チベットではお坊さんは珍しくないので、ある老僧侶に関する印象がまったく記憶にないからといって、驚くことではない。チベット人の友人に「会ったはずだ」と言われてずいぶんたって、ぼんやりと輪郭が蘇ってきた。やはり記憶に残らないタイプの老僧侶だ。
今を去ること数十年、ここレコン(青海省同仁県)では、現在と同様ハワといわれるシャーマンが共同体のなかで重要な位置を占めていた。そしてやはり同様、とくに祭礼のあいだは神としてあがめられていた。ところが当時、ソグル村(前回紹介した模範的なシャーマンがいる村だ)のハワは、神が憑依していない間は、馬泥棒だった。おそらく、馬だけでなくいろんな物を盗むしょうもない男だったのだ。日常的には犯罪者なのだが、祭礼などの場合、神になってしまうのだった。
ある年、祭り(六月祭)はハワのお告げで大団円を迎えようとしていた。ハワは喋れないので、となりの者がいわば通訳をする。ところがこのとき通訳が突然「私がからだを借りているこいつは悪いやつだ。こいつを殺せ」と叫んだのである。ハワの目には恐怖の色が浮かんでいただろう。「おい冗談じゃないよ、オレそんなこと言ってないぜ」と言おうとしていたのかもしれない。しかし神は喋れない、喋ってはいけない。
村人たちはハワを引き立てていき、崖まで来ると首に縄をかけ、突き落とした。
これが今も声を潜めて語り継がれるソグル村の「シャーマン殺し」である。新手の処刑と言ってもいい。このハワには小さな息子がいた。幼い心に村人による父親の処刑はどのように映っただろうか。詳しいことはわからないけれど、その後僧籍に入り、ずっと僧侶として生きてきたことからも推し量れるだろう。私が会った老僧侶は、存在感が薄いのではなく、存在感を消して生きてきたのだ。