猫魔術 エレン・ドゥガン 宮本神酒男訳
猫の智慧
私は多くの哲学者について学び、また多くの猫について学んできた。わかったのは、猫の智慧のほうがはるかにすぐれていることだ
イポリット・テーヌ(19世紀のフランスの歴史家、哲学者)
小さな猫の本を書くというアイデアは、ある日机の上にひょいと飛び出したものです。それはなかなか消えませんでした。驚くとともに、やや困惑しながら、私はそれを机の上にひょいと飛び乗った自分の猫のように扱うことにしました。私はしっかりと、しかしやさしく、そのアイデアをつまみ上げ、わきに置きました。それから深呼吸をして、そのとき手掛けていた執筆プランにもどり、集中するよう自分自身に言い聞かせました。
乙女座生まれの者として、私は物事を組織立て、リストを作り、プランを膨らませるのを得意としています。つぎの本のプロジェクトは大枠ができていて、すでに数章を書き終えていました。概要は女性編集者に送り、チェックをしてもらっていました。またいくつかのエッセイの締め切りが迫り、私はそれに忙殺されていたので、猫のテーマのことにかまっていられませんでした。ほかの仕事をこなさなければならなかったのです。いくつかのエッセイを書きながら、私は猫の魔術というテーマに強く惹かれていることに気がつきました。それはなんと奇妙で面白いものなのだろうと思いました。
言ってみれば、かゆみを止めるようなものです。私はそう考えながら、腰を下ろし、女神へ祈りの言葉を唱えました。そして神経を集中し、このテーマに取り組めるようにと祈りました。私は机を片付け、書き上げたエッセイを送り、つぎの仕事にかかる準備をしました。
そのあと面白いことが起きました。オフィスで片付けをしていたとき、16歳の私の娘が部屋に入ってきて、私が書いたエッセイを読みたいと言ってきたのです。私はエッセイを娘に手渡し、彼女がそれを読んでいるあいだ、地元の図書館で調べた参考書籍のリストを作成しはじめました。娘はエッセイを私に返しながら、ペットの猫といっしょにおこなう儀礼のところが好きだといいました。
「ママ」娘は私にたずねました。
「なに?」リスト作りに集中しながら私はこたえました。
「猫と魔術について書いてほしいの」
私はペンを置き、目を丸くして娘を見ました。「まあびっくりだわ。そのことについて考えていたところよ」
思いもよらぬことに笑わずにはいられませんでした。私は現在取り組んでいる本の中身について娘に話しました。娘の反応は昔から変わらぬ十代の少女そのものでした。彼女は目をくりくりと動かし、フウっとため息をつきました。(うんざりして目を動かし、ため息をつくことにかけては十代の少女にだれもかなわない)
「そう、書くって楽しいことなのよ」と私は娘に同調しました。私の弱さを感じとりながら、娘は熱を込めて語りはじめました。私は坐って彼女の話に耳を傾けました。それが中座したのは、机の上にぴょんと飛び乗ったわがトラ猫のせいでした。トラ猫は私のノートの上にでんと坐りました。私は猫をつまんでわきに置き、ペンをもちました。そして笑いながら猫と娘に部屋から出ていくようにと命じました。
しかしふたりとも、ピクリとも動きませんでした。娘はというと、腕組みをして、片方の眉をあげて立っています。印象的なポーズです。それは私から学んだものでした。
「それについてはあとで考えるわ」私は娘に約束すると、猫を軽くついて机から出ていかせようとしました。関連書のリストアップを終えるべく私はペンをもちましたが、猫は余計に遊びたくなったみたいで、ペンにじゃれついてきて、噛もうとしました。
「サマンサ、やめなさい!」私はどなりつけて、猫に机から降りるよう命じました。
二匹の猫は机の上が「立ち入り禁止」であることを知っていました。私が仕事をしているときは、争うように、机の下の私の足元で寝るか、オフィスのなかのラブシート(二人掛けのソファ)で寝ようとしました。しかしいまサマンサは机から降りるのを拒否し、ゴロゴロとのどを鳴らし始め、モニターに体をなすりつけました。
「サマンサもママに猫の魔術について書いてほしいんだわ」娘は笑いながらいいました。そしてサマンサを抱きかかえました。「ママ、クールだと思うわ。書くべきよ」と娘は私にうながすのでした。
「考えてみるわ」トラ猫をかかえて部屋から出ていこうとする娘にむかって、私はそういいました。
関連書リストの作成に戻ったとき、猫はジャスミンだけでした。ジャスミンはダイブ・ボム(急降下爆撃機)のごとく私のところに飛び込んできました。わずらわしく思った私は猫をつまんで窓敷居に置きました。猫はそこでくつろぎ、細いしっぽをもの憂げに振りました。私が概要を書き入れたフォルダーに手を伸ばしたとき、ジャスミンはじぶんの意見を知らしめようとしはじめました。
ニャオオオウ! 猫は悲しげに鳴きました。こういう鳴き方をするのはめずらしかったのです。ジャスミンはかすかに鳴くことはあっても、ふつうの猫の鳴き方で鳴くことはなかったのです。
「どうしたっていうの?」私はジャスミンにたずねました。私は猫の耳をひっかき、コウモリ(耳)を解放してやりました。「邪魔をするんだったら、ここから出ていってもらうわ」私は床に落ちたファイルを取り上げながら、猫に警告しました。そのときサマンサがタッタッと走ってきて部屋にはいり、床のファイルの束の上に坐りました。なんとしたことでしょう。
「あんたたちふたりともどうしたのよ!」私は二匹の猫にたずねました。サマンサはニャーニャー鳴きはじめ、ジャスミンは窓敷居から飛び降りると、私の机の上に移りました。猫は私の顔の上にのってきて、その鼻を私の鼻にこすりつけました。私は魔女が飼うような黒猫と、顔と顔があわさるほどに近づいたのです。私の緑色の目は猫の金色の目をのぞきこみました。
前方に道しるべあり。「トワイライトゾーン」のテーマソングが流れました。私は思わずにやりと笑いました。
「猫の魔術について書くつもりなんてなかったのに」クスクス笑いながら私は猫たちに説明しようとしました。ジャスミンはふざけて前足で私の頬をたたきました。その表情は賢者のようでした。サマンサは私の膝の上にあがりながら、ゴロゴロとのどを鳴らしました。私は女神に手助けしてくれるよう頼んでいました。女神は神の軍隊を送ってくれたのかもしれません。
前回、原稿をもって女神に頼み事をしたとき、まったくちがったことを書かざるをえなかったことを思い出しました。今夜は満月です。そのとき突然今月のもうひとつの満月、ブルームーン(青い月)のことを思い出しました。伝統によれば、ブルームーンはすべてのミステリアスな、魔法的な、非日常的なできごとの時間なのです。
私は腰を下ろし、頭から絞るようにアイデアを取り出しました。猫たちは机とわが膝から飛び降り、ラブシートに坐りました。私はノートをめくり、新しいページに移りました。ここには手がかりならぬ猫がかりがあるでしょうか。一日か二日は猫について考えようと私は誓いました。この期間だけ日常のルーティーンを変えるだけです。私はミステリアスで、魅力的で、魔法が使える猫の話題を調べ始めました。
あきらかにわが娘と猫たちはこれを望んでいたのです。
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