どうやってシャーマンは神がかるのか。じっとしているだけで神がかるほど、シャーマン業は甘くない。すべてのシャーマンは基本的にドラッグをやっているはずだと、ワッソンのようなキノコ信望学者は乱暴に結論づけたが、それは極論すぎるだろう。
この8月22、23日、インド西北ラダックのシェイ村でシュブラ祭という収穫前夜祭的な村祭りがおこなわれた。一日目、寺の近くの広場で獅子舞(獅子ではなく馬だというが……)が演じられる。ふたりの獅子使いと獅子とのコンビネーションは素朴だが、絶妙である。そして二日目、寺の護法神である憤怒女神ドルジェ・チェンモが降りたラパ(直訳すれば神人)が寺のテラスや屋上で観衆を前にして神がかる。
この神がかりが面白い。ひたすらチャン(麦酒)を飲みまくるのである。飲んで、飲んで、推計30本。人間技ではない。神技である。……よく見れば飲むふりをしているだけで、中身は人々に向かってふりまいているのだが、余計な詮索は神にたいして失礼というものだろう。
ラパは、村の寺のテラスで神のことばを告げたあと、丘の上の寺院やお堂、ストゥーパなどを馬に乗ってめぐったあと、村の寺に戻ってくる。その姿はまさに英雄である。道中、村人からなにか尋ねられると、いちいち丁寧に答える心のやさしさも示していた。
しかし神がかりの終了間際、ラパは突如「みな私のことを信じないから12年間もうやって来ない」といじけはじめた。村人らは手を合わせて「そんなことおっしゃらないで来年もおいでください」と懇願する。「じゃあ6年後に来よう」「ぜひ来年も」「じゃあ3年後に来よう」といったやりとりが続き、結局来年もやってくることで落ち着く。こうしていじけるのは神らしくないが、女性の神だからだろうか。