プロローグ   アレクサンドラ・ダヴィッド=ネール 宮本神酒男訳

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 その時ボーディサットヴァ(菩薩)は、さまざまな場所で完全な布施と無限の慈悲を実行したあと、供養を終えた。何も持たず、身を覆う掛物さえ持たず、まさにその身体そのものを、飢餓に苦しむ生きものに喜捨しようとした。転生を繰り返す間、いったい何度同様の利他行為、完全なる自己放棄、無執着、無限の慈悲を示してきただろうか。このようにして、ブッダにして導き手、同時に生きる者の導師となりたいと欲する者たちが抱く、無限の愛にあふれた王者のさまざまな道を旅しながら、栄光の到達点へ向かって突き進んでいく。

 ボーディサットヴァが住む森からそれほど離れていないところに母と娘が住んでいた。とりわけ裕福というわけではなかったが、暮らしていく上には困らなかった。たくさん所有していたヤクや羊から、ミルクやバター、チーズ、肉が取れ、その皮は冬の防寒着になった。加えて、これらから採れる羊毛(やヤクの毛)はツァンパや麦、米、生活用具、装飾品と交換された。

 ふたりはボーディサットヴァの尋常ならざるふるまいを目撃したが、日々の仕事に追われ、それにあまり注意を払わなかった。

 彼自身の血と肉を、食べ物として昆虫や鳥に捧げた聖なる隠者は、地平線に挿さったような紫色の山頂に太陽が沈む時、息を引き取った。地平線の向こう側のずっと遠くには、豊かなヌプ・パラン・チュー国が広がっていた。(*ヌプ・パラン・チュー国とは西牛貨洲、すなわちアヴァラゴーダーニーヤ洲のこと)

 このとき母親は山の上で家畜の世話をしていた。突然、ボーディサットヴァが住んだ木のあたりから、超常的な光が閃いた。驚き、恐れおののいた彼女はしばらくそこに立ち尽くしたが、じっと見ていると、光が森から上昇し、空を横切り、インドの方向へ消えていった。

 そのとき彼女は目が覚め、直感的に、奇妙な厳しい修行をしていた隠者がこの世での存在を終わらせたのだと理解した。隠者は繰り返し誓約を立てては英雄的な行為をおこなっていたが、いまインドにブッダとして転生し、法輪を回し、生きる者に苦悩から解放される方法を教えようとしているのだ。

 この聖者に十分な敬意を示すことができず、無知の暗闇を散らす仏法を彼から学ぶ機会を失ったことを後悔し、彼女はたいへん年を取っているにもかかわらず、ブッダの教えを聞くためにインドへ行くという計画を心に抱いた。

 この考えにとらわれて、彼女は家畜のことを忘れて谷間を下っていった。しかし不思議な雰囲気があり、動物たちは迷うことなく彼女のあとについていった。子供の羊たちはいつものようにはしゃぎまわらなかった。しかに静かに母親のまわりを軽快に闊歩した。子供のヤクはふだん騒がしく駆け回り、喧嘩をはじめるが、おとなの牛のように重々しく進んだ。家畜の群れのリーダーたちは責任を感じていた。激しかった動物たちの鳴き声もやわらかくなった。大いなる静寂が牧草地に広がった。すべてのものが言いようのない平静さに包まれた。

 家に着くと、彼女はいま見てきたこと、そして決心したことを娘に話した。善良なる彼女は疑いを持たず、その熱狂と慈悲の心は娘も共有できると信じてやまなかった。それゆえ躊躇なく、われわれはすべての所有物を捨て、のちにブッダが教えを説くインドへ向けて出発すべきだと娘に言った。

 母親というのは、彼らの欲求が自然の摂理だと考えたとき、いとも簡単に自分自身を騙せてしまう。彼らは自分が腹を痛めて産んだ子は、すべてにおいて自分に似ていると思いがちで、当然喜んでついてくると考えてしまう。しかし実際はそうではない。

そもそも父と母は別々の存在であるし、いろいろな要素が作用して、人の誕生がもたらされるのである。誕生が肉体的な、あるいは精神的な行為の結果であることはまちがいない。しかし誕生がどこからはじまるのか、となるとよくわからないものだ。それについて考えすぎても、夜の闇の中にまぎれて答えがわからなくなってしまう。

 子供というのは去来する客のようなものだ。それ(子供)は母である宿にとまり、衣を借りて、旅をつづける。このようにして息子は父から、娘は母から離れることがあるのだ。こうしたことは前世に起因することが多いが、無知なる者には見ることができない。

 娘は現世の物質的価値しか、見ることができなかった。ヤクや羊を放棄し、珊瑚の飾りや琥珀のビーズの首飾りを旅の道中の食べ物を得るために売るなんて、頭がどうかしていると娘は思った。

「お母さん、よく考えてみて」と娘は言った。「托鉢僧のどこが気に入ったの? 家の前にやってきて施しを求める姿を見たことないの? ボロボロの衣を身にまとい、冬になるとかじかんで、ぶるぶる震えて、雨季になるとびっしょり濡れて、いつも腹ペコで、住処はなく、雪の中や泥の寝床に寝る。若い人なら、聖地を訪ねる時、それでもいいでしょうけど、いつも安楽な暮らしをしている女が、しかもお母さんの年で、どうやって耐えられるというのでしょうか」

 まだ若い彼女の声はいやみを増して、まるで母親の年齢が影響をもたらしたかのようだった。

「豊かさとは何なの?」と母親は反駁した。「煙は一陣の風で消えるわ。雲がお城の形を作るように、蜃気楼のなかに町が現れるように、夢のなかの姿形のように、つぎの瞬間には消えてしまう束の間の幻、それがこの世界というものなのです。若いときには、人生は永遠につづくように思うでしょう。でもあっという間に年は取るもの。死はすぐやってくるのです。家畜や装飾品が何の役に立つの? 行いの良し悪しだけを考えればいいのです。それが輪廻にとらわれた不幸な存在になるか、解放されて天界へ行けるかの分かれ目になるのですから」

 そして彼女は慈悲をこめて唱えた。

「オム・マニ・ペーメ・フーム! 西方浄土に生まれ変われますように!」

 これらの賢明なる言葉はほとんど聖典から引用されたものだが、若い娘にはほとんど響かなかった。未来の至福のことなど、彼女にとってはどうでもいいことだった。

「お釈迦さまとか、仏法とか、西方浄土やジョルソン(畜生道)とか、どうだっていいことだわ」と娘はこたえた。「この近くに住んでいた隠者はかつて金持ちだったと言うじゃないの。それなのにすべての所有物を喜捨して、何もかもなくなって、最後はその身体を動物に捧げて死んだって言うんでしょ。そんな突飛なことをして、何かいいことあるの? 自分で自分を拷問にかけているようなものでしょ。自分自身を苦しめて、いったいどんな得があるというの? なんもないでしょう? こんなことするなんて狂気の沙汰よ。とうてい見習えないわ。またお母さんがおかしなことを言うようなら、勝手にどこへでも行くがいいわ。私はついていかないからね」

 それから数日間、母親は娘の心に善根が芽生えるのを期待していたが、そうした努力のすべてが無駄であることがわかった。ある朝、彼女はひとりで出発した。

 最初彼女はとぼとぼと歩いて草の多い荒野を進んでいった。何日間も歩いて遊牧民のテントさえ見かけなかった。大きな荒涼とした台地に沿って歩いていった。彼女は歯を食いしばって坂道を上り、雲と接する峠に達してはまた下っていった。何度か川を渡るときに溺れそうになった。村や遊牧民の野営地に着くたびに、彼女の巡礼の目的を知った人々は喜んで彼女にツァンパ(麦焦がし)を恵んだ。ときにはそれに、バターやチーズ、お茶を加えた。

 このようにして彼女は何年も旅をつづけ、ついにインドに到達した。そしてさらに何年も経過したあと、彼女はブッダが弟子たちに教えているところに着いた。この頃には、巡礼に身を捧げてきた女はかなりの老女になっていたので、立っているだけでやっとというありさまだった。彼女は勝利者(ブッダ)の教義を深奥まで理解する能力はなかったが、懸命に耳を傾けるだけで了解できるものがあり、「道」(タル・ラム)の入り口まで達することができた。

到達後、彼女は、自分は長く生きられるでしょうか、とブッダに聞いた。

「なぜあなたは現世に長く残りたいのですか」と釈迦はたずねた。「あすの明け方、灯明を点けなさい。そしてすべての生きているものに喜びを感じながら、十方のブッダを供養しなさい。するとアミターバから光が現れ、あなたの頭と魂の上にとどまるでしょう。それから空に輝かしい道が現れ、あなたを大いなる至福の楽園、西方浄土(ヌプ・デワチェン)へと導くでしょう。

 老女はブッダに言われたとおりにした。明け方、灯明に火をつけ、そのあと瞑想をしていると、言われたような白い光の筋が空に現れた。

 われわれの内部にいる守護神たちに守られ、彼女の魂は心臓から頭頂に昇りはじめた。そして三十三天(とう利天)の光の筋を瞥見したあと、それを超え、1022のブッダに囲まれた、西方浄土の玉座に坐る赤いアミターバのもとへと出た。その瞬間、肉体につながれていた魂は解放され、鷹のような速さで至福の場所へと飛翔していった。

 

 母親が去ったあと、娘は普段の仕事を続けていた。そして数年のうちに3人の男の子を生んだ。

 彼女は愛らしい家畜とともに平安に過ごすことを望んでいた。そしてブッダの教えを聞くことができればと考えていた。しかし突然、原因不明の疫病が襲った。何度も押し寄せるように疫病がやってきて家畜の間に流行り、ついには持っている家畜のすべてが死に絶えてしまった。彼女の持ち物もすべて壊れるか、盗まれるか、あるいは借金が返せなくなり、債権者に持ち去られた。そして貧困のため身体も弱り、彼女も息子たちも病気になってしまった。しかもだれも彼らを助けてくれなかった。

 彼女の目は、自分よりずっと運がよく、自分から安楽さを奪った人々に向けられていた。彼女は彼らの自分勝手さや無情さを呪うことをやめなかった。彼女自身が調子よかった頃に同様のふるまいをしていたことを忘れて。

 彼女の考えでは、大地が産みだす富を占有するのは一部の人々であり、その他の人々は彼らから富を収奪されていた。そのため彼らは困窮から抜け出せず、幸運に恵まれた人々のおこぼれに預かるのが関の山だった。子供の命を守ることもできず、何もなく、われわれはただ死ぬのみ。

 苦しみのあまりそれどころではなかったのか、彼女はかつて聖なる隠者を、その行き過ぎた憐みの心ゆえに非難したことを忘れていた。その慈悲の行いを愚かだと言わなかっただろうか。そしてどんなことがあっても彼のまねをしたりはしないと高らかに宣言しなかっただろうか。

 もしブッダの教えを聞く機会があったなら、物事の本質をとらえることができないために、人々は自分たちの欲望を満たすことばかり考えて、互いを苦しめ、やすらかな境遇のもとで幸福をかみしめることができないのだと、気づいたことだろう。

 すべての災難の元凶は、母親についてブッダに会うためにインドへ行くことを拒否したからだと考えた。ブッダは彼女に熱心な気持ちがなく、また彼への尊敬が欠けていたので、自分に罰を加えたのではないか。そう確信すると、彼女の心の中にブッダと教義に対する憎しみがかぎりなく膨張するのだった。日々彼女はブッダと仏法を冒涜するようになった。飢餓によって死の床についた彼女は呪いの言葉を吐いた。

「私と息子たちが豊かで力のある王に生まれ変わりますように。その王によって仏法とそれを信仰する人々を滅ぼしますように」

 このとんでもない呪いを残して彼女は息絶えた。3人の息子もそのあとすぐに死んだ。彼らの遺体は墓場(鳥葬)に運ばれた。