大理彷徨
エピソード1 夜中の二時頃、久しぶりに会った友人と路地裏を歩いていた
夜中の二時頃、雲南省大理市(新市街)の路地裏を久しぶりに会った友人とおしゃべりをしながら歩いていた。人の多い町とはいえ、家の明かりはすべて消え、ひっそりと静まり返り、未舗装の裏通りはところどころ裸電球が灯っているだけで、全体が薄暗い緞帳に覆われているかのようだった。
友人と最後に会ったのは何年も前で、東銀座の街角のどこかでばったりと出会った。当時の私は何かの雑誌の編集者か、広告の仕事かをやっていたはずで、よりクリエイティブな演劇の方面で順調に進んでいた彼を多少はうらやましくも思った。お互いに今やっていることを話しながら、相手が取り組んでいることに魅了された。
彼は有名な喜劇俳優の非嫡子で、隠しても隠し切れない才能を感じさせた。
私は道の数十メートル先の裸電球のもとに、ぽつんと乳母車が置き去りにされていることに気がついた。いったいどういうことだろうか。友人もあれは何だろうと怪訝な表情を見せている。
「乳母車だよ。赤ん坊がいる。すやすやと眠っているようだ」と私はレポーターのように描写した。
乳母車まであと五メートルというところで、私たちの足は止まった。
赤ん坊はあきらかに死んでいた。深く眠っているのでなく、呼吸をしていないのだ。顔は土砂のように無機質だった。
私はギョッとして隣の友人の顔をうかがった。しかしそこに友人はいなかった。友人は何年も前に骨髄の病気で若くして亡くなっていたことを思い出した。歩きながら友人は何度もガールフレンドのことが心配だと打ち明けていた。亡くなったあとも、心配でたまらなかったのだろう。
私たちが歩いてきた道には誰もいなかった。犬や猫もいなかった。乳母車に視線を戻すと、死んだ赤ん坊はなく、猫車に大きな石が積んであるだけだった。死んだ赤ん坊がいなかったことに私はホッとして、道を歩き続けた。
1993年1月末に広西チワン族自治区北西部で大きな怪我(腰だけでなく頭部にひどい傷を負っていた)をしたあと、3月頃に私は大理市で気がふれたように眠ることなく何日もさまよっていた。このときの私はあきらかに彷徨する狂人だったのだが、こんな幻覚も、記憶として残っているのだ。ある意味、鮮烈な思い出ともいえる。