それぞれのお告げの仕方

 はじめて「お告げ」なるものを見たとき、正直、ぶったまげてしまった。六月会(七、八月頃に行なわれる予祝祭的な祭り)のさなか、レコン(青海省同仁県)のマパという村を訪ねると、祭りは佳境にさしかかっていた。紙吹雪(実際はルンタという祈祷用の小紙片)が舞い、爆竹の音と煙が充満するなか、村の男たちは片面太鼓を打ち鳴らしながら、踊り狂っていた。その中心にいたのがヒャウォ・ツェランという名のハワ、すなわちシャーマンだった。ハワがタンカ(巻軸画)と神像の前に座ると、お告げを拝聴すべく、男たちもハワを取り囲むようにして膝をついた。一瞬、静寂があたりを支配する。ハワはブルブルと唇を震わせながら、ゆっくりと神経を集中していく。と、突然、白眼をひんむいた顔つきをして、喉を押しつぶしたような異様な声を発したのである。 私にはしかしなんと、その神の声が昔懐かしい鳳啓介の声に思えたのだ。そう思ってしまったら、それはお告げではなく、もはや鳳啓介の亡魂が蘇って私に、あるいは京唄子に話しかけているとしか思えない……。私は頭を何度か振って、幻覚を取り払った。すると眼前にはハワがいて、そのお告げをとなりの誰かが翻訳している。ハワの言葉は文語なのでわかりづらく、翻訳者が必要なのだという。内容は喧嘩しないで仲良くしろとか、年長者を大切にしろとか、収穫はよいとかで、特筆すべきものはなかった。しかしハワによってお告げの仕方は異なり(だれにもわかる言葉でしゃべる者もいればキングコングのように胸を叩くだけの者もいる)そもそもお告げができるまでふつうは何年も要するのだ。そのことについては次回、くわしく述べたい。