8章 

(*この章に登場するモパ、ラマ、ゴムチェン、隠者、ラパルチェン、チュジャクは同一人物を指している。チュジャクのみ人物名)

 センチャン・ドゥクモと国王の兄弟クルナク、クルセルは、彼らの発した警告にクルカル王が耳を傾けなくなった様子を見て心配になった。どこから来たかだれも知らない少年の奇妙な行為にも眼をつむっていたのである。

 そこで彼らは力をあわせて国王の猜疑心を呼び覚まし、モパ(占い師)の霊能力を通じて、少年の正体とホルに留まっている理由を探らせることにした。

 このことをわからせるために、彼らは国王に会いに行った。

「兄弟よ」とクルナクは話しかけた。「家族やホルの民衆はみなあんたのことを深く心配しておる。鍛冶師の娘が小僧を見つけたのはちょうど一年前のことだ。まさにその日、謎めいた隊商が、跡形もなく消えたのを覚えておられるか。

その日以来、小僧の行動に、われらは振り回されてきた。あんなちっぽけな体で自ら動く驚異の人形を作り出し、山をも動かすわれらの怪力の巨兵をいとも簡単に殺した。あいつは、廷臣のなかでもっとも賢い宰相を食った獰猛な人食い虎を、苦も無く生け捕りにしやがった。

しかもあいつはこの恐ろしい獣を森に放した。あんたに動物の皮を渡したが、ほんとうに虎を殺したかどうかはあやしいぞ。あいつは犬を飼っていたからな。どれもこれも怪異なことばかりだ。おれたちはあんたに、この件に関し、モパに占ってもらいたいと考えているのだ」

「わしは虎がここにいるとき、悪い夢を見た」とクルカル王は言う。「あの小僧はケサルだったのか? それはありえんだろう。ケサルがいなくなってから10年近くもたつのだ。もしケサルが生きているとしても、リン国の敗北の復讐にそんなに時間をかけるはずがない。だがそのへんのことを確かめる必要はあるだろう」

 ディクチェンは将軍たちの見方を支持した。

「わたくしもケサルは死んだと考えております」とディクチェンは言った。「しかし王が悪い夢を見たとおっしゃるなら、モパに占ってもらうにこしたことはありますまい。そしてモパなら、ジョン国の偉大なる隠者ゴムチェン・チュジャクよりふさわしい者はありますまい。すみやかにこの隠者のところに呼びにやってください」

「それは悪い考えではないのう」とクルカル王はこたえた。「小僧がケサルであるかどうかはともかく、モパならさまざまな手がかりを与えてくれるだろう」

「その決定はありがたいことです」とドゥクモは言った。「私はケサルの力を知っています。ケサルはグル・リンポチェによって守られた力強い神です。たとえ死んでも、悪夢や呪術によってケサル自身の姿を現すことができるのです。ケサルの幻影はあなたをだましたり、あなたを破滅に追いやったりするでしょう」

「ディクチェンよ」と国王は命じる。「そなたがゴムチェンのところへ行ってくれ。ふさわしい贈り物を忘れずに行け。これからかかえこむかもしれない問題に関しては、補償もできると伝えてくれ」

 翌日、ディクチェンは従者をひとり連れ、赤い馬に乗ってラマ(=ゴムチェン、モパ)のところへ向かった。クルカルの宮殿からは4日の距離だった。到着してわかったのは、ラマがツァム(こもり)に入っていて、だれとも会えないということだった。ディクチェンはカタ(儀礼用スカーフ)と贈り物を、面会が許されている唯一のタパ(僧)を通してゴムチェンに渡してもらった。

 しばらくして隠者から返答があった。彼はいま3年3か月3日の瞑想修行に入っていて、まだ半分も消化していないところであり、もし誓いを破ると災難がもたらされるとされているので、庵を出るのは困難だということだった。

 とはいえ、ホル王の威厳と権威は絶対的で、命令にそむくことが許されないラマは、結局、翌朝宮殿へ向かうことになった。

 ディクチェンが夜をすごしたラマの家は山の麓にあった。その山の上に庵があり、ディクチェンはゴムチェンとともに出発した。ゴムチェンはふたりの従者を連れ、2頭の騾馬が荷物を運んだ。荷物には大量の本と重要な儀礼で使われる象徴的な図や法具などが含まれた。

 ケサルは注意深く隠された秘密をあばく能力も持っていたが、クルカル王がモパのところに使者を送ったことも知っていた。彼はまた、ラマ・チュジャクが神秘学に通暁していること、微妙な策略を見通したり、対抗措置をとったりする技術にたけていることを知っていた。ケサルが恐れたのは、鍛冶師見習いの正体がゴムチェンに見破られることだった。もし露呈した場合、ゴムチェンをクルカル王に会わせることはないだろう。

 超人的な力を駆使して、ケサルはディクチェンにラマより先に宮殿に着いて、到着を知らせるという考えを植え込んだ。占い師(モパ)が道中、従者しか連れていないときを見計らって、ケサルは色白の首領に変身し、偶然を装って会うことにした。

ケサルは白馬に乗り、白い旗が立つ兜(かぶと)をかぶった。25人の彼とよく似た幻の護衛を連れていた。やってくるラマに出会うふりをして、逆方面からすれ違うときに丁寧に会釈をした。

「ラルパチェン(長髪の者)どの、あなたは長い間修行をされてきた方のようにお見受けする。どこから来て、なぜホル方面へ向かわれるのかうかがいたい」

 ラマがこたえるには、ギャン・ムクポ(霧のギャン)からやってきて、占いをするためにクルカル王のもとへ向かっているのだという。今度はラマのほうがケサルに、どこから来たのか、旅の目的は何かときいた。

「私はインドから来たペカルという名のロンポ(大臣)です。私の国の王が所有していた20頭の駿馬が盗まれてしまいましたが、犯人はまだ捕まっていません。王はホルの国の強盗(ジャグパ)が盗んだのではないかと考え、私をホルへ送ったのですが、いまだに見つけることができません。しかしいまここであなたと会ったのは、運が上向いてきたということかもしれません。どうかモ(占い)をやってもらえないでしょうか。これからリンの国へ行こうと考えているのですが、馬を見つけることができるでしょうか。

 ラマがお望みのどんなものでも差し上げることができます。ちょうどここに30塊の金があります」

 ケサルは馬から下りて、カタ(儀礼用スカーフ)の端に縫い込んでいた金貨をラマに献上した。

 モパ(ラマ)は愛想のよい笑みを浮かべた。このような幸先から気前のいい贈り物は、ラマをおおいに喜ばせた。馬から下りたラマは、従者が敷いた絨毯の上に坐り、占い経典、サイコロ、穀粒、香りのいいハーブ、その他さまざまのものを並べた。

 長時間しきりに計算をしていたかと思うと、顔をあげたその表情は悲しげだった。

「あなたがおっしゃる馬はこの世に存在しません。災難が……私にふりかかってきます。あなたは……私の敵です。私の目の前にいる26人の馬に乗った男は……たったひとりの男です。それはケサルですね。ほかの男たちは幻影にすぎません。あなたはあなたの道を行ってください。私は私の道を行きますから」

 道具をしまって馬に乗り、ラマはホル方面へ進み始めた。

「まいったな」とケサルはつぶやいた。変装が見破られてしまったのだ。ラマはクルカル王と会い、起こったことをしゃべるだろう。ラマが宮殿にたどり着いてはいけない。

 英雄ケサルは天上の兄弟たちを呼んで助けを求めた。彼らは猛烈な嵐を起こしてラマの行く手をさえぎった。ラマとふたりの従者は岩陰に避難せざるをえなかった。トゥンジャク・カルポ(ナーギーの頭から生まれた子供)が岩に雷電(ヴァジュラ)を投げつけると、岩は粉砕され、その破片が隠者とふたりの従者の僧を押しつぶした。

 ケサルはラマの荷物を取り、ふたつの幻影を作った。それらはいましがた滅したふたりの従者の僧に似せていた。ケサル自身は死んだラマに変装した。

 このようにラマと従者になって、ケサルは宮殿の前にたどり着いた。その姿が見えると、国王は廷臣や馬を迎えに行かせた。宮殿への入場は華々しく盛大におこなわれた。

 翌朝、ケサルはクルカル王の前に出て、箱からさまざまな魔術師の小道具を取ってならべ、「どんなモ(占い)がお望みですか」とたずねた。

 国王はこう述べた。

「わしとわしの兄弟はともに悪い夢を見た。奇妙なことだが虎がここに持ち込まれ、宰相がその虎に食われてしまった。さて、鍛冶師のところに見習いの少年がいた。少年がどこから来たかわしらは知らなかった。少年はたいへんな魔法使いで人形を動かす壮大な祭典を開くこともできた。こいつはケサルなのか? もし敵が攻めてきたら、反撃して、倒すことができるのか? 国は今後も発展することができるのか? わしは長生きできるのか?」

「わかった、わかった」とラマはさえぎった。「三日のちに答えを進ぜよう」

 彼は従者の僧によって準備された非常に多くのトルマ(ツァンパをこねて作った儀礼用菓子)を並べた。そしてたくさんのロウソクを灯した。またお香もたくさん焚いたので、その香りの煙で部屋が暗くなるほどだった。それから彼は部屋を閉じてひとりきりになり、ふたりの僧は扉の外で警護した。

 4日目の明け方、彼は国王のもとに戻った。国王のそばには、国王の兄弟たち、ドゥクモ、廷臣らが待ちわびていた。

「わがモ(占い)から驚くべき結果が出ました」とモパは言う。「いくつかの占いは吉と出ましたが、いくつかは災難を予言しています。いくつかはあきらかにされません。国王、あなたは推し量ることのできない謎に囲まれています。しばらくのあいだは国王の国も平和と幸福を享受できます。のちに問題が生じます。それがどのような過程で起こるのか、私にはよく見えません。国王の寿命についてもはっきりしたことは申し上げられません。城壁に吊るされた首というのはあなたの見た悪い夢がもたらすものです。大臣の死も、ホルの状況が乱れるのもそうです。それは下ろされて、埋められるべきです」

「どのようにしてそれを下ろして、埋めたら、脅威となる危険を取り除くことができるのか」とクルカルはたずねた。

「それに関してはもう一度モ(占い)をやってみましょう」とモパはこたえた。「その結果は明日にはわかるでしょう」

 彼はまた部屋に閉じこもった。翌日ふたたび姿をあらわすと、つぎのような啓示を見せた。

「長い鉄の鎖が鋳造されます。その端には堅固な鉤(かぎ)がついていて、それが宮殿の屋根のてっぺんにくくりつけられています。その鉤はそれ自体で、あるいは人が屋根の下から投げることによって、てっぺんとつながるのです。鉄の鎖のもう一方の端は、宮殿の壁の外にある地中深くささった強靭な鉄の柱に結われています。この鎖を登ることができて壁の上の首を取ることのできるのは、神から選ばれた男です。男は首を取って地中に埋めます」

国王はすぐに鍛冶師チュタと見習いのところに使者を送り、モパが話したとおりの鎖を鋳造するよう命じた。

「この鎖を造るためには相当の鉄が必要とされます」と見習い小僧は言った。「もし十分な鉄がなかったら、鎖は屋根に届かないでしょう」

 クルカル王は答えた。

「現時点では十分とは言い難いのう。これは頭を悩ませる問題だ。頭部は遅れなく取らねばならぬし、そのためには鎖が不可欠であるし。大量の鉄のある場所が、じつは一か所だけある。しかしそれはご先祖様の『命』なのだ。そこからあるときは音が響き、あるときは声が聞こえてくる。そこを破壊するわけにはいかぬ。そのあたりのことはラマにもう一度諮問してから決定しよう」

 もう一日モ(占い)に時間を費やしたあと、偽隠者は、とくにご先祖様の『命』にある一本の鉄の棒は必要なものだと高らかに言った。もしほかの鉄の素材から作ったら、もろくて折れてしまったり、短すぎたり、不慮の事故が起きたりする恐れがあるという。そうなると頭部を取ることができず、ホル国にせまる危機を防ぐことができない。

 もはやクルカル王は躊躇することなく、『命』から取った重い金属の棒を鍛冶師のところへ運び入れさせた。鍛冶師チュタはこの鉄が何世紀も崇拝されてきたものであり、ホル国の王朝の本質であることをよく知っていた。彼は見習いの少年に言った。

「国王はわしらにとんでもない仕事を与えなさった。世俗の火の力じゃこの聖なる鉄を赤くすることなんぞできんよ。それ自身によって鋳造されるなんて考えはばかげとる。鎖ができないとなると、わしらは厳しく王様から罰せられるだろうなあ」

「心配しないでください、お父さん」と少年はこたえた。「どうか安心してお休みください。鍛冶場には、今晩は近寄らないでください。ただガルザだけは助手として残してください。鎖については明日の朝、お話しします」

 見習い少年の奇妙な言動には慣れていたので、老鍛冶師は部屋に戻り、鍛冶場は若いふたりに任せた。彼らは鍛冶場を閉め切ると、石炭を山になるほど炉に入れ、その中央に鉄の塊を置いた。ここまでうまくいくと、彼は天上の兄弟や友人、神々、ナーガの親類などを呼んだ。彼らは金槌ややっとこなどを持って大車輪の活躍を見せた。その騒音はすさまじく、三界を揺るがすほどだった。

 目をさましたチュタは、またしても見習い少年の魔法の祭典を驚きでもって知ることになった。鍛冶場で何が起きているか、恐れながらも興味津々で老鍛冶師は階段を下りていった。彼は扉の隙間に目をあてようとした。額が扉の板に触れようとしたとき、なかで閃光がひらめき、光が割れ目を通って目に突き刺さり、焼いた。あわれな老人は痛みにもだえながら部屋の寝床に戻った。彼は神々の姿を一瞬とも見ることができず、しかも視力を失うことになってしまった。

 翌朝、見習い少年は老鍛冶師の部屋に入り、言った。

「お父さん、起きてください。これから宮殿へ行って鎖を献上しなくてはなりません。それはとても重いので、どうか運ぶのを手伝ってください」

「ああ!」と老人は嘆き悲しんだ。「起きるのに問題はないが、動くことができないのだ。昨夜、鍛冶場からやかましい音が聞こえてきたので、何が行われているか見たいと思った。それで扉の穴からなかを覗いたら、閃光が目を貫いたのさ。痛いといったら、ありゃしない」

「夜、うろつく人がいれば、犬はその人にかみつきます」と少年は言った。「部屋を出ないようにと言ったでしょう? このようなことが起こってしまって、とても悲しいです。しかしぼくにとってはよいしるしかもしれません。ぼくの計画を偵察しようとする者は盲目になるということを意味するのですから」

 巨大な鎖がクルカル王のもとに運ばれた。王はすぐにでもラマに言われたように鎖を掛けたかった。しかし、王のまわりは強者(つわもの)ぞろいとはいえ、鎖を宮殿の(建物の最上階にある)黄金の屋根の上に投げ上げることのできる者はいなかった。

はじめに下僕が試みてみたが、話にならなかった。つぎに誇りをもって強さと巧みさを示そうと、大臣や将軍が試みた。多くはケガをするのが関の山だった。

 そんななか、見習い少年が挑戦する許可を国王に求め、許された。少年は第一投で鎖を屋根に掛けることができた。鉤(かぎ)はしっかりとはまり、鎖は固定された。何人かの男たちが壁の向こう側の地面に鉄の杭を打ち込み、鎖の端がつながれた。

 やるべきことは、あとは登って頭部を取って降りてくることだった。しかしこれまただれも成功することができなかった。

「なんでもおまえはうまくやるから」と国王は見習い少年に向って言った。「登るのもむつかしくないだろう。やってみろ!」

「そんなに簡単ではありません」と少年はこたえた。「もし成功したら、王様は何をぼくにくださいますか?」

「報酬はおまえ自身が選ぶがいい」とクルカル王は約束した。

 少年はそれ以上何も言わず鎖に飛び乗り、するすると登ると頭部があるところに達し、それを取ると、あっという間に地上に降り立ち、クルカル王の足元にそれを置いた。

「ラマはこれを埋めよと言っていたな」とクルカル王。「しかしどこに? もう一度ラマに聞かねばならぬ」

 長髪の隠者(ラマ)のところへ派遣されたのはディクチェンだった。ラマはまだ宮殿内にとどまっていたのである。

「サンセル・リ・ムクポ(銅と金の暗い山)の麓に大きな穴が掘られます」とラマは言った。「そして綿布に包まれた頭部がそのなかの棘の褥(しとね)の上に置かれます。それから穴の入り口は大きな平たい石でふさがれます。

 首は鍛冶師見習いによって、この地点に運ばれなければなりません。トンソ・ユンドゥプとペトゥル・チュン将軍、それに100人の騎馬隊は少年とともに行きます。

 このように遂行できたなら、ホル国と国王は心の平和を取り戻すことができるでしょう。あなたがたは、学びたいことを知ることができるでしょう。私がこれ以上ここにいる必要はないでしょう。それゆえ私がいとまを請うていることを、この午後にでも庵に戻ろうとしていることをお伝えください」

 ディクチェンは占い師(ラマ)の言葉を国王に伝えた。国王はそれを聞いて歓喜に浸った。すべての心配は取り除かれたのだ。

 国王は頭部の埋葬を翌日に決めた。そして贈り物をたっぷりとラマに与えた。数時間後、ラマは宮殿を後にし、ギャンの国の庵のある方向へ向かった。

 偽予言者(ラマ)の言葉のとおりに、頭部はサンセル・リ・ムクポ山の麓に運ばれた。兵士たちが穴を掘る間、将軍とトンソ・ユンドゥプは少し離れたところに坐り、お茶を飲んでいた。

 彼らがくつろいでいるとき、見習いの少年が近づいてきて、ラマの言葉通りにおこなわれているかどうか、直接目で確かめた方がいいのではないかと丁重に言った。

「国王にとってもホルの国としても重要なことなのではないですか」と少年は言った。「そんなことを庶民にまかせっきりでいいということはないでしょう」

 この忠告は適宜であると思い、将軍は働いている人々のもとに近づいた。

「われわれにとって」と、少年はトンソ・ユンドゥプに言った。「ラマがおっしゃったように、あそこへ行って石を探しましょう。もし石を見つけたら、人を呼んでそれを除去しましょう」

 少年とトンソ・ユンドゥプが他の者たちを残して去ったあとすぐに、山の斜面が崩れた。たいへんな量の土砂が突然降りかかってきて、将軍やほかの兵士たちは生き埋めになってしまった。

「逃げて! みんな逃げて!」と見習い少年は仲間たちに叫び、トンソ・ユンドゥプとともに走って逃げた。彼が危険から必死になって逃れようとしている間に、少年はギャツァの首を天界の友人のところへ送った。

 ふたりは息も絶え絶えに懸命に走り、恐怖におびえた顔をしながら、なんとかクルカルの宮殿にたどりついた。

「何があったんだ?」とふたりを見た人は異口同音にたずねた。「騎馬兵隊や将軍はどうしたのだ?」

 彼らはいま起きた惨劇について話した。ふたりがほかの人々と運命をともにしなかったのは、奇跡的なことだと付け加えた。

 国王と兄弟たちには悲劇が起きたことがすぐ知らされた。彼らは知らせを聞いて当惑した。ラマは首が下ろされて埋められれば、すべては丸く収まると断言していたのに、惨劇が起きたのはなぜだろうか。占い師の能力や誠実さを疑うという考えは彼らにはなかったが、将軍ペトゥル・チュンか、あるいは部下のだれかがラマの言葉にそむいたかもしれないと思った。そのことが神々か悪魔を怒らせてしまったのだ。

 この運命的な日の夜、クルカル王の夢の中に先祖の守護神ナムティクが現れ、告げた。

「クルカルよ、おまえの領土のなかで起こった尋常でない、不運なできごとについて、占ってみなければならない。

明日、おまえは数人の射手を、的が赤い岩に描かれた射的場に送らねばならない。(射的コンテストの)射手として選ばれるのは、トンソ・ユンドゥプ、ガルベ・パンツェン・ラドゥプ、トプチェン・トゥゴ、ディクチェン・シェンパ、そして鍛冶師見習いの少年である。

もし矢が岩に当り、岩が割れて破片が平原に落ちたら、それはよい兆しとされるであろう。すべての危機は回避されると予言をしたとき、モパの占いが正確であったことがわかるだろう。

 兵士らや将軍の死に関していえば、彼らの悪いカルマの結果であり、おまえが気にすることではない」

 はっとクルカルは目が覚めた。真夜中だった。彼は翌日まで待つことができず、神が選んだ射手たちをすぐに呼んだ。彼の面前に射手がそろうと、弓矢を持ってただちに射的場に集合するよう命じた。夜明けに間に合わせたかったのである。

 前日の凄惨な事件のことを聞き、悪魔の存在を恐がっていた男たちは真夜中の出発をいやがった。しかし国王の命令にそむくことはできないので、彼らは出発し、夜が明ける前に赤い岩に着いた。

「王様の命令なのでおれたちは射的場に向かっているわけだが」とトンソ・ユンドゥプは言った。「しかし硬い岩の表面に矢を突き刺すなんてことは、だれにもできはしない。そしてもしみな失敗したら、クルカル王は怒ってわれわれに厳しい罰を下すだろう」

「ぼくは弓を射ないよ」と見習い少年は言った。「昨夜悪い夢を見たからね。赤い投げ縄を持ち、赤い馬に乗った赤い人が夢の中に現れた。その男は投げ縄をぼくといっしょにいた人々に投げたんだ」

「それは不運だったな」とトプチェン・トゥゴは言った。

「おまえさんはずいぶんと大胆だな、国王の命令にそむいて弓を射ないだなんて」とガルベ・パンツェン・ラドゥプは言った。「その夢の意味がなんであろうと、われわれは命令に従わなければならない」

 彼らは矢を射始めた。岩の表面で矢ははじかれ、折られた。ほんのわずかでも岩の表面に影響を与えることはなかった。そのとき突然、赤い馬に乗り、赤い投げ縄を持った赤い男が岩から飛び出し、彼らのほうへ疾駆した。その表情には悪意が表れていた。

 無防備で、恐れおののいた弓の名手たちはいっせいに逃げ出した。赤い男はしかし投げ縄を投げてトプチェン・トゥゴを捉え、引っ張り、岩のてっぺんにまで引き上げた。

このとき同時に4人の魔女が鉄の杭を持って現れた。彼らは杭でこの不運な射手を岩の上に釘づけにし、内臓を抉り出した。

 彼の4人の仲間は急いで宮殿に戻ったが、国王の前に姿を出したいとは思わなかった。そのかわりに兄弟のクルセルのところに行き、起こったことをすべて話した。クルセルはそのすさまじさに唖然とした。彼はしかし、クルカル王にそのことを知らせた。そしてすぐに、王はクルナクとドゥクモに夢の中でナムティク神から授かった忠告と結果について話した。

 クルナクは意気の下がった精神を高揚させようと努めた。

「おそらく」と彼は言った。「ナムティク神が将軍の死に関して言ったのとおなじようにトプチェンの死を不吉な兆しととらえるべきではないだろう。われわれはまちがいなく祖先神への献納を怠ってきた。祖先神が怒るのも無理はないのだ。われわれは祖先神を慰撫しなければならない。数日のうちに山へ行き、彼らをほめたたえ、犠牲を捧げるべきなのだ。そうすればすべての問題は解決するだろう」

 国王と彼を囲む人々は、満場一致でクルナクの提案を是認した。そして、ラマにナムティク神、バルティク神、サティク神のための大きな儀礼を催してもらうよう頼むことにした。クルセルとクルナクは儀礼の準備がどの程度進んでいるかを見るために、彼らの立派な住居を出た。

 鍛冶師の家に戻っていた見習い少年は、弓矢の試合の惨劇について聞いたとき、クルカル王の怒りを間近に見ることはなく、部屋の中にいた。すると大きな眩惑的な光が現れ、白い虹に乗ってパドマサンバヴァがやってきた。

「起きなさい」とパドマサンバヴァはケサルに言った。「寝ている場合じゃないぞ。私はおまえと話がある」

 ケサルは数回グル(パドマサンバヴァ)の前で拝礼した。グルは話をつづけた。

「いまにいたるまで、すべてはおまえにとってうまく事が運ばれた。おまえは将軍も、兵士も、宰相も、おまえの正体を見破ったラマも、みな殺すことができた。ホルでは恐怖が支配し、取り乱したクルカル王はもはや正気を失っている。しかしおまえは早く事を進めねばならない。というのも王を破滅させる年も終わりに近づいているからだ。すみやかに行わなければ、惑星の影響も変わってしまうだろう。王と囲む悪魔たちも強さを取り戻すことだろう。そして無敵の存在になってしまうのだ。

 あす、おまえは3人のインド人に化けるだろう。それぞれが猿を持った、旅をする曲芸師だ。3人は宮殿の前に姿を現す。そしてドゥクモと話をすることになる」

 それ以上の説明はなく、パドマサンバヴァは姿を消し、サンドク・ペルリ(銅色山。パドマサンバヴァの浄土)に戻った。

 パドマサンバヴァからの命令を受けて、ケサルは7つの魔法の人形を作った。そのうちの2つはインド人奇術師で、ひとつは鍛冶師見習いだった。鍛冶場では第3の奇術師を演じることもあった。3つの人形は3つの猿だった。そしてもうひとつは痩せっぽちのロバで、荷物を運んだ。

 ケサルがパドマサンバヴァの訪問を受けている間、ドゥクモは悪夢に苦しめられていた。クルカル王と違い、彼女はこの数か月、つねに恐怖のなかにあった。毎日、ケサルと会うかもしれないと思った。だがクルカル王を愛するようになり、子供をひとりもうけたので、夫ケサルが現れるということは、大きな災難がふりかかることを意味していた。

 心が騒ぐので、ドゥクモは屋根の上に登り、何か異常がないかとあたりを見回した。このようにして、ある日、遠くに3つの影を見つけた。それはさまざまな色の衣を着た3人のインド人だった。彼らは家畜の群れの前を歩いていた。

 彼女は新参者の普通でないいでたちに衝撃を受けた。今度こそはまちがいない、と彼女は確信した。これら奇術師たちはケサルが創り出した幻影だろうと。このような人々はこれまでこの国に来たことがなかった。彼女はすぐに屋根から下りてクルカルに知らせに行った。

 クルカルの居室に行く途中、ディクチェン・シェンパの部屋があり、その扉があいていた。

「ラチャム・クショー(奥様)、どちらへ行かれるのですか」とディクチェンは彼女にきいた。

「王のもとへ参るところです」とドゥクモ。「こちらへやってくる3つの影を見たのです。彼らはケサルが変身したものにちがいありません。ほっておくにはいかないのです」

 彼女は見たものを説明した。

「へっ」と彼は声を上げた。「ケサルはひとりであって3人ではないですぞ。それに3匹の猿と一頭のロバも見えるとか。みんなケサルなんですかい」と軽蔑して笑った。

「だってそうでしょう」と彼はつづけた。「ケサルは泥棒です。ケサルは馬に乗り、武器を持ち、そのあとには騎馬兵がつづく。猿なんかを演じるはずがない。その3人は乞食でしょう。どこから来たかたずねるといい、すぐに杞憂であることがわかりますから」

「でもケサルなんです」とドゥクモはなお主張した。「あなたはケサルの力をご存じないのです。やはり王に知らせねば」

「あなたは苦しんでいる国王さまをさらに苦しめようとなさっているのですか」とディクチェンは怒りをぶちまけた。「女なんて知性のない、恥知らずの犬みたいなものだ。これ以上、王を不安にさせないでください。学者である私は三界の心配事に精通しています。そんな私にそれがケサルであるかわからないのに、あなたにどうやってわかるというのでしょうか」

 ドゥクモは心を落ち着かせて考えた。ディクチェンが正しいのかもしれない。私がまちがっていたのだ。私が言ったことを信じたなら、王は乞食を殺してしまうかもしれない。そうしたら私は重大な罪を犯すことになるのだ。そう考えると、彼女は下におりて宮殿から出て、門の近くで休んでいたインド人たちに近づいた。

「あなたがたはインドからいらっしゃったのかしら」と彼女はたずねた。「この国にいらっしゃらないほうが懸命だと思います。あなたがたはいまホルの国にいます。その国王はとても厳しいかたなのです。ここでは仏教は重んじられていません。もしいかなる人でも、仏教の言葉を発したら、罰として馬を一頭差し出さなければなりません。一方で、もし仏教の戒めに反して虫一匹でも殺せば、王様を喜ばしたとして、ヤク一頭を褒賞としていただくのです。美徳はなく、悪知恵があるのみです。ここでは法律は理不尽で、それなのにかならず厳しく、太陽も月も許可なく輝くことができず、犬が吠えることも、馬がいななくこともできません。すぐ立ち去ることをおすすめします。あなたがたのことを国王が知ったなら、鞭打たせることでしょう」

 最年長の曲芸師が外国語なまりでこたえた。

「あなたのおっしゃることは正しい。わたしはザンバ・アッタ。ごくふつうの人間です。わたしは着いたばかりですが、あす、ホルを壊します」

 ドゥクモは彼が何を言ったか理解できなかった。彼はもうすこしわかりやすく言った。

「クルカルはほんとうにあなたが言うように強いですか? それにあなたはだれですか、かわいいお嬢さん? 何の権利があって、ここに住んでいるのですか?」

 このならずもののなれなれしい言い方にムッとしてドゥクモは言った。

「そのような言い方をするとは無礼なおかた」と彼女は声を荒げた。「ホルの国王はいくつもの国を統治しているかたです。そんなにも力がある王はほかにいないでしょう。私はリン国の美女セチャン・ドゥクモです。夫はケサル王です。夫は10年前、憂鬱な北国に行ったまま戻って来ないのです。私は悲しみのなかでここに暮らしてきました。この話を聞いたことはありませんか」

「いや、ないね。しかしあなたの夫はどうしてそんな遠い国へ行ったのか」

「ルツェンを殺すためです。長い旅をされてきたのなら、ルツェンは聞いたことあるのではないでしょうか。ケサルと会ったことはありませんか?」

 3人のインド人は互いに顔を見合わせて、理解したというようにうなずいた。年長者が言葉を発した。

「ということは、あなたの夫は兜(かぶと)をかぶり、駿馬に乗った、ルツェンを殺そうとした王ということですね。ああ、それならよく知っています。彼はルツェンに食われてしまいました」

「なんですって? どこで?」

「ドゥハチャン・コンカル峠の近くです。ちょうどそこを通りかかったとき、遠くにルツェンの姿が見えました。われわれは石のあいだに隠れました。馬に乗った者が北の王と会い、あっという間に食われるのを目撃したのです」

 彼らがインド人の乞食で、ケサルではないことをドゥクモは確信した。そしてケサルが二度とあらわれないことを知って喜び、つい白い歯がこぼれてしまった。

「すこしここにいてちょうだい」と彼女は言った。「いまお茶と麦酒(チャン)を持ってきますから」

 晴れやかな表情で彼女はディクチェンのところに戻ってきた。

「あなたが正しかったわ。彼らはケサルではありません。ケサルは死にました。ルツェンに食べられたと彼らは言っています」

「そうだろう」と大臣は同調した。「もし生きているなら、とっくに戻ってきているだろう。このうれしい知らせを国王の耳に届けよう」

 クルカルの喜びは尋常ではなかった。もう敵におびえることもないのだ。彼は肉やツァンパ、麦酒、お茶をインド人らに与えるよう命令した。そして彼らがモ(占い)をすることができるかどうか、たずねさせた。

 モができるという返事をもらったので、ホルを脅かすものがあるかどうか、王の寿命が長いかどうかを占うよう命じた。

 インド人たちはサイコロを転がした。それは8つの地点を示していた。経典に書かれた占いの結果は「思わぬ災難が王に降りかかってくるので、王は長生きしない」というものだった。

 この結果を聞いてショックを受けた国王は、ドゥクモに、「この運命からのがれるにはどうしたらいいか」とたずねさせた。

「ひとつだけ方法があります」と年長の乞食はこたえた。「私の帽子を国王と家来の頭の上に載せて祝福を与えるのです」

 クルカルは寿命を延ばすためならなんでもするつもりだった。それゆえ頭上に曲芸師の脂っぽい帽子を喜んで載せ、家来たちにもおなじことをするよう命じた。このように2万人の臣民が国王にならって聖なる儀式に加わった。

 帽子をかぶった人々はみな半覚醒状態に陥り、彼らの心はどんよりとして、思考はからっぽになった。国王も同様にぼっとなりそうだったが、長生きしたいという欲望がまさり、なんとか意識は保っていた。

「あと何年もの寿命が欲しいのです」と彼はなおも食い下がった。

「私は保証することはできません」とインド人は言った。「しかしモがあきらかにしたところによれば、7日間以内にあなたの守護神が現れるようです。守護神が相談に預かってくれるでしょう」

 旅の糧食を受け取ったあと、3人のインド人たちは動物とともに、リン国の方向へ向かっていった。

 7日後、白い衣を着て、山羊に乗ったナムティク・カルポ神に化けたケサルが、夜、クルカルの部屋の外のバルコニーに現れた。彼はクルカルを起こし、告げた。

「クルカルよ。私はナムティク神、先祖の神である。よく聞け」

 クルカルはこの神の前で必死に五体投地し、拝んだ。

「私はいまおまえに秘密をあきらかにしようと思う。ツァラペマ・トグテンという場所で、太陽が昇るとき、7匹の白い蜘蛛が変身して7人の男となり、踊るであろう。彼らは私の仲間の神である。おまえの家来も、大臣も、ドゥクモも、みなこの踊りを見なければならない。おまえに関していえば、宮殿から出ないように気をつけなければならない。寿命はこのことによるのだ。もしここにいるなら、生きられる日数は増え、迫りくる脅威を避けることができるだろう」

 こう語ると、山羊に乗ったナムティク神は天空を飛翔していった。あとには光の筋が残った。

 時間はあまりなかった。クルカル王は宮殿のなかのすべての人を起こした。4つの門で太鼓を鳴らさせ、すべての人、男も女も、子供も、首領も、主人も、従僕も、みなツァラペマ・トグテン峠に行き、7人の神のダンスを見るよう命令した。

 ドゥクモはこのナムティク神の言葉は奇妙で不安にさせるものだと思った。クルカルはなぜこのようにひとりになろうとしているのだろうか。

 彼女は白いスカーフ(カタ)を取り出し、泣きながら王のところへ行った。彼女は王に、やろうとしていることを考え直すよう懇願した。少なくとも一部の戦士は身辺に残すべきだと主張した。前回も天界の警告があったあと、不測の災難が起きているので、今回も危険が迫っているかもしれない。しかし彼女が何を言っても、クルカル王の決心が変わることはなかった。呪術によって彼の意識はすこしぼっとしていたが、長寿への欲望が強かったので、彼女の言葉の意味を理解することができなかった。

 ドゥクモの言っていることを聞くどころか、クルカル王は彼女にたいして腹を立て、ただちにここを去って、ほかの者たちとともに、ツァラペマ・トグテンへ行くよう冷淡に命令した。彼女は命令に従うしかなかった。まわりの人々もあえて異議を申し立てようとは思わなかった。

 宮殿の人々はこうしてみな、クルカル王を残して去っていった。

 指定された場所では、たくさんのホル人が現れた7人の神の優雅で独特のダンスを眺めていた。僧も俗人も、これほど敏捷で、しなやかな、あるいは壮麗な衣装を着た踊りを見たことがなかった。

 天上の踊り子たちの衣装は、踊りのたびに互いに取り替えた。彼らは疲れを知らず、いつまでも踊りつづけた。見ている観衆は、ただ驚くばかりで、時間の経過を忘れるほどだった。これらのダンサーはケサルが創出したものだった。ケサルはその力によって、一日の時間を、まるで二日間であるかのように、伸ばすことさえできた。ホル人は日没を見ていないので、家に帰ろうとはしなかった。彼らは座って、ただぼんやりと踊りの光景を見るだけだった。ナムティク神の善意によって、神々の戯れを眺めていると人々は信じ切っていた。

 ツァラペマ・トグテンでの一日があまりに長かったのにたいし、ホルの町での一日は半日にすぎないように感じられた。クルカルはひとりでいるのに慣れていなかった。最初は退屈していたが、宮殿での沈黙は次第に彼を不安にさせた。

 太陽は地平線の下に沈んでいったのに、ドゥクモも大臣も、その他の人々もなぜ帰ってこないのか、不思議でならなかった。黄昏が部屋を暗くしているとき、ツァラペマ・トグテンでは太陽はまだ子午線上にも達していなかったのだ。待ち疲れたクルカルは、眠りに落ちた。

 目もくらむほどの光が突然、宮殿を満たした。跳ね起きたクルカルの前に立っていたのはケサルだった。ケサルは光り輝く甲冑に身をつつみ、手には天上の鉄でできた剣を持っていた。その身体は太陽のように明るかった。

「悪魔のクルカルよ、私を知っているか」と彼は言った。「私はコルロ・デムチョクとドルジェ・パクモの子、パドマサンバヴァの使者、リンの国王にして宇宙の征服者、神の種族に属するケサルである。おまえは我が国を侵略し、支配者となり、わが妻を奪っておのれのものとし、幼なじみのギャツァを殺し、さらに死後まで怒らせ、その頭部を宮殿の壁に吊るしてリン国の国民に辱めを与えた。私はいまここにいるので、おまえの口から犯した罪状をあげてもらおうか」

「おお!」とクルカルは叫んだ。驚きと恐怖でその目は大きく見開かれている。「おまえがここにいることに気づかなかったとは、わしはなんと盲目であったことか。だれもがおまえはルツェンに食われたと言っていたのに」

 ケサルはこれ以上クルカルにしゃべる時間を与えなかった。彼は剣の一撃でクルカルの首を落とした。それは部屋の中央にまで転がっていった。英雄ケサルは首をそのままにし、思考に集中すると、クルカルの魂を西方浄土へ送った。彼はそのあと空高く飛んで行った。このとき、同時にツァラペマ・トグテンでは7人のダンサーが突然消えた。そしてすべてのホルの人が喜びを感じながら家に帰った。もはや一日の長さを気に駆かける必要もなかった。

 国王の部屋に入ったドゥクモは、すぐに切断された首を発見した。彼女の叫び声を聞いて宮殿中の人々が集まってきた。

「これはケサルの仕業です」と王妃はみなに言った。「私が心配していたとおりになりました。ケサルは戻ってきたのです。この何か月か、私たちが見てきた驚嘆すべきもの、災難などは、どれもケサルによって引き起こされたことがわかりました」

 彼らは嘆き、また自分たちもおなじような運命をたどるのではないかと恐れた。

 何人かの将軍は戦争にそなえて兵隊をそろえようとした。ディクチェン・シェンパやトンソ・ユンドゥプらは投降すべきと考えた。ディクチェンは大胆に語った。

「ケサルと私の母はおなじである。ケサルを攻撃する者は彼の前に私を見つけるだろう。彼のような力にたいし、あらがうのは無理がある。いちばんいいのは、彼を受け入れることだ。私はカタ(スカーフ)を持って彼に会いに行こう」

ディクチェンやトンソの家来を含む多くの人は、しかし、走って武器を持った。

 リン国の方向に、多くの神々や600人の神種の戦士に囲まれ、ケサルがあらわれた。彼にさからう者は最後のひとりまで殺された。ほかのホル人には、ケサルは危害を与えなかった。

 この勝利のあと、ケサルはリン国に戻った。