ケサル王はアッラーの名の下に

 パキスタン北部、世界第二の高峰K2の南に広がるバルチスタン地方。私がここでまず何を探したかといえば、チベット人顔だった。バルチ人は古代チベット語を話すと聞いたからだ。歴史書をひもとくと、西暦736年に吐蕃がバルチスタン(勃律)を攻め、占領している。しかし見かけた大半の人々はヨーロピアンないしは中央アジア系の顔立ちで、典型的なチベット顔はほぼゼロ。しかも100%がイスラム教徒なのだ。

 そんなアッラーの土地でケサル王物語が語られるのは奇跡に近いことではなかろうか。ケサル王物語はチベット文化圏に伝わる叙事詩であり、ケサル王は仏法の名において悪を制圧する英雄なのだから。

 カンデ村のケサル詩人ムハンマド・チョー(80)は一日五度の礼拝を欠かさない敬虔なイスラム教徒である。驚くほどの食欲をもち、抜群の記憶力を誇るが、視力はほとんど失ってしまった。老詩人は二日間にわたって滔々と十八番の「ホル・リン戦争」の章を語り、歌った。ケサル王が北方の魔国と戦っている隙を狙って敵のホル国がリン国に侵攻し、妻のブルクモをさらっていく。ブルクモはホル王との間に不義の子をもうけてしまうが、ケサル王はホル国を滅ぼし、妻を奪還する、という筋である。

 ことばはよくわからなかったが(ときおりチベット語の語彙を発見したが)老詩人の語りは流れ出るエネルギーのように感じられた。部屋の中はエネルギーに満ち、いきいきと躍動をはじめるのである。二日目の朝、老詩人は杖をつきながら、数百メートル離れた谷間へ私を案内し、不貞の妻が母乳をこぼしてしまった跡(岩の白色のすじ)や妻の花飾り(崖の赤いしみ)などを見せてくれた。老詩人の手にかかると、それはもはや作り事ではなくて、昨日起きたばかりのなまなましい事件なのである。


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