
八月。摂政サンギェ・ギャツォは、ガワン・ギャツォのダライラマ登位の準備で大忙しだった。新しいダライラマが前のダライラマを継承する典礼は、チベットの儀式のなかでも比べるものがないほど盛大かつ荘厳だった。なおかつ六世の唐突な登位には、上手とはいえない政治的な経緯があった。
受戒の場所について彼は思いをめぐらせた。もともとニェタンのノルブガンで行うつもりで、すでにシガツェのパンチェンラマにはニェタンへ来るよう要請していた。しかしいま、摂政は考え直していた。ニェタンはラサからわずか四十里しか離れていない。転生の少年を長年秘匿していた事実を公にした途端、風が吹いて草が動くように、万が一のことが起こって、六世の身の上に危険が及ばないともかぎらない。そこで受戒の地点をカンバラ山の麓のナカルツェに変更したのだった。ナカルツェはラサから遠く、東から南にかけてはヤンドク・ユムツォ湖が広がり、西にはオング山、北にはカンバラ山がそびえ、もしもの事態が発生しても、地勢が障壁となってそれをはばむだろう。あるときは冒険を犯すのもいいが、いまは用心深いにかぎる。彼は極秘の通知を二ヶ所に出した。ひとつはパンチェンラマ宛て。ナカルツェに変更した旨を伝える。もうひとつはガワン・ギャツォの一行宛て。ナカルツェに着いたらそこで待てという指令だった。もちろん摂政サンギェ・ギャツォ自身もナカルツェへ向かった。
彼はダライ汗とラザン王子には情報を漏らしたくなかった。彼は思った。「おれは皇帝を何年も騙してきた。おまえたちを騙せないわけがなかろう。こちらの罪を皇帝でさえ罰しないというのに、おまえたちモンゴル人に何ができる? おまえたちと話し合いをせざるをえなくなっても、どうして自らすすんで支配下に入るだろうか。
サンギェ・ギャツォはポタラ宮まで歩き、露台に出て白宮の東と西の日光殿、すなわちダライラマの寝室を眺め、ひとりごとを言った。「この寝室にも新しい主人が必要だ。……いや、彼は子どもにすぎないが。重要なことはおれがやらなければ」
ガワン・ギャツォの一行がナカルツェに着いたとき、受戒を受け持つパンチェンラマがまだ到着していなかったので、寺のなかで待たされることになった。なぜここにいるのか、だれも知らなかった。すべてのことは神秘のベールに包まれていた。
ナカルツェは開けた、平坦な場所で、ヤンドク・ユムツォ湖の西岸にあり、歌舞の郷として知られていた。こんな美しい景色は見たことがないとガワン・ギャツォは思った。彼は再三、風光明媚な湖岸まで行けるよう嘆願した。三日目にようやく許可が下りた。条件は遠くまで行かないこと、舟に乗って湖に入らないこと、つねに侍従と衛兵を伴うことだった。
彼は湖岸にたたずんだ。微風が彼の長い髪を揺らし、湖面にさざなみを起こした。湖水は深い藍色で、天空も藍色だった。湖水は果てしなく、天空も果てしなく、天は水を映し、水は天を映し、世界はすべて藍色だった。あらゆるものが明るく清らかで、玻璃でできた緞子のようだった。湖中には石島があり、湖岸には蒼山が聳え、遠い峰には積雪があった。どれもみな湖水の奥深くに影を落とした。それは永遠に水底に沈み、だれも引き上げることはできなかった。黄鴨、白鳥、天鵝の群れが湖面に浮かんでいた。岸辺の草地の牛や羊の群れとおなじくのどかだった。
「民謡でうたわれる、天上には別天地、人間界にはヤムドク、とは言いえて妙だ。民間伝説で天女が変じて湖になったというのも不思議な感じがする」と彼は心の中で思った。ひとはつねに景色を見る、と言い、景色を聞くとは言わない。しかしこの場合景色を聞くと言ってもいいかもしれない。
そのとき一匹の巨大な鱗魚が水面から躍り出て、水中に飛び込んだ。その腰は湾曲して柔らかだった。きらめく白銀の光がきりもみ状に水底へ降下した。この天女は襟に宝石を散りばめているのだろうか。
この天女はだれだろうか。リンチェン・ワンモではなかろうか。彼女であるわけがないのに、彼女に違いないと思う。もしこの湖水が彼女の変じたものなら、ただちに飛び込み、幸福の甘露のなかで酔い死にしたいものだ。
歩き、歩いて彼は牛毛で編んだテントの前に来た。煮茶も香りが漂ってきて、喉の渇きを覚え、また空腹も感じた。老遊牧民はこの清らかな少年の姿を見て、なかに入ってミルク茶を飲まないかと誘った。なかに入ると柱に六弦琴が掛かっていた。主人の許可を得て彼は六弦琴を爪弾きながら、歌った。彼が弾いたのはツェタン・トゥグの曲であり、歌ったのは彼が最近書いた詩だった。老遊牧民は羊皮の上にきちんと座り、うっとりと聞き入った。両手を膝の上に置き、うっすらと目を閉じたさまは活仏のようだった。
何年かのち、チベットに流布する伝説となる。ガワン・ギャツォがダライラマ六世と知った老遊牧民は胸に新鮮なバターの塊を持ち、背中に羊肉の塊を背負い、懐に人参果と干しチーズを入れ、ガワン・ギャツォに会うためラサに来た。彼はポタラ宮の下に立った。しかしあまりに窓の数が多いので、思い切り声を出して叫んだ。
「おーい、ガワン・ギャツォやぁ!」
僧官たちはダライラマの本名を呼ぶという無礼な行為をとった老人をただちに捕らえ、もう少しでその舌を切るところだった。六世は驚き、この老人をポタラ宮内に入れさせ、六世自ら謝罪した。そのとき老人の靴があまりにボロボロだったので、自分の金銀緞子の靴を賜った。このとき以来ヤンドク・ユムツォ湖の遊牧民はこの種の靴を愛するようになったという。
三十四歳のパンチェンラマ五世ロサン・イェシェは九月のはじめ、タシルンポ寺からナカルツェに着いた。ほぼ同時期に四十四歳の摂政サンギェ・ギャツォもラサからこの地に到着した。両者は会談を行い、十四歳のガワン・ギャツォを登位させることで一致した。
パンチェンラマと摂政が「そなたはダライラマ五世の転生である」と告げると、彼は驚愕し、それから徐々に疑問がもたげてきた。ニンマ派を信仰する家庭に生まれたのに、ゲルク派の頂上に立つことなど許されるだろうか。小さい頃から牛追いの少年だったのに、そんな尊い高位に就くことができるだろうか。恋人のことばかりが気にしている少年が一千万の修行者を受け持つ責任者になれるだろうか。屠殺人の子どもを友人とし、小さな商店の主を母のように慕う者が、神聖なるパンチェンラマと威厳のある摂政から尊敬されるなどありえようか。とうていありえないではないか。仏の意思なのか。これが運命というものなのか。それともたんなる夢なのか。それとも荒唐無稽な冗談なのか。
もちろんこれらは改変しようのない事実だった。人間には事実を事実として受け取る能力があるのだった。それが栄誉であろうと屈辱であろうと。いったんそれが降臨したら、それから逃れる手立てはない。
サンギェ・ギャツォは先例にならって準備を整え、ナカルツェの寺院の経堂でダライラマ五世の転生であるガワン・ギャツォに五色のカタが献上され、拝見の礼が行われた。ラサやシガツェなどから霊童を迎えるために来た高位の僧俗官吏はみな参拝を行った。パンチェンラマ五世が主事する半公開、半機密の会議では、摂政の話に全員が釘付けになった。摂政の巧みな話しぶり、優雅な言葉遣い、誠実な態度、それらに感動しない者はなかった。経堂の中は水を打ったように静まり返り、それからチッチッという賛嘆を表す舌打ちが鳴り、ホホウっというため息がもれた。
摂政サンギェ・ギャツォは言った。「偉大なる尊者、ダライラマ五世は泥石のような不肖を金とみなし、摂政の地位に就けてくださった。不肖はさまざまな理由をあげてお断りしたが、責任をもって職を全うするよう厳命し、広く世間に向かって宣言をされた。またモンゴル勢のなかでもオイラート部を施主とする旨、勅旨として発表された。ポタラ宮の三梯門の壁にはこれらのことが書かれ、また吉祥の掌印が捺されている。皆さんご存知だろうが」
経堂内には人々の「そうだ、そうだ!」という声が共鳴して大きな重低音となってこだました。
摂政は語った。「慈悲深い、いつも衆生を見ていてくださる観音菩薩、黄色の袈裟を着、黄色の法帽を戴く一切を超越した殊勝の仏、ダライラマ五世が雪の国仏の地に降臨され、濁世の衆生のなかにて生活し、大海のごとき、尽きることのない仏法の功業を宣揚された。その福の灯明は衆生の愚昧を除去する。ダライラマは宝を蔵する大海のよう。一切の善行の源泉である。また吉祥が堆くなった高山であり、人に涼しい陰を与える大樹であり、仏法の無辺の太陽である。しかも生年月日は浄飯王の子シャカムニと完全に一致する」
ため息は湖水のように経堂からあふれ出た。話を聞く大衆の前にまるで仏光があらわれたかのようだった。
ガワン・ギャツォは摂政の話を聞いて全身が震え慄いた。心の中でつぶやいた。
「ダライラマ五世はたしかに偉大で神聖だ。おれはその転生だという。どんな修行や功徳があるというのだろうか。このような賛辞がおれに献じられるだろうか。彼は自分が鷹の雛のようだと思った。この雛は強風にあおられて山頂まで飛び、空高くさらに吹き上げられ、混沌とした天空にまで上ってしまうのだ。彼は目を見開いて衆人を見回し、おのれの心を落ち着かせた。
サンギェ・ギャツォはこのように五世を称揚したが、自己の樹立は不完全だった。彼は五世に対し非常に大きな親愛の情を持っていた。彼のなかでは五世は支柱であり、主人であり、厳父でもあった。この仏と父親をあわせもったような姿の前に、彼は摂政ではあったけれど、依然として子どものようなものだった。
摂政は話をつづけた。
「水の犬の二月、偉大なる五世は閉関修行をされている時、ダーキニーが集まる吉兆の日、すなわち二十五日、不肖に対し政教二制度の大切さを説いていらっしゃったとき、円寂されたのです」と言って摂政は声を詰まらせた。そしてとめどなく涙が流れてきた。
「山のような恩寵をいただきました。五世はわが今世、来世の救世主でした。私は幼い頃からお側ですごしてきたので、自分の父母よりもお慕い申し上げてきました。政教両方面の事務はあれこれと言われてきましたが、結局全面的に委任されることになったのです。このような恩師と離別せねばならぬとは、私は前世でどんな過ちを犯したのでありましょうか。こう考えると悲痛のあまり耐え切れません。昼間は公務が忙しく気も紛れますが、夜は寝ることもできません」
摂政の表情はこわばり、重かった。
「わたしはあなたがたに説明をしたい。いまになってようやく説明することができます。五世円寂のあと、なぜ私はずっとそのことを隠さねばならなかったのか」
このとき衆人は息を呑み、一字一句逃すまいと聞き耳を立てた。サンギェ・ギャツォはその様子を見て、話す速度を落とした。
「まずダライラマ五世ご自身の御意思がありました。臨終の折、遺言を残されました。遺言は御心の深いところから出てきた真正のことばです。五世の死を秘匿するようご自身がおっしゃったのです。ついで神の託宣がございました。ネチュンの神は不肖に、秘密を厳守しないのはワニが爪を伸ばすようなものだ、と言いました。つまり、ネチュンの神は私を捉えたということなのです。私は全力を尽くして転生霊童を探しました。転生霊童はひそかに保護される必要がありました。私は何度か公開しようかと思い、ネチュン神に懇願しましたが、神は毎度、いまだ時期にいたらず、というご返事。私はあえて異を唱えようと考えなかったので、いままで延び延びになった次第であります。中国の皇帝はすでにダライラマ六世の登位をお認めになっています。不肖も闇夜でものを探すような日々がつづきました」
摂政サンギェ・ギャツォがこのように説明すると、もうこれ以上付け加えることはなかった。その口は一文字に結ばれていた。
人々はあちこちで意見を言い始め、経堂内はがやがやという雑音でいっぱいになった。しかしそれはしだいに歓呼の渦になった。彼らは摂政の説明に満足し、理解するとともに了解したのだ。皇帝もまた了解したのなら、それ以上何を求めることがあろう。
ガワン・ギャツォにはまだわからないことがあった。それは宗教に関する秘密のことのようだが、あまりはっきりしない。ダライラマ五世はなぜその死を秘匿するよう摂政に言ったのか。ネチュンの神はなぜ秘密を公にするよう託宣で言わなかったのか。それらは謎だった。彼は好奇心でいっぱいで、そのことについてずっと考えていた。
康煕三十六年(チベット暦火の牛の年)九月七日、ガワン・ギャツォはパンチェンラマによって沙弥戒を受けた。沙弥戒はまたゲチュ戒ともいった。ゲチュ戒を受けるということは、出家して僧になるということだった。仏教界の頂上であるダライラマになるにおいて、このことは当然不可欠だった。
パンチェンラマとガワン・ギャツォは寺院の大殿で師と弟子の礼を交わした。パンチェンラマは自らガワン・ギャツォの頭髪を切り、摂政サンギェ・ギャツォが託した、ジョカン寺から持ってきた『顕教竜喜立邦経』を彼の前に置き、叩頭の礼をさせた。これによって彼は法名ロブサン・リンチェン・ツァンヤン・ギャツォを正式に賜った。
パンチェンラマは笑みを浮かべながらツァンヤン・ギャツォに語りかけた。
「慣例ではゲチュ戒を受けるのは七歳だが、あなたはその倍以上の年齢のようだ。しかしあなたは先に経典を学び、それから戒を受けた。教師らによれば、あなたはおなじ年齢の者と比べるとはるかに秀でているという」
「いえ、そんなことはありません」とツァンヤン・ギャツォは恭しくこたえた。「ただ寺の中で何年か経典を学んだだけです」
パンチェンラマは経典の巻物を開き、厳粛に言った。「ゲチュ戒の儀式を完遂しなければなりません」。ここにおいてパンチェンラマは、経典に列挙される不盗、不殺、不騙、不淫など三十六条の沙弥戒律について逐一ツァンヤン・ギャツォに説明し、それが終わると、「宣誓せよ」と述べた。
ツァンヤン・ギャツォはポラとツォナの寺院に合計して六年過ごしたが、受戒儀式に参加したことはなく、その意味で俗人にすぎなかった。出家を願ったことはなく、受戒の詳細について何も知らなかった。宣誓をするにも、何と言えばいいのかわからなかった。とはいえ彼はすでに仏教の殿堂ともいえるポタラ宮に正式に入ろうとしていることを実感していた。袈裟を着て一家の長となり、仏教という家族を守らねばならないのだ。しかしそれは彼が願ったことではなかった。彼にはその責任も、それを司る力量もなかった。彼は獅子の毛皮を被っているにすぎなかった。雪山や森の王のごとき自信などなかった。
彼は長い間考え込み、パンチェンラマの微笑む顔を見た。その表情は彼の回答を待っているようだった。パンチェンラマの眼光を避け、大殿内をぐるりと見回した。彼の目は凶悪な顔をした護法金剛仏像に釘付けになった。そう、護法の責任はこの神が担うことになるのだ。霊感がひらめき、彼は詩のかたちでこたえた。
金剛護法に誓います
十地法界に高く居て
もし神通力があるなら
仏教の敵を滅さん
パンチェンラマは眉をしかめながらも、温和にやさしく言った。「詩の才能はありますね。宣誓の慣例にはそぐわないかもしれませんが。このように答えるべきなのです。経典上に規定される一切の律条を遵守します。衆生につかえ、身体のすべてをもって行います、と。さあ復唱してください」
ツァンヤン・ギャツォは言われたとおりにし、儀式は完成した。つづいてツァンヤン・ギャツォの名義でロサン・イェシェに純金製のマンダラが贈られた。マンダラ上には仏像、経典、仏塔があった。これらは身、口、意を表していた。そのほか金塊十二包、右旋法螺貝、法輪、それらは受戒の返礼だった。こうしたものは摂政サンギェ・ギャツォがうまいぐあいに按配していた。
頃合を見計らってサンギェ・ギャツォはラサに戻り、ポタラ宮からチベットおよびモンゴル各部へ正式に発布した。
偉大なるダライラマ五世は、水の犬の年に円寂された。その遺言にしたがい、しばらくのあいだその喪は発せられなかった。現在転生である聖なる御身はパンチェンラマにより受戒を賜れ、中国皇帝の批准によって正式にダライラマ六世となられた。十月二十五日、ポタラ宮シシ・プンツォク殿において登位の儀式を挙行し、衆生に福を賜う。あらゆる人に周知され、四方において歓喜されんことを願う。
告示の下のほうにはパンチェンラマ、摂政、政府大臣、大寺院座主の印が捺されていた。
知らせが伝わると、僧も俗も驚き、喜ばずにはいられなかった。だれが文句をつけることができただろう。異を唱えるにしても、公の場で発言することはなかった。もっとも不愉快に感じたのは、グシ汗の子孫たちだった。これほどの重要な件に関し、相談することもなく決定したため、彼らの面子は丸つぶれだったのだ。とはいえ腹を立てたところでどうしようもなく、また事を起こす時期でもなかった。中国皇帝も批准したのであれば、チャンキャ・ホトクトを派遣し、宝物を持って六世の登位儀式に参加したほうがよいという判断を下した。権勢のある人ほど権勢を失い、零落することを恐れるものである。彼らは心の中の帳簿にマイナスを書き記した。
十月二十五日はゲルク派の始祖ツォンカパの命日であり、しかも誕生日だった。本来この日は家々で火を灯し、祝うので、燃灯節と呼ばれる。それにさらにダライラマ六世登位の大典が加わり、世間は過熱し、お祝い一色となった。摂政サンギェ・ギャツォの命によって、人々は街路を掃き清め、かつてなかったほどきれいになった。樹上の枯葉もみなが取り払った。
当のツァンヤン・ギャツォが香を焚きこんだ黄色の法衣を着て、大型の御輿に乗ってラサに入るとき、あらゆる屋根の上にはさまざまな幡、傘、旗が翻り、沿道では杜松の枝が燃やされ、法螺貝、喇叭が吹かれ、太鼓、銅鑼が鳴らされた。いたるところで人々は頭を地面にこすりつけ、彼に向かって拝した。身分の高い者から低い者まですべての人が表に出ていた。色鮮やかな衣服、めでたい歌や踊り、雪のように白いカタ……ああ、これがラサだ! ラサとはこんなにきれいで人の心を奪うものなのか。ツァンヤン・ギャツォは陶酔し、すこし自慢したくもなった。落成したばかりの赤、白、黄三色がまぶしいポラ宮、そこへツァンヤン・ギャツォのおでましだ!
貧しくて身分の高くなかった少年詩人ツァンヤン・ギャツォは、ここにダライラマ六世となった。
彼はポタラ宮紅宮第四層集会殿の無畏獅子大宝座に坐り、群衆の礼拝を受けた。それはあたかも信じがたい奇怪な夢のようだった。
⇒ つぎ