十二月中旬、冬のインド北西ヒマラヤ、スピティ地方のピン谷に旅芸人僧侶集団(とでも呼ぼうか)ブジェンを訪ねた。(ブジェンについては別項に詳しく述べたい)
ピン谷から中心地カザへの帰り、雪深い道を25キロも歩くことになった。気温が零下20度以下にがくんと下がる前に、バス道に出なければならない。しかし身体がだるく、速度が上がらないので、オーディオ・プレーヤーを耳にかけ、日頃ジョギングするときに聴く音楽をかけながら歩き始めると、われながら驚くほどの猛スピードで進むことができた。
あるエピソードを思い出した。アラブの国にラクダの群れをとてつもない速度で走らせる才能をもった少年がいた。少年が特殊な歌をうたうと、ラクダの群れは休むことなく猛然と走りだし、あっという間に目的地に達したという。音楽には不思議な力があり、脳とうまく同調すると信じられないほどの能力を発揮させるのだ。そういえば何年か前、ネパール・ヒマラヤの森の急斜面をひいひい言いながら這い登っていると、下のほうから太鼓の音が聞こえてきた。数分後、行者のような男がトランス状態で、太鼓を叩きながら、はね踊るようにして、風のごとく駆け上がっていった。男はグルン族かタマン族のジャーンクリ(シャーマン)である。
チベットでいう風の行者(ルン・ゴムパ)とは彼のような者ではないかと、そのとき思った。風(チベット語でルン、サンスクリットでプラーナ)は気であり、体内の風を制御して特殊な状態を生み出し、トランス状態の肉体を疾走させることができる。
と、そこまで連想が進んだところで、ラクダの話のオチの部分を思い出した。異常な速さで目的地に到達したラクダはみな死んでしまうのである。その場面を頭に浮かべた瞬間、心臓が痛くなったような気がして、足が止まった。音楽ぐらいで風の行者になれるわけもないのだ。