ヴァンパイアの愛 

ドリーン・ヴァリアンテ 

 

「わが物語は」とチャールズ・アシュトンは言った。「冒頭が古典文学そっくりだ。じっさい、シェークスピアに、教会墓地の傍らにワイトなる者が住んでいた、という一節があるのをご存じだろうか」

 彼の若い友人ブレイクはほほえんだ。まったく彼のことを信じていないわけではなかった。彼はアシュトンが古物商として尋常ならぬ知識を持っているだけでなく、さまざまな波乱に満ちた人生を送ってきたことを知っていた。ブライトンのホテルではじめて会って以来、ふたりは友情をはぐくんできた。ふたりとも、一般的にオカルトという名で知られる興味深い神秘主義現象や、ときには危険な世界を究めるのが好きであることが、互いにわかってきたのである。

 ディッチリン・コモン近くのアシュトンの田舎の別荘ですばらしい夕食を食べたあと、ふたりは大きな暖炉の傍らに坐った。年配の年齢層に属するアシュトンはテレビよりも音楽や古き良き会話を好んだ。そしてジェレミー・ブレイクは、セックスとスポーツと金儲けにしか興味を持たない多くの若い幹部たちよりも、少し異なる相手と過ごすことにアシュトンが喜びを見出していることに気がついた。彼はわくわくしながら、昔の祖父の上質な柱時計がチクタクと時を刻む音を聞きながら、暖炉の横で引退した古物商の話に耳を傾けた。

「このワイトは」とアシュトン。「前から知っている若造なんだけどね。ちょうどアンティークの仕事を立ち上げたところだったんだ。彼は教育をしっかり受けていたので、人を騙し、威嚇して金目のものを巻き上げるノッカー・ボーイズ(戸別訪問することからこう呼ばれる)と呼ばれる不良少年たちとはぜんぜん違っていた。でも店一軒を構えることはできず、裏通りに狭いブースだけの小さな店を営んでいた。それでブライトンでもっとも古い教会墓地の近くの古い家の地階の部屋を間借りするしかなかった。17世紀にまでさかのぼる古い墓地の横に住むことになったのである。

 彼は迷信深い男ではなかった。アパートのカーテンを閉めて明かりを点けたら、十分に心地よかった。家具は不足していたので、少しでも手に入ればうれしかった。

 店の在庫が十分でないことが気がかりだった。そこで地元の新聞に広告を出した。数行の広告のフレーズ。「小さなアンティークを最適の値段で買い取ります!」そして私書箱の番号。それから「あなたは物をよく知っておられます」。彼は返事をくれた人と会う約束をして、直接交渉した。

 ある晩、彼は部屋の中で坐っていた。とても静かな夜だった。そのとき玄関の扉が開き、だれかが階段を下りてくる足音が聞こえた。そして部屋のドアがノックされた。彼は見知らぬ人が、とくに日が沈んでからやってきた場合、警戒を怠らなかった。彼は貴重品のいくつかを敷地内に置いておく習慣があった。そこですぐにドアに向かわないで、まず窓から誰が来たのかチェックするようにしていた。いつものように窓からちらりと来訪者を見て、彼はひどく驚いた。若い女性が立っていたのである。あきらかにイブニングドレスを着ていて、その上から長くて黒いコートをまとっていた。

 彼はドアに近寄り、それを開けて、どんなご用件でしょうかと訪問者に尋ねた。小さな音楽的な声が答えた。「あなたにあるものを持ってきました。入っていいかしら」

 彼女は広告を見て連絡を取ろうとしたのだろうと推測したが、プライベートの住所を知るはずがなかった。ともかくも彼は彼女を中に案内し、坐るようにと言った。

 ダークブルーのビロードのフードをはずすと、彼女はクリーム色のサテンの丈の長いリージェンシー・スタイルのハイウェストのガウンを着ていた。さらに驚いたことに、いまどき珍しいフォーマルな白い長い手袋をはめていた。耳には小さなダイアモンドが入ったアンティークのゴールドのイヤリングを着けていた。それは黒髪に黒い瞳の彼女をいっそう引き立てていた。

 女自身は美しいというより魅惑的だった。彼女の肌は青白く、目は大きな輝いていて、豊かな黒髪は波打っていた。興味をそそられたのに、わが若い友の最初の反応はなぜか、むしろかすかな反発だった。しかし彼女が不思議なまなざしで彼をじっと見つめ、微笑みを浮かべると、彼はすっかり彼女のとりこになっていた。

「これが持ってきたものです」と彼女は言った。「価値あるものだといいんだけど」。そして彼女はガウンにぴったりのビーズ付きのサテンのバッグからティッシュペーパーにくるまれた小さな包み取り出して彼に手渡した。

 包みを広げると、そこにはいままで見たことのないすばらしいカボション(半球形に研磨された)のガーネットのブローチがあった。濃い血の色の赤の宝石がアンティークのゴールドの台枠に載っている。突然研磨された石が実際に血の滴りのように彼には思われた。彼は寒さを感じた。ぞっとするような空想に思いを巡らせた。

 彼は両手の中でブローチをひっくり返したが、そのとき「いてっ」と声をあげた。「このピン、とがりすぎているよ。ぼくの指に刺さって血が出てきてしまった」

 血の滴が、手相占い師が金星とみなす手のひらの厚い部分の上に現れた。血を見たときの女の目は爛々と輝き、ほとんど煌めいたかのようだった。それからさらなる言葉も説明もなく、彼女は彼の傷ついた手を握りしめると、柔らかい口で血を舐めたのである。

 考えてもみてほしい。彼は若者で、暖かい、柔らかい光のともった部屋に女とふたりきりだった。彼女は誘惑的で、積極的だった。彼の頭から、売ったり買ったり、値段をつけたりすることは、すっぽりと抜け落ちていた。このあと起きることは想像できるだろう。詳しく説明するまでもないと思う」。

 アシュトンは話をしているこの時点で困惑しているようにも見えた。彼は椅子から立ち上がり、ポートワインをグラスになみなみとついだ。アシュトンは本当に古い世代なのだと思ってブレイクは心の中でほほえんだ。彼はアシュトンのよきワインで気持ちが一新されたことに納得した。物語は再開されようとしていた。赤々と燃える暖炉の火を見つめるアシュトンの顔には尋常ならぬ悲しみが浮かんでいた。

「数時間後」アシュトンは言った。「彼は眠りから覚めた。驚いたことに彼はひとりきりだった。来たときとおなじように女はミステリアスにいなくなっていた。まだ外は真っ暗だった。あたたかいガウンを羽織って彼は外に出て、だれもいない通りを見まわした。ちょうど行ったところなのだろうと彼は考えた。おそらく彼女が出ていったときに彼は目覚めたのだ。彼女が急いで去るのを見たはずだ。彼女を家まで送ったのではなかったか。いや、ありえない。静まり返っている。遠く教会墓地の木にとまったフクロウが鳴いているだけだ。満月の光を浴びて古い墓石は銀色がかっている。彼はベッドに戻り、深い眠りに落ちた。朝、あれはほんとうに起きたことなのだろうかと彼はいぶかしく思った。

 彼女に関して思い出すことができたのは、彼女の名がイソベル・ハートリーであることと、彼女が女優であることだけだった。女優なので、遅く訪ねてきたことも、イブニングドレスを着ていたことも説明できそうだった。彼女ともう一度会えるだろうか。あるいは一時的にのぼせあがったことを後悔しているだろうか。彼は奇妙なほどの気だるさを覚え、起こったことの細かい部分を思い出すことができなかった。すべては夢だったのだろうか。いや、じっさいに手になにかが刺さったのはまちがいなく、枕に数滴の血がしたたりおちていた。

 月は細くなっていき、女が現れることはなかった。恋い焦がれながらも、希望はなく、若者の時間は過ぎ去っていった。それは人生でもっとも奇妙な体験だったが、もう一度おなじことが起こるような気がしてならなかった。月が満月に向かってふたたび膨らみ始めた頃、彼は教会墓地の木の枝の合間に何かが光っているのを見た。どうしてだか、彼はまたイソベル・ハートリーと会えるような気がした。彼は夜、横になって睡眠と覚醒の間にいるとき、彼女が彼を呼んでいるような気がした。

 そして満月の夜、光が階段を転がり落ちてきた。彼が急いでドアを開けると、前とまったくおなじかっこうをした彼女が立っていた。ただし今度は血のように赤いガーネットのブローチが胸に飾られていた。

 彼は舌をもつれさせながらなんとか言葉を発した。傘つきのランプの明かりの横に彼女を坐らせたときは、すっかりうっとりとしていた。何か気の利いたことを言おうとしたが、結局彼女のブローチに値段をつけることはできなかった。彼女はそれを彼に触らせようともしなかったのである。彼女はほほえんだ。モナ・リザみたいな口元だけの歯を見せないほほえみだ。「わたしのブローチはこの世では値段がつけられないの」と彼女は言って両手で彼を包み込んだ。

 あなたは天国の悦楽を味わうような愛について聞いたことがあるだろうか。あなたは地獄の悦楽を味わうような愛を心に描くことができるだろうか。その晩彼が体験したのはまさにそのような愛だった。またしてもこまかいことがぼんやりとしか思い出せず、かすかな感覚だけが強く残った。別の世界の中を漂っているかのようだった。漆黒の闇ばかりの広大無辺な世界、あるいはこの世のものとは思えない超自然的な音が反響する世界。時の暁(あかつき)以来、人を悩ませてきたすべての悪夢の幻影が集まる薄暗い世界。幻影は夢想的なカーニバルのなかで彼の前を通過し、邪悪な笑いを浮かべ、彼らの享楽に加わるようそそのかすだろう。巨大な鳥の脚爪を持つ女たち、ラミア。ニヤリと笑うヤギ脚のサテュロス。ブリューゲルやヒエロニムス・ボッシュが不快なキャンバスに描くような、知られざる世界に存在する人間が想像しうるかぎりもっともぞっとするような、荒涼とした景色の中を跳ねたり、飛んだりする。うす気味悪い、名状しがたい忌まわしきものばかりである。

 これが不可知の世界で別種の世界、すなわち正気で、通常のものすべてに対して禁じられている側面であることを知っていた。つまり古代人のアヴェルヌス湖[地獄の入口]へ降りていくのは簡単だが、上がるのはむつかしいのである。深みは極度に暗く、体と魂にとってそれがどれだけ危険であるかを彼は知っていた。しかし朝の光を浴びて目覚めたとき、彼は以前のようにひとりきりだった。生気が失せ、歩けそうになく、立ち上がろうとしてはベッドに何度も倒れこんだ。そんなありさまなのに、彼が思い浮かべることができるのはイソベルの顔だけだった。彼が感じることのできるのは、彼女をまたこの腕で抱きたいということだけだった。彼女の歯の感触は残っていた。やさしい愛のひと噛みを首筋に感じた。

 彼は、しかしながら完全に打ちのめされたわけではなかった。最後に会ってから数日がたち、心の中の変化を理性的に考えられるようになった。つまり彼は心の病気にかかり、幻覚を見るようになっていたのだと確信した。彼は元気いっぱいの地に足がついた堅実な医者に診てもらった。彼はこの医者にすべてを話すことができず、ただ体が弱り、調子が悪く、奇妙な夢ばかりを見たと話した。医者は彼をよく診て、貧血症という診断を下した。そして強壮剤と十分な新鮮な空気、休養、よい食べ物が必要だと述べた。さらには明るい口調で言い添えた。「あなたはまだ若いのに、不健康すぎます。輸血が必要だと言ってもいいくらいです」

 若者は医者が処方した薬をもらい、アドバイスに従っていくらか服用した。するといくぶん気持ちがよくなった。しかし心の奥深くでは強迫観念が支配的なままだった。彼は月が満ちるのを待った。まるで月の変化がもたらしたものを疑っているかのようだった。

 じっさい彼は途方に暮れていた。古い教会墓地で歴史的に重要と考えられる倒壊しそうな記念碑を修繕したり保存したりする作業をしなければならないという状況にあることは知っていたけれど。墓地とつながっている教会の牧師はアンティークに興味を持つことで趣味が一致する若者の友人だった。年は取っていたけれど、広い心の持ち主で、知識が尋常でなく豊かで、偏狭や無知からははるかに遠かった。聖職者のなかにはすべてのものをオカルトとみなす連中もいるのだ。じつのところ彼は有名な黄金の暁教団から派生した純粋に魔術的な教派のメンバーではないかと噂されていた。

 この聖職者は若者に教会墓地の本来の仕事についての情報を与えた。彼はアンティークの保存に関することならどんなことでも興味を持っていた。「わたしたちが何をしているか一度見に来てください」と牧師は言った。「からだの具合がよくないと聞いて心配しております。外の空気を吸って、人と話をするのはいいことだと思います。この仕事を担当している男と会うといいですよ。彼は昔のブライトンのことをほんとうによく知っています。わたしたちはいまイソベル・ハートリーの墓所を開けようとしています」。

 この話をするとき、聖職者はじっと彼を見つめているように思われた。その名が発せられたとき、彼は気を失ってしまいそうだった。しかしなんとか彼は自己統御能力を保った。なんという偶然なのか。たんなる偶然のはずだ。

 牧師はつづけた。「ご存じのように、それはすばらしいリージェンシー時代の骨壺の形をしたモニュメントの下にあります。ぐらぐらしてとても不安定なので、わたしたちはその基部を修理しないといけないのです。その下に天井がアーチ形の地下墓所があるのです。そこには碑銘が刻まれていません。おそらく全体を動かし、取り換えなければなりません。わたしはこのような完全なものを壊さないといけないのが残念でなりません。教会墓地の目印です。わたしの寝室の窓からもよく見えるのです。とくに月の明るい夜には」。

「イソベル・ハートリーですって?」若者は聞きながら、息苦しさを感じた。牧師の言葉の裏にはぞっとする何かがたしかにありそうだった。月の光のもと、彼は窓から何を見たのだろうか。

 牧師は自らの印象を気にせず、元気よく話をつづけた。「そうです、女優のイソベル・ハートリーです。ご存じのように、彼女はあの時代のセレブでした。まあ、偉大なるサラ・シドンスのように長く記憶されるには早く死んでしまいましたけど。彼女は当時の由緒ある貴族の女主人でした。夫は彼女の死を嘆き悲しみ、まもなくして妻のあとを追ったとのことです。夫はモニュメントを建てました。彼女が男たちをとりこにしたことについてはいくつかの驚くべき物語があります。そのうちの一つの物語によりますと、彼女は黒魔術と関係していたようです。ご存じのように、過去にはとても奇妙なことがありました。ほとんどのがさつな群衆はリージェント王子のまわりをうろついていました。とくに彼がプリンス・オブ・ウェールズであった頃は酔っぱらいで放蕩者だったのです。しかし何人かはもっと邪悪な心を持っていました。18世紀の秘密結社ヘルファイアー(地獄の火)クラブが復活するという噂がありました。そのなかには黒魔術に身を捧げるまじめなサークルもありました。イソベル・ハートリーはそのメンバーでした。

「こんなおしゃべりであなたを縛り付けておくわけにはいかないですね。あなたは体調がすぐれないようですから。でも墓所を開けるとき、参加したいとお思いなら、いらしてください。明日にでも、日が沈む前に、開けようかと考えています。朝早くにまず職人の人たちに作業をしてもらいます。お昼になったら、彼らはランチを食べに行くでしょう。そのときに中に入っていただくのはどうでしょうか」

 牧師は不安でいっぱいの若者を残して教会へ戻っていった。彼は理性を取り戻そうとしたが、うまくいかなかった。彼はほとんど眠ることができず、部屋の中をうろついた。そしてまったくひどい、戦慄させる名前の偶然の一致であることがあきらかになるのを待った。でなければ、どういうことなのだ? 

 ついに指定された時間がやってきた。太陽のまぶしい朝、若者は教会の玄関で牧師と落ち合い、作業員たちのランチタイムまでここで待った。作業員たちがいなくなるとすぐに彼らはモニュメントがずらされた場所へ行き、小さな階段を下りて墓所の中へ入っていった。古い様式の扉は頑丈で重く、鉄の錠も錆びて簡単には開きそうになかった。しかし牧師が持ってきたバールで意外とすんなりと開けることができた。

 彼は扉を大きく開け、ふたりは陰鬱な部屋に新鮮な空気が充満するまで立っていた。扉の位置が日の方向だったので扉を開けると日射が直接アーチ状の空間を照らした。知識を持つ男と言われる牧師がこの時間を選んだのは、まさにこの日射の入ってくる時間帯で調査しやすかったからである。

 日射によってこのアーチ天井の空間の中央に置かれた大きな棺が姿を現した。痛いほどの不安を感じながら、若者は身を乗り出して棺をよく見た。磨かれた金属プレートにはイソベル・ハートリーと書かれていた。厳しい顔つきの牧師は黙々と、しかし迅速に、ためらうことなく棺の蓋をあけた。蓋を片方にあけたまま、シルクの帷子をはずし、若者に近づいて中を見るよう目で促した。

 墓所の静寂は苦悶の叫び声で破られた。若者が棺の中に横たわっているものを認識できたからである。サテンのガウンを着て眠っているかのように横たわる女性は、かくも奇妙で美しかった。しかし美しさはたったひとつの小さなおぞましき点によって損なわれていた。彼女の両唇のあいだから二本の尖った歯が飛び出していたのだ。 

 若者はまるで命がある体を抱こうとしているかのように、棺の横に膝をついて身を投げ出した。しかし彼がそうしようとすると、正午の強い日差しによってひどい変化が現れはじめた。頬は落ち込み、唇の赤みは消えていった」。

 アシュトンは話を続けられないかのように小休止した。一瞬、彼は自分の両手の中に顔をうずめた。黙って驚いたまま話を聞いていたブレイクは冷たい空気が部屋に入ってきたような気がした。暖炉の炎は弱まり、はじける音も消え、古い時計の時を刻む音だけが残った。それからアシュトンは深くため息をつき、椅子から立ち上がると、消えかかった火に丸太を補充した。すると火花がぱちぱちとはじけ飛んだ。彼は椅子に坐り直し、落ち着いてつづきを話しはじめた。

「数分のうちにすべては終わった。若者の目の前でイソベル・ハートリーの体は腐敗しはじめ、それから塵となり、棺の中はサテンのイブニングドレスのなかに残る腐敗物と骸骨だけになった。胸の部分の上には、金枠のガーネットのカボションのブローチが輝いていた。意識を失う前に彼が見たのは、日光を浴びて血の滴りのように見える赤い石だった。

 意識が戻ってきたとき、彼は教会の聖具保管室の床の上に横たわっていた。頭はくるくる巻いただれかのコートの上にのっていた。牧師は気つけ薬を持って彼の横にひざまずいていた。牧師はやさしく、いつくしみながら何の説明も求めず、話しかけた。あとで思い返すと、この正統派でない聖職者は話した以上のことを知っているようだった。患者を残して牧師はすぐに墓所に戻り、できるだけ見かけを何もなかったかのような状態に整えた。聖具保管室に若者を運ぶ姿を見た人に向かって牧師は、友人は病気療養中なのだが、墓所の空気がよどんでいて気分が悪くなったのだと説明した」。

「それで若者はどうなったんですか」アシュトンが一呼吸置くと、ブレイクはたずねた。「彼は回復しましたか。彼はまた彼女と会ったのですか」

 時計がメロディアスなチャイムを鳴らした。ふたりとももう遅い時間であることに気がついた。アシュトンは謎めいた表情を浮かべ、炎をじっと見つめながら言った。

「いや」と彼は言った。「彼女と会うことは二度となかった。牧師が彼の命を救ったこと、おそらく死よりも悪いことから救ったのだけど(死よりも悪いものもある)、若者は彼のことを恨んだ。しかし、そう、ともかくも健康は取り戻した。ブレイク、ここに来て。今日はゲストルームに泊まりたまえ。家に帰るには遅すぎるからね」

 ブレイクは同意した。ふたりが別れたとき、彼はそれ以上の質問をしなかった。アシュトンの表情を見たあと、彼は暖炉の火をじっと見ながら、若者がだれであるかはじめて気がついた。

 

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