チャールズ・フォートの生涯
1 だが呪われし者たちは行進する
あなたは馬鹿げたことに対して、他の馬鹿げたことで対抗することができる
何が『呪われし者たちの書』を書かせたのかは、だれにもわからない。
1920年1月、アメリカ中の本屋という本屋の棚にそれは現れることになる。その少し前、クリスマスの季節の盛況がつづいていたマンハッタン5番街のブレンターノ・ブックストアに、『呪われし者たちの行進』を含む書籍が詰まった段ボール箱がボニ&リブライトという出版社から届いた。しかしそれらは他の新しい本とともに書店の奥へ追いやられた。理想的なクリスマスの贈り物として陳列されていた子供たちのための色あざやかな絵本や人気の高いロマンス小説が占める店頭に割り込むことはできなかった。1920年がはじまると、金ぴかの花輪や窓ガラスの飾り物がショーウインドウから取り除かれ、箱詰めにされて搬出された。ブレンターノの店員たちはディスプレイをあらたに整えた。『呪われし者たちの行進』のほか、ブラスコ・イバニェスの最新スパイ小説『我らが海』、H・L・メンケンの辛辣なエッセイ集『偏見』、セオドア・ルーズベルトの『子供たちへの手紙』、シーグフリード・サスーンの大戦に関する詩集『ピクチャー・ショー』、開拓時代の西部の花形の妻たちによる『バッファロー・ビルの記憶』などが含まれていた。段ボール箱が取り出され、封があけられると、ぴりっとする獣皮膠(にかわ)と印刷機のインクのにおいが鼻をついた。新刊本の約束のにおいである。
ボニ&リブライト社は成り上がりの出版社だったが、数年前、「モダン・ライブラリー」というタイトルのもとに名著再販シリーズを刊行する名誉に浴していた。著者はオスカー・ワイルド、ロバート・ルイス・スティーブンソン、ヘンリク・イプセンなど錚々たる顔ぶれで、それぞれの本はフェイクの皮革で装丁され、値段は等しく60セントと手頃だった。不幸なことに、最初のモダン・ライブラリー・シリーズの本が製造されたとき、休めのフィッシュ・オイルの膠(にかわ)が使われてしまった。そのため陽ざしのいい暖かい日、本は悪臭を放ち始めた。出版者のホレース・リブライトはただちに本の製法を変えたが、会社は何年ものちまでフィッシュ・オイルのことで愚弄されつづけた。
リブライトの最新版の本にそのような問題はなかった。カバー上に記された値段は1ドルである。その小さな厚めの本のカバーは明るい赤色の布地でできていて、金色のタイトル「呪われし者の書」、著者名「チャールズ・フォート」、星雲の中で惑星が回転しているかわいらしい図案が入っていた。本のカバーの覆いの部分には小説家セオドア・ドライザーの推薦の言葉「これは素晴らしい本だ!」が記されていた。そしてその内容にも触れていた。
これは驚くべき本だ。12年のたゆまぬリサーチのすえ、作者は科学者が無視してきた、あるいはゆがめてきた大量の動かぬ証拠をここにそろえている。それらは皮肉たっぷりのユーモアや、洞察力あふれる詩的なひらめきを交えながら、論議を戦わす作者の強力なサポートとなっている。
その内容がファンタジーや宗教、科学、哲学として認識されることはなかった。人目を惹くタイトルは神秘的な印象を与え、質素な紙のカバーに人はつい手に取ってみたくなりそうだった。カバー上には、簡素なブロック体の文字、惑星や波打つ溶岩、日食などを表す渦巻くグレイとピンクの形象がデザインされていた。客は足をとめ、本を手に取り、手の中でひっくり返してみるだろう。そして横目でちらりと見ながらカバーを破り、中身をじっくり見るだろう。作者が不道徳なこと、犯罪的なこと、快楽主義や無神論について語っているのではないかと考えるのだ。1920年代、新刊本のなかにこれらの要素が見つかっても不思議ではなかった。
ブレンターノの店員も同様に内容について心配し、買い物客の反応を研究した。ボニ&ライブライト社は質の高い著者と興味深い刊行物で高い評判を得ていた。しかし本が開けられる場所によっては反応がよくないので、店員はがっかりした。顧客によってはジョークでも発見したかのように失笑した。そして本を棚に戻した。人によっては文章のなかに並べられた事実を見たいがために本を開いた。それらは学術的な引用であり、刊行物の名前や発行日、何巻であるかまで記されていた。しかめ面をした読者はカバーを閉じ、ほかの本を読み漁った。しかし多くの客は内容に惹き込まれ、催眠術にでもかかったかのようにページをめくりつづけた。うっとりした目の彼らは代金を払い、この本をバッグに入れると、脇にはさんだままそそくさと家路に向かった。