ダライラマ六世、その愛と死 

宮本神酒男翻訳 

 Photo:Mikio Miyamoto

18 観想と還俗 

 ツァンヤン・ギャツォとユドン・ドルカルは激しく愛し合った。

 彼らは昼間、酒店で会うのがせいぜいだった。ふたりの都合を合わせるのは簡単ではなかったのだ。客が多くて店が混雑するときがあった。とくに金持ちや権勢のある人々が来た場合、部屋すべてが貸し切りになってしまうのだった。そのようなときはふたりきりで過ごすことができなかった。このような状況下では、かえって彼の愛の炎はますます燃え盛ることになったのだけれど。まさにこのときにうたった詩がつぎの一首である。

 

あまたの人の中にいて 

われらの秘密をさらす必要はない 

あなたの心の奥深くにある愛情を 

その眉と目によって伝えておくれ 

 

 互いに愛し合っているのに、それを表に出すことができない。それがツァンヤン・ギャツォに新たな、そしてより深刻な煩悩をもたらすことになった。彼は激しく書きつづった。

 

はじめから出会わなければよかったのだ 

そうすれば精神が乱れることもなかっただろうに 

そもそも知らなければよかったのだ 

そうすれば心がぐるぐる回ることもなかっただろうに 

 

 寝宮がもっとも安全で過ごしやすかった。とはいってもダライラマの住居であるためには、女人禁制が守られなければならなかった。彼は落ち合う地点をポタラ宮の後ろの公園内にすることを考えた。しかし冬のリンカ(囲いのある園)はとても寒く草木が生えていなかった。タルゲネの肉屋にすることも考えた。しかしそこはかなり遠く、彼は特別な友人だとはいえ、一日中人でごった返してかまびすしく、最適の場所には程遠かった。考えれば考えるほど、ユドン・ドルカルの家以外にいい場所はないということになった。その考えを何度か彼女に伝えたが、彼女からの返答はなかった。

 ユドン・ドルカルは両目を失明している父をだまして、若者ひとりをたくみに家の中に引き入れるというようなことをしたくなかった。熱愛している恋人がいることを話したくなかった。不幸な老人に娘を失うかもしれないと考えてもらいたくなかった。彼女はタンサン・ワンポとタルチンネが余儀なく作ることになった文書を完全に信じていた。すなわちタンサン・ワンポの父親が北京から戻ってくる前に恋人を家に入れることはできなかったのである。この「父親」はいったい朝廷のどんな官職に就いているのか。結局のところ申(さる)年の馬月に戻ってこられるのか、だれがわかるだろうか。彼女は恋人と会う場所すら提供できないことに気がとがめた。彼女自身がそれを必要としていたのだが。

 ユドン・ドルカルの父ドルジェは聡明な老人だった。このところ娘があまり話さなくなり、プルを織る織機の鈍重な音だけが響き渡ることが多くなっていた。彼は心の中で想像をめぐらせた。牛が草を食べないということは、牛が病気ということだ。人がしゃべらないということは、人が憂えているということだ。娘には何か悩みごとがあるにちがいない。彼はずっと前から娘のことを称賛していた。その姿は子羊のようにかろやかでしなやか、とてもかわいらしいと。その声はホトトギスのように耳に心地よいと。しかしいま娘の姿は見えず、声も聞けなかった。このことは彼を非常に苦しめた。彼はかつて言い難いことをことわざが示しているように思った。「子供は違う人でも(本当の親でなくても)喜ぶが、年取った人は違ってなくても(本当の親でも)喜ばない」。彼はまた考えた、いや、それはない、と。ユドン・ドルカルは善良なる親孝行娘、何年も実の父親のように父につかえてきたではないか。あれこれと考えるうち、突然すべてがあきらかになった。自分の頭をたたきながら言った、「おまえはなんて馬鹿者なんだ! 娘が心を奪われていることなんて何かきまっているじゃないか!」

 プルの織機が動きを止めたすきに乗じて老人は叫んだ。「ユドン!」

「はい」彼女は即座に答え、そばに寄ってきた父に言った。「父さん、どうしたの」

「娘よ、正直に答えてくれ。おまえ、男友だちができたんじゃないのか」

「……」ユドン・ドルカルは言葉を失った。

「言っておくれ」老人の求める口調には母の慈愛も含まれていた。

「そうよ」彼女はもう隠し立てをしようとはしなかった。「父さん、怒ってる?」

「おまえ、その男のことが好きなのか」

「とても好きです」

「トプテンに似たところはないだろうな」

「まったくありません」

「その男と結婚したいと願っているのか」

「願っているわ。お父さま以外は……」ユドン・ドルカルは織機を置き、老人のそばに寄った。

「わしを除き……。わしはもうおまえに疲れたよ。早くあちらの世界に行きたいもんじゃよ」

「お父さん、そんなことおっしゃらないで。お父さま以外には答えたという意味で言ったのよ。心の底から喜んでこたえたいわ。でも結婚はできないの。ラサの八瑞相(タシタゲ)山に誓います!」ユドン・ドルカルは老人の代わりに涙をぬぐった。

「われらの家においでなさるようその方に言いなさい。じっくりとその方のことを理解したいものじゃ。それから返事をすることになろう。わが子よ、俗にも言うであろう。老いた牛の肉は噛みごたえがある、老人の話にも聞きごたえがある、とな。わしの意見を尊重してくれたらありがたいものよ」

「お父さん! やはりわたしのお父さんだわ!」彼女は片膝をついて老人の涙に濡れた頬に唇を寄せた。この老人にさらに何を求めるというのか。すでに十分満足だった。タンサン・ワンポはここに来て会うことができるのだ。結婚は何年かあとだってかまわない。あわてることはない。右足を踏み出すのは左足が着地してからでいいのだ。

 このとき以来ツァンヤン・ギャツォは彼女の家にやってきて、逢う瀬を楽しむことができるようになった。ドルジェは彼の言葉が非凡であることに気づき、次第に好感を持つようになった。そのうち彼がやってくる頃を見計らって、門の外の石の上で陽を浴びるようになった。

 タルゲネは少年時代からの幼なじみに満足できる恋人を紹介することができてうれしかった。唯一不安があるとすれば、ユドン・ドルカル父娘の生活が清貧であることだった。直接彼女にお金を渡すということも考えた。しかしこれは妥当ではないだろう。以前、ツァンヤン・ギャツォにお金を渡そうとして拒絶されたことがあった。ほかにどうやって彼らを助けることができるだろうか。最終的に彼はいい方法を考え付いた。まず友だちに頼んで、機会を見てユドン・ドルカルのプルを高い値段で買う。同時に安い値段で羊毛や染料を買う。またほかの友だちがユドン・ドルカルの家につねに行くようにし、安い値段で牛肉や羊肉、ザンパを売る。このようにして幼なじみの恋人の家の生活を保証し、一定の水準を保つようにしたのである。タルチンネはこの結果自分の肉屋がつぶれることになったとしても、やってみる価値があると思った。またこのことをツァンヤン・ギャツォとユドン・ドルカルには永遠に知らせないようにしようと決意した。

 ツァンヤン・ギャツォは恋人の家で蜜月を過ごした。喜びはこの上なく、おごりたかぶっていた面があったかもしれない。会う人すべてに話したかったが、実際タルゲネとヤンツォン以外に外部の人が知ることはなかった。彼は詩の中にだけ気持ちを吐露した。そのなかにつぎの二首がある。

 

インドの東方に孔雀あり 

コンポの奥深くにインコあり 

生まれた地ははるか離れていたのに 

ラサに至ってひとつになった 

 

濃くて芳しい香りの漢地のお茶を 

ツァンパに注いでかき混ぜれば放たれる香りは天下一品 

目の前の愛する人よ 

横から見ても縦から見ても比類のない美しさよ 


 こうした動きを摂政サンギェ・ギャツォはすぐにつかんでいた。



 ユドン・ドルカルの家の隣にルジャム・ツェマという名の老婆が住んでいた。このようないい名前を持っていたためか、彼女は傲慢な人生を送っていた。現在にいたるまで彼女は名前の前に「わたし」を付けなければならなかった。つまり「わたしルジャム・ツェマ」と言わなければならなかった。というのもルジャム・ツェマというのは伝説的な英雄ケサル王の第十二王妃だったからである。彼女には息子も娘もなく、独り身だった。若い時の恋人たちが助けてくれるので、生活に困ることはなかった。

 彼女はおしゃべり好きの女として知られていた。人の家の私的なことを聞くのが好きだった。だれが何を食べたとか、どこの家にどんな客が来たとか、だれだれはどんな衣服を買い足したかとか、だれの家の犬が人を噛んだとか、だれかの子供の頭にかさぶたができているとか、どこぞの家の娘はまた男を替えたとか、こういったことすべてに彼女は関心があり、重要なこととして注目した。しかしそれらはすべてとらえどころのない話なので、それらに尾ひれを付け、面白い話にして四方に拡散したのである。ある人が彼女の面前で良し悪しを好みで語るのはよくないと言ったところで、彼女はどこ吹く風といったところだった。もうすっかりおしゃべり中毒になっていたので、自分を戒めようとしてもできなかった。できないどころか自戒する意思すらなかったのである。それが彼女にとって慰めであり、唯一の趣味であり、精神を安定させるものだった。そうでなければ、彼女はどうなってしまうのだろうか。当然のことながら、おしゃべりは職業ではなかった。ただし職業的でないこの種の職業の熱愛、誠実、専念の度合いは、これを本職とする多くのまじめな人にははるかに及ばなかった。

 ルジャム・ツェマに対して普通の人々は嫌悪するだけで、理解しようとはしなかった。彼女にもかつて黄金時代があった。若いころ、見た目は美しく、加えて一般の女性にはないはなやかさがあり、多くの若者をとりこにした。またこの十二王妃の名前によって人々の強い印象を与えた。いま、彼女は年を取った。まさに秋になると花が枯れて萎れていくのと同様、年齢を重ねて青春は萎み落ちるのだ。彼女の基本的な「自身」は永遠に失地を挽回することができない。この生、この世がふたたびやってくることはないのだ。人の力、仏法、天ほどの権力、山のごとき宝、これらがどれだけの力を持つだろうか。太古の昔より走り続ける時間の車輪の前ではそれらは無力である。

 しかしながら必然の変化を心穏やかにどっしりとかまえて受け止め、老衰の来臨を迎えることのできる者などいない。ある人は有益なことをやって生命の価値を高めようとする。ある人は時間を惜しんで寿命を延ばそうとする。ある人は不朽の虚名を得ようとする。ある人は飲み食い遊びを楽しみ、避けられない死の補償の前渡しをしようとする。さらにある人は新しく生まれたもの、美しいもの、魅力的なものに対しこだわり、嫉妬し、恨み、二度と得られないものすべてを破壊しようとする。これがルジャム・ツェマの黄変した古い真珠(老いた女性のたとえ)の心理である。

 ユドン・ドルカルの家に土室(つちむろ)があり、小路地に面した壁にそれほど大きくない窓があった。その窓の格子の上には布ほど厚い蔵紙(伝統的な和紙のような紙)が貼りつけられているだけで、防音はされていなかった。噂話の種になりそうな音でも聞こえないかと、ルジャム・ツェマは幽霊のように窓の下をふらついた。なじみのない男の声が聞こえたときには興奮の絶頂に達した。彼女は何度も息を止め、冷たい風の中、耳をそばだてて盗み聞きした。そしてついにふたりだけでなく、もうひとりだれかがいることをつきとめた。それだけでは十分ではなかったので、彼女はタンサン・ワンポがどこにいるかに注意を払うようになり、それについてもかなりわかってきた。それでも満足しなかった彼女は噂話を広めに行くかわりに、人が出てくるのを待った。出てきたのはトプテンだった。

 彼女はトプテンの前に飛び出ると、熱を込めて呼びかけた。「トプテンさん、あなたの袈裟姿、とてもすてきだこと。あなたはあの寺院のお坊さんなの?」

「わたしはここにいます」トプテンは五本の指を閉じた手で前方を示した。その先にあるのはポタラ宮だった。

 ルジャム・ツェマは習慣からすぐにひそひそ声でしゃべりはじめた。「あなたにひとつ伝えたいことがあるわ。絶対、口外しないでね。あなたの恋人のユドン・ドルカルにはもうひとり恋人がいるの!」

「彼女はもはやわたしの恋人ではない」トプテンは冷ややかに言った。「わたしは仏門に入った者。このことについて論じるつもりはない」

「まあ、よく言われるように、猫はネズミのにおいがわからない、ラマは女人を見てもわからない、と言うからね。あんたら仏門の弟子がみな規則を守っているとは限らんからね。大ラマだって浮名を流すことも多かった。大ラマだけ羊を殺してもいいというわけにはいかない。小坊主には浣腸が許されるってわけにいかない。彼女がいい娘だったとしても、あんたと彼女がきっぱり別れたとは信じないからね」

「そのとおりだ。仏を信じるように女を信じることはできない。仏を信じれば来世は幸せになるだろうが、女を信じればこの一生が煩悩となるだろう」トプテンはそう言いながら歩いて去っていった。 

 ルジャム・ツェマはひどくがっかりした。そして身を翻してユドン・ドルカルの家の窓の下まで歩くと、ペッと唾を吐き捨てた。そしてまた身を転じ、三十年前の恋人の家にお金を「借りに」行った。 

 こうしてこの件は落着したかのようだった。ところが翌日正午頃、ルジャム・ツェマは寺院に替わって租税を徴収して戻ってきたトプテンと偶然会った。

「おや、トプテンさん、ちょっと」彼女は彼を追いかけながら言った。「きのう言い忘れていたことがあった。これだけは言っておかなくちゃ」

「そんな重大なこと?」彼は煩わしそうに言った。

「ユドン・ドルカルの新しい恋人のことだけど、あんたんとこ、ポタラ宮のほうから来て、ポタラ宮のほうへ帰っていったんだよ」

「僧侶だったのか? それとも俗人?」とトプテンは聞いた。

「僧侶みたいな恰好をしていたけど、ありゃ俗人だね」

「ポタラ宮内の寺院ってことか。ありえないな。見間違いだろう」

「見間違いなんてありえないよ。これは本当の話。八割方はあんたそっくりのラマだった。服を着替えて出てきたらあんたに替わって仏教儀礼ができそうな娘になっていた……」

 トプテンはポタラ宮に戻る途中、僧侶の読経を聞きながら、ルジャム・ツェマの話を思い返していた。彼はすでに仏教を信じなくなっていた。権力信仰に鞍替えしていたのだ。なぜなら仏を信じても来世がよくなるにすぎず、一方権力を手に入れれば現世で甘い汁を吸うことができるからだ。彼が知るところでは、現世にはふたりの権力者がいた。ひとりは北京の朝廷に鎮座する皇帝であり、ひとりはデシの座にいるサンギェ・ギャツォだった。皇帝はあまりにも遠く、玉座はあまりに高かった。死んでもその尊顔を拝むことができないだろう。デシは目の前まで近づくことができた。三歩近づけば自分の運命が変わるかもしれない。立身出世だってありうる。一歩目で彼の好感を得る。二歩目で彼に認めてもらう。三歩目で彼に重用してもらうわけだ。こうなるためには細かいことまで彼に報告し、彼の耳目を満足させなければならない。権力者自身は耳目が多すぎることを望んでないのではないか。トプテンはルジャム・ツェマが提供してくれた情報によってデシから認められる機会を得たと考えた。そして彼はデシに謁見を求めた。政府の一僧官は彼に「デシどのは巡察に出ていらっしゃる、といってもラサ郊外のトゥルン・デチェン(堆竜徳慶)だが。三日後にはお帰りになる予定だ。しかしなぜそなたはダライラマ猊下と会おうとせんのだ」と言った。

 トプテンは当然デシよりもダライラマのほうが地位が高いことを知っていた。同時にこのダライラマ六世が非常に若く、政治的なこと、事務的なことに熱心でないことも知っていた。実力者として必要とされるデシとは似ても似つかないのではないかと恐れた。デシの力に身を寄せ、大きな後ろ盾ができたと思い込んでいるのではないか。彼はまた考えた。虎には十八種類の跳躍があり、狐には19の穿つことのできる洞窟があるという。二つの船があるなら、その両方に足をかけてもいいではないか。彼は先にダライラマ六世に謁見を求めることにした。

 ツァンヤン・ギャツォは愉快に思いながら謁見を許可した。

 トプテンはひどく恐縮しながら六世の足元にひざまずいた。彼は六世に頭のてっぺんを撫でるように求め、上質のカタ(吉祥のスカーフ)を献上した。

「おまえもわたしも同じ仏門に身を捧げる者。気がねせずに何でも話すがよかろう」六世は和やかに言った。

「熱い茶壺から出るお茶は熱いといいます。誠実な人間から出る話は真実の話なのです。諸仏はわたしを誠実であると信頼してくれています」トプテンは顔を絨毯に向けたまま、ごく普通に話すことを宣誓した。

「さあ、話して」六世は背中を押した。

「根のない草は地上に育たないといいます。人は根のない話をすることはできません。仏の前でわたしは荒唐無稽な話はいたしません」トプテンはことわざを引用して話をはじめた。

「さあ、話して」話の前段が長いのでいくぶん嫌気がさしていた。

「仏さまに報告します。宮廷内に規則を守らない輩がいます」

「どのように?」

「わたし自身が人から聞きました。ある人物がいつも女の家を訪ねているそうです」

 ツァンヤン・ギャツォはギョッとした。うまいぐあいにトプテンは頭を下げたままなので、彼の顔色の変化に気づいていないだろう。少し待って彼は厳しい声で追及した。「それはだれなのか」

「わかりません。ただ彼がポタラ宮より来て、ポタラ宮に帰っていったと聞きました。その女ですが、以前からの知り合いです。生きた幽霊とでも言っておきましょうか」

「女の名は何と言う?」

「ユドン・ドルカルです」

 ツァンヤン・ギャツォの頭の中でゴーンという音が鳴り響いていた。ユドン・ドルカルは清らかな仙女である。それなのに生きた幽霊だと? ユドン・ドルカルを侮辱することは何人であれ許されなかった。

「おまえの名は?」六世は怒りの炎を押し消した。

「トプテンです」トプテンはそう答えたが、ダライラマが聞き取れなかったのではないか、そして規則を維持するために功のあった家臣の名を覚えられないのではないかと思い、重ねて言った。「トプテンです。ナムギャル・タツァンのトプテンと申します」。彼はいい気になっていた。仏さまからの好感を得たと思ったのだ。ただし六世が何か知っているはずはなかった。「虎を射止めたいと思うのなら、まずはトンビを射止めよ」というではないか。

 彼を恨んで蹴飛ばすというわけにはいかなかった。ここはじっと我慢するしかなかった。

「わかった。このことはほかの人に言うんじゃないぞ。よく調査してわたし自身で処理するつもりだ。さあ、下がってもいいぞ」ツァンヤン・ギャツォは彼に向かって手を振ったというより、蹴っ飛ばそうとしているかのようだった。

「はい、わかりました。召喚されるのをお待ちします」

 トプテンは繰り返し叩頭した。そして後ろ向きに下がって退出した。


 トプテンは何日間か待ったが、六世から召喚されることはなかった。密告は当初予期していたようには目的通りにならなかったと彼は考えた。デシはすでに巡視から戻っていたが、それはつまり六世の約束の言葉は果たされていないということだった。デシにはもう一度報告しなければならなかった。デシはトプテンの報告を称賛したが、同時にこのことを漏らさないよう厳命した。

 デシは腹心の部下をルジャム・ツェマのもとへ送った。ひそかに聞き込み調査をおこなったところ、ユドン・ドルカルの家に通っている青年はダライラマ六世と断定することができた。熟慮を重ねた結果、直接ダライラマ六世に問いただすよりは、メンツをつぶさない、ある種正々堂々としたやりかたのほうがいいという結論に至った。つまりツァンヤン・ギャツォの彼女に対する気持ちが冷めるのを待つのである。しかし彼の愛情が冷めたあと、政治・宗教に悪影響が出るのを防ぐことはできそうになかった。

 サンギェ・ギャツォは最終的にいい方法を考えついた。彼は三大寺院(セラ、デプン、ガンデン)のケンポ(住持)の名を借りて六世に奏上した。「あなたさまはすでにゲロンの戒を受ける年齢に達しておられます。僧侶みなで建議いたしましたのは、山里で閉関修業をすべきということです」

 ツァンヤン・ギャツォからすれば当然拒絶する理由がなかった。あきらかなのは、あのトプテンがデシに情報提供したことだった。デシが自ら手立てを講じたのだろう。彼はトプテンに報復しようとは思わなかった。報復なんてものを彼はしたことがなく、むしろさげすんでいた。とはいえ甘受するのもまた人間が小さいと言えるだろう。彼は自分の高い身分を使って言い訳を探した。そして体調がすぐれないのでしばらくは山に入ることができないと称した。こうして修業をずるずると引き伸ばすことができた。だれだって彼に修業を強いることができないのはあきらかだった。

 彼は腰に巻いていた縄が胸にまでずれ、それが胸を締めつけはじめたように感じた。縄の一方の端を握っているのはユドン・ドルカルだった。もう一方の端を握るのはデシ・サンギェ・ギャツォだった。もちろんデシは近づいていって彼を窒息させることもできた。

 彼はユドン・ドルカルに対して感謝の念でいっぱいだったが、後ろめたい気持ちもあった。感謝の念を持ったのは、深い妙なる愛情を注いでくれたからであり、黄金の屋根の牢獄の外の果てしなく青い天空に至らしめてくれたからだった。後ろめたかったのは、彼女と結婚することのできないダライラマであることを隠していたからだった。彼はサンギェ・ギャツォに対しても感謝の念を抱いていたが、憎く、恨めしくもあった。感謝の念というのは、つまるところツァンヤン・ギャツォの地位を尊重し、顔を立ててくれ、愛護の心から修業を勧めてくれたことである。憎く恨めしいのは、黄教(ゲルク派)の規則を死守し、厳粛さを保ち、彼に清らかな若者であることを求め、普通の青年であること、紅教(ニンマ派)のような生活をすることを許さなかったことである。

 いま修業をするならば、彼の心が病むのはまちがいなかった。彼の情緒はかき乱され、感情はさらに複雑になった。

 彼は何日間もよく考えた。もしデシでなく、ユドン・ドルカルが彼に修業することを望んでいるなら、彼は自覚し、自ら願うこともでき、修業を延期する必要はないだろう。また体の不調を訴えることもできない。彼は書きつづった。

 

恋い慕う心の君よ 

もし法を学ぶため修業の必要があるなら 

若者である私は迷うことがない 

すぐにあの深山の洞窟へ向かおう 

 

 あるときつぎのような考えが閃いた。思い切って修業に行くのもいいだろう。自ら煩悩について聞くこともないだろう。仏教を学ぶなかで研鑽するのも、仏教の海の中で漫遊するのも、慰めになるのである。少なからぬ人が幼いうちに寺に入り、寺の中で老い、死んでいく。これなら一生規則に反することもないだろう。わが身はあらかじめダライラマである。この法縁があるのに、なぜ不安にならなければならないのか。とはいっても結局のところこのような決心をすることはできないだろう。現実のものは、虚像よりも力がある。民間の陽光は寺の中の油の灯火よりもはるかに明るい。花が咲き誇るユドン・ドルカルでさえも彼の心の中で枯れ落ちるときがあるだろう。このような矛盾は彼の詩にも影響を与えている。

 

もし心の妹の本心によるなら 

今生において法縁を絶つべし 

もし深山に修業に行くなら 

娘の願いに背いていることになる 

 

 結果として彼は先延ばしにして、修業には行かない。率直に彼は詩をつづっている。

 

恋人はいつまでも美しい 

さらに心は離れがたくなっている 

いま山に入り修業をする必要があるとしても 

出発を延ばし、また延ばすだろう 

 

 デシ・サンギェ・ギャツォにとっては、もともとの提案を修正するほかなかった。ツァンヤン・ギャツォに言った。「猊下のお体は不安定ですので、山中で修業するのはよろしくないでしょう。そのかわりに毎日宮中で黙思をおこなってください」

 この方針をツァンヤン・ギャツォは喜んで受け入れた。

 黙思というのは仏教用語で、観想を意味していた。毎日静かに座し、心中に自身が修すべき神の像を思い浮かべるのである。

 彼はどのように黙思を実践したのか。彼が書きつづったいくつかの有名な詩を見ていこう。

 

師の尊いお顔を観想しようとするも 

思い浮かべることすらむつかしいのはなぜ 

思い浮かべようとしなくても 

愛する人の顔は心に浮かんでくるのに 

 

この苦心とやらで 

仏法の上面だけ拝むことができる 

すなわち今のこの世にあって 

悟りを開くだけならかえってむつかしくない 

 

高徳のラマの前に行き 

わが行くべき道を求めるも 

心はもう遠くへ行ってしまった 

愛する人のもとへ走って行ってしまった 

 

 こうしてついに彼は黙思を実践することができなかった。ただユドン・ドルカルのもとへ行きたいと願うばかりだった。でもどうやってポタラ宮を出ればいいのか。ユドン・ドルカルがここに来られればいいのに。でもどうやって? 献花の供え物ならともかく、彼女がポタラ宮の奥深くまでやってくることはありえなかった。ああ、ゼニアオイのように美しい娘。献花の供え物なら、喜んで仏殿へ行き、黙思を実践するのに。

 彼はまた一首詩を書きつづった。

 

生気あふれるゼニアオイの花 

もしこれで献花を作るなら 

わたしは若い蜂となって 

仏殿の中までついて入っていくのに 


 胸を締めていた縄が首まで移動しているように感じた。冷たい現実によって首が絞められるさまを彼はありありと想像した。息苦しさと煩わしさは頂点に達した。彼はいやな思いをするだけの黙思をきっぱりと放棄し、仏殿の中に入るのを拒絶した。

 汗(ハーン)の地位を継承したばかりのモンゴル・ホショト部のラザン汗の両耳に、密偵や密告者の口からツァンヤン・ギャツォが浮名を流していること、そして思いがけないことにジュンガル部新首領のツェワン・アラブダンが六世は本当のダライラマではないとの連合声明を発表したことなどを告げた。ツァンヤン・ギャツォはこうした状況を知っていたが、ただ笑うだけで、意に介さなかった。すでに心の準備はできていた。

 デシ・サンギェ・ギャツォは恐れおののいた。彼の我慢は極限を越えていた。ただしこのダライラマに関してはどうすることもできなかった。六世こそは彼が進める政治の「賭け」の元手だった。頭上に載せた瑪瑙のお盆を打ち砕くわけにはいかなかった。ではどうすればいいのか。考えに考えたすえ、彼は六世の師であるパンチェンラマ五世に助けを求めることにした。

 しばらくするとパンチェンラマ五世から書簡が届いた。ダライラマ六世にツァンのシガツェを来訪するよう正式に要請したのである。タシルンポ僧院でパンチェンラマ自らが六世のゲロン戒(比丘戒)の儀礼を主持し、奔放な六世をいさめ導くつもりだった。

 ツァンヤン・ギャツォはシガツェに行くことを快諾した。おそらくはこのことが非常に重要と考えられたからだろう。またおそらくこの盛大な儀礼に参加するのは当然とされたからだろう。またほかに理由があるにせよ、デシ・サンギェ・ギャツォ、モンゴルのラザン汗、三大寺のケンポ(寺主)全員がそろって赴こうとしていた。

 これは康煕四十一年(1702年)のことである。ツァンヤン・ギャツォは旅の途上でずっと立腹が収まらず、黙っていた。デプン寺、トゥルンデチェン、ヤンパーチェン、ナムリン……こういった有名な場所を何も考えずに訪れた。しかし彼の顔には笑顔が浮かんでいた。ヤルツァンポ川やニェンチュ川の流れもそれを押し流すことはできなかった。

 彼はなぜ笑みを浮かべることができたのか。それは彼の心が引きつっていたからである。黄色の錦の緞子に覆われた駕籠に乗り、外は一切見ることができなかった。駕籠は起伏に沿って大きく揺れた。まるで根も枝もない落葉が川に落ち、波間に揺られているかのようだった。シガツェに行く目的ははっきりしていた。パンチェンラマがここにいるためである。しかし生きる目的は見失われていた。

 駕籠の外は馬のいななきや蹄の音がかまびすしく入り乱れていた。彼の心もまた激しく乱れた。王侯貴族、大臣、高僧、武官、侍従、随行、こういった人々でごった返していた。それぞれが地位や身分に応じて列を作り、馬の頭半分の隙もなくあとにつづいた。この壮観な行列に宗教界、政界、軍事関係の重要人物が含まれていた。彼らはあるときは考え込み、あるときはぼそぼそと話し、あるときは自信たっぷりで、あるときは慎重になった。

 ツァンヤン・ギャツォが常々感じていたのは、彼らはとても身ぎれいで、頭や耳まででっぷりと太っていたが、その外貌と公明正大にほど遠い内面との不一致がはなはだしかったことである。彼らは総じて他人の命運を食いつぶして自分の命運を勝利に導いていた。世間のたくさんの人が自分を偉く見せようとし、自分への経緯や羨望を願っている。ツァンヤン・ギャツォは彼らがとてもかわいそうだと思った。彼らにとっては自分のことこそが重要で、衆生のために賞賛すべき価値あることをする者はいなかった。彼らの間にはしばしば腹の探り合いがあり、時には表立って、時には陰で、相手の弱点をつかもうとした。相手の暗部を使って明るい部分を得ようとするのである。ああ、生きていくのはなんとむつかしいことか。

 またツァンヤン・ギャツォは悟った、自分自身はもっと不幸ではないのかと。彼はまさにこうした人々の真っただ中で両側からはさまれて連れていかれようとしているのではないか。そしてそこから脱することができないのではないのか。彼らの間ではしばらくの間妥協して耐え忍び、一定時間のうちに事なきにいたることもできるだろう。しかしツァンヤン・ギャツォはそうした妥協すら許されないのだ。地位に関して言えば彼は彼らより上だった。考えに関して言えば、彼は蚊帳の外だった。自由に関して言えば、彼は彼ら以下だった。なんという矛盾……。

 ツァンヤン・ギャツォはときおりすだれを上げて駕籠の外を見た。路面は掃かれてきれいになり、道路の脇にはところどころ松の枝が束ねられ、燃やされていた。その香気は広い山野に広がり、低い村の家々の間に流れていった。路傍には何千何万もの農民や牧民がひざまずき、銀貨やバター、ツァンパなどが白いカタとともに駕籠の前に献上された。ツァンヤン・ギャツォは自分よりも彼らのほうが不幸であると感じた。自らの言葉に熱い涙を流したのは一度ではなかった。

「あなたがたは幸福を求めてわたしに向かって祈っている。ではわが幸福はだれに向かって祈ればいいのだろうか」

 道すがら彼は自分が生きていける道を探した。しかしそのようなものは出てこなかった。彼は考えた。デシが暗示したように政治、宗教の重要なことにはかかわらないほうがいいだろう。これはもう実際試してきたことだ。ただしこれで困難な状況を脱したことにはならない。デシとラザン汗は別の方向に流れる激流だ。わが身はその間で翻弄され、いつ渦巻に巻き込まれても不思議でない。わが衣服は濡れ始めたばかり。いつかは巻き込まれて水底に沈むことになるかもしれない。宗教に没頭し、黙思修業を試みてみた。しかし私は禅定に入ることはできなかった。俗縁はあっても、いくつかの詩をものにしたこと以外は別段収穫もなく、仏縁はなかった。愛する人のことを忘れ、感情を抑圧しようと試みてはみたが、失敗に終わった。もし彼女が私のことを愛していないなら、あるいは私が彼女を愛するほどには私のことを愛していないならば、すこしはよかった。しかしふたりはぴったりと息があい、相思相愛なのだ。遊園や弓矢、演奏や歌、酒などを楽しんで気を紛らわせたりもしたものの、そのあとにはさらなる苦痛がやってくるのだった。

 実際ほかに方法はなかった。このがんじがらめの状況からどうしても脱出のしようがなかった。あるとすれば、それは今の地位をなげうつことだった。つまり袈裟を脱ぐということ。このような決心をする機会は二度とないだろう。あっても時すでに遅しである。今しかその機会はない。

 彼はまたすだれをめくった。タシルンポ寺の金色の屋根が陽光を浴びて輝いていた。シガツェはすぐそこだ。彼に戒を授けるパンチェンラマ五世はそこにいるだろう。彼はもう我慢できなくなっていた。猶予はなかった。時間と地点はぴったりで、成功しようが失敗しようが、運命は落ち着く先に落ち着くだろう。

 彼がタシルンポ寺に到着したとき、彼より大柄で二十歳のパンチェンラマ五世ロサン・イェシェは、長い距離を歩いて六世を出迎えようとしていた。しかしツァンヤン・ギャツォは走ってパンチェンラマのもとへ行き、袈裟を脱ぎ、両手を上げて師の前でひざまずき、両手をついた。まるで子供が泣くように彼はわめいた。

「私はゲロン戒(比丘戒)を受けませぬ! 以前受けたゲツル戒(沙弥戒)もあなたにお返しします! 私は自由な生活を望んでいるのです!」

 パンチェンラマ五世は茫然とした。このようなことになるとは想像すらしていなかった。そのあと半日彼は話すことができなかった。

 三大寺のケンポ、ラザン汗、デシ・サンギェ・ギャツォらがちょうどそのとき到着した。そして戒を受けることをすすめた。ある人は涙を流しながら懇願した。ある人は六世は精神的な病を発したのだから、何よりも休息が必要だと言った。しかし休息しても何の効果もなかった。

 ダライラマ自身はもう十分だと思った。

 本来なら十分ではなかったのだが。




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