ガンデン寺解説
ンガム・チュー・カン(1)
寺院に入り、本道を歩いていくと、右側にある2番目の建物がンガム・チュー・カン(大経堂)である。ガンデン史初期、ツォンカパと弟子の僧侶たちが日々の勤行のために集まった場所に建てられた小さな堂。ガンデン寺内のほとんどの堂と同様、メインとなる像はツォンカパ本人と弟子のケンドゥプ・ジェとギェルツァプ・ジェである。ツォンカパと出会う前、このふたりはともにサキャ派に属す有名な僧侶だった。師の理解の広さと深さに確信をもった彼らは、師が死去するまでそばに残って仕え、教えをより明瞭にすべく厖大な注釈書を書き残した。この3人の像の左にはシャキャムニの像があり、右側には黄金の水瓶をもつツォンカパ像がある。祠堂の左側には4柱の神に捧げられた小堂がある。4柱の像とは、ペルデン・ラモ、マハーカーラ、ダルマラジャの像、そしてずっと右のほうに離れて立つヤマンタカの大きな像である。
ガンデン寺内のほとんどの守護神の小堂では、女性がこの暗い室内に入ることは許されていない。この規制は近年作られたものである。なぜなら僧侶たちのなかには、憤怒相の神々の姿がより純粋な性の人々(女性)にショックを与えると信じているからである。
ゴム・デ・カン(2)とテプ弁経堂(中庭)(3)
本道を進むとつぎの建物はゴム・デ・カン(瞑想堂)である。その名が示すように瞑想用の部屋として使用されたと考えられているが、いまは僧侶たちの生活の場所である。すぐ下はテプ弁経堂の中庭。学んだことの意味を解析するために、課業のあと僧侶たちはここに集まり、討論をする。後ろの高座は(討論形式の)試験がおこなわれる場所。
ツォンカパの黄金の霊塔(Ser Dung)(4)
印象的な構造によって、ガンデン寺でもっとも目立つ建物である。一番上に4つの小窓がついた、高く、湾曲した赤い壁ですぐそれとわかるのである。すぐ下には最近修理が完了した白いストゥーパがある。このストゥーパにはさまざまな聖なる経典や工芸品が入れられている。それらの一部は、破壊されたあと散乱した、あるいは壊れたものをかきあつめたものである。
右側上部の側面からセルドゥン(黄金霊塔)に入ると、そこは部分的に空が見えるゆったりした内部の中庭である。真正面に見えるのはダルマラジャに捧げられた守護神祠堂である。ここもまた女性の立ち入りを禁じている。内側の中央の像はダルマラジャである。そのまわりの黒い壁には10柱の憤怒神が、その上には守護神に関する教えを伝えてきた重要なラマたちが描かれている。
守護神祠堂の左側にはもうひとつの扉があり、それは大きなむきだしの部屋に通じていて、銅と金でできた巨大なシャカムニ像がある。部屋の壁には、ぐるり一周する棚があり、現在のはてしなく長い時間の千仏を代表する1000の彩色された土の像が整然と並べられている。
階段を上がっていったなら、ツォンカパの遺物が納められた祠堂に到達する。祠堂に入ると左側に大きな本殿があり、僧侶たちがここに来て勤行をつとめる。右側に少し高くなっているのは、巨大な金と銀のストゥーパが立つヤンチェン堂である。
ツォンカパが死去したとき、その身体は16歳の若さを保っていたという。遺体はそのとき防腐処理が施され、巨大なストゥーパのなかに安置された。このストゥーパは文革のあいだに壊されたが、紅衛兵は遺体が完全な状態であるのを見て恐れをなしたという。その髪や爪はまだ伸びていたのである。
それにもかかわらずそれは破壊されてしまった。頭蓋骨の破片の一部だけがかろうじて残され、集められ、現在のストゥーパのなかに保存されている。ストゥーパの前に置かれているのは、ツォンカパとふたりの弟子の像である。
この部屋がヤンチェン堂と呼ばれるのは、大きな石があり、それがインドのヤンチェン(サルヴァスティ)から奇跡的に流れてきたと信じられているからである。この石は後方の左隅の壁の根元に現れているのを見ることができる。
ストゥーパの正面の左側の小さなガラス・ケースの内容も研究する価値がある。そこにはツォンカパが用いた大きな托鉢の盆と木製の茶碗、師ナムカ・ギェルツェンからもらった大きな金剛杵、大師の歯が納められた小さな銀のストゥーパなどがあった。
この歯は、ツォンカパが死ぬ直前に抜け落ちたとき、弟子たちが求めたものだという。彼らの望みをかなえるため、すべてのものを祭壇の上に置くと、それらはマンジュシュリー(文殊)の姿をとった。この幻影が消えると、彼は歯を弟子のケドゥプ・ジェに与えたという。
アムド僧舎(カンツェン)(5)
アムド・カンツェンは、アムド(チベットの北東部の地区)出身の僧侶が集まって住む単位。(訳注:ガンデン寺全体で26のカンツェンがある)ツォンカパ自身がアムド出身だったので、この地域出身の僧侶たちは現在もガンデン寺に特別な親近感をもっている。
アムド・カンツェンのメインの堂は、金襴緞子の飾り物が垂れ下がり、壁という壁にはあらたに壁画が描かれている。壁の左側のほうには、(三聚経の)懺悔する35のブッダの姿が描かれている。後ろの壁のメインの神像は(左から)ツォンカパによってアムドから招来された地方の守護神であるアニマ・ジェ、討論している姿で描かれるジェツン・チューキ・ギェルツェン、マイトレーヤ(弥勒)、地面の上の小さなガラス・ケースのなかで守護神ダルマラジャの目と信じられているもの、ツォンカパと二人の弟子、ターラー、話をすると言われるターラーが描かれた彩色の石、ガンデン出身の有名な僧侶ラマ・パラ・リンポチェ、守護女神ペルデン・ラモである。また、右側の壁には16のアルハット(阿羅漢)が描かれている。
デウ僧舎(カンツェン)(6)
このカンツェンに関しては特筆すべきものはなし。主な像はまたもツォンカパと二人の弟子たち。その左側には小さな、彩色されたマンジュシュリーの石像。僧侶たちはこれを奇跡によって作られたとみなしている。
山の尾根に沿って歩き、デウ・カンツェンを過ぎると、丘の背後の寺をめぐる巡礼路の出発点に行きつく。この巡礼路から見る景色は息をのむような美しさだ。そこからキチュ盆地越しに谷間や山並みが見え、その向こうには地平線へとつながる。澄んで薄い空気を吸うせいか、極端なほどの空間を感じる。巡礼を歩くとどこでも、祈祷の旗とその他捧げられたもので埋まった装飾のない、小さな祠があることに気づくだろう。
ツォンカパ修行庵(7)
この小さな建物は、巡礼路が丘のまわりをカーブして寺院方向へ戻るとき、突然山の斜面から飛び出してくる。ここはツォンカパが中央チベットにやってきて、最初に隠棲するために滞在した場所である。洞窟のなかに入ると、石壁のレリーフにツォンカパの像が彫ってある。そして彼のカダム派との関係を示すために、アティーシャとドム・トンパの像が彼の肩の上に彫ってある。この隠棲所を過ぎてすぐのところのやや上に祠堂がある。ここはツォンカパが守護神に祈りを捧げた場所である。
ガンデン寺の座主の住居(ティドク・カン)(8)
ティドク・カンは、ゲルク派の名目上のトップであるガンデン寺の座主「ガンデン・ティパ」の公式の住居である。上の階の装飾が施された祠堂には、完璧なカンギュル(大蔵経)のセットがそろえてある。これらの長い布で包まれた経典は後ろの壁に置かれ、そのわきにはツォンカパとふたりの高弟の像があった。部屋の反対側にはガンデン・ティパが使用した玉座のひとつがあった。(扉の向こう側には黄金の玉座の部屋がある)
階下には訪ねるべき4つの祠堂がある。最初の祠堂は階段を降りた左側にあり、サムバラに捧げられた部屋である。典型的な薄暗いタントラの祠堂の壁は黒く、凶暴な像で覆われている。それらは主神のサムバラにツォンカパの弟子のギェルツァプとマハーカーラの像が加えられている。祭壇の右にはガラス越しに小さなヴァジュラヨーギーニの像が見える。女性はこの部屋に入ることが許されない。
サムバラ堂を出て角を曲がるとゾム・チェン・カンがある。ツォンカパとふたりの高弟の像の左にあるのはパボンカ・リンポチェの像であり、その左は現在のダライラマ法王の家庭教師だったティジャン・リンポチェの像である。この部屋の右側には玉座があり、ツォンカパの上衣の僧衣が束ねられて置かれている。
中庭の左側の扉を抜け、廊下を進むと、ツォンカパが逝去した部屋へと通じている。この薄暗い部屋にあるのはベッドと座部だけである。しかし壁は豊かに彩色された神々の像に満ちている。そのなかでも際立っているのは、マンジュシュリーの4つの側面である。左側の壁には、4本腕や2本腕の姿が描かれる。後ろの壁には、真っ黒の、あるいはライオンに乗った姿が描かれる。ツォンカパとターラー目g身はそれぞれ二度描かれている。そのほかグヒヤサマジャ、ヴィジャヤ、アミタユス、ダルマラジャ、マハーカーラが入り口を守護している。
つぎの部屋は、歴代ダライラマ法王がガンデンを訪ねたときに滞在する部屋である。左手隅には、歴代ダライラマ法王用の飾られたベッドが置いてある。後ろの壁に置かれているのは、信者が寄進した35の懺悔のブッダの像である。メインのツォンカパ像の右にはパンチェンラマ像がある。
黄金の玉座の間(セティ・カン)(9)
この狭い、赤い建物はガンデン寺座主の住居とツォンカパの黄金の霊塔のあいだに立つ。天井の高い堂があり、そのなかにツォンカパの黄金の玉座があり、巨大なツォンカパとふたりの高弟の像の下にガンデン寺の石碑が立っている。玉座自体はダルマラジャの角のひとつによって作られたという。薄汚れたバッグに入れられ、玉座の上に置かれているのは現在のダライラマ法王がインドへ逃亡するさいに残していった黄色い帽子である。たった3人のラマだけがこの玉座に坐ることが許された。ツォンカパとガンデン・ティパとダライラマである。それは大きな玄関に面しているが、そこからガンデン寺のメインの講堂のエリアが見える。中庭は現時点では荒廃している。上階の部屋にはカンギュル(大蔵経)が収蔵されているが、一般公開はされていない。
ニャレ・カンツェン(10)
ガンデン寺で(この時点で)もっともみすぼらしい、修復されていない建物、にゃれ・カンツェンは訪問客の気をひくことはない。例によってツォンカパとふたりの高弟の像が祠堂を飾るが、ほかに特記すべき像も遺物もない。
ンガリ・カンツェン(11)
ンガリ・カンツェンのなかのよく保存された堂はひとそろいの像をもっていて、これによってほかのカンツェンと異なっている。メインの像は大きなツォンカパ像で、ここではふたりの高弟を連れていない。この像の顔の特徴ははっきりしていて、おそらく師自身の時代からこの像がもっていた表現をとらえようとしている。この左にあるのはアティーシャ、ドム・トンパ、ンゴク・レグパイ・シェラブらカダム派の師の像である。そして右側にはパンチェンラマ2世のパンチェン・ソナム・ダクパ、そしてガンデン寺出身の高名なラマであるチューキ・ギェルツェン、ドンゼ・ダクパ・ギェルツェンの像がある。
ジャンツェとシャルツェ大学堂(12−13)
ジャンツェとシャルツェは両方ともツォンカパの弟子たちによって建立された。前者はナムカ・ペルサンポであり、後者はネテン・ロンギェルワである。このふたつのガンデン寺の中心となる大学堂(ダツァン)は(この時点で)再建されてなく、荒廃している。これらの建物の正確な位置は図表上の点線によって示されている。伝統的に異なるカンツェン出身の僧侶はこの2つの大学堂のどちらかに所属する。彼らはここで勤行をおこない、勉学にはげむ。これらの大学堂は南インドに再建され、僧侶らの訓練をおこなっている。一方チベットでは、僧侶らは黄金の霊塔の建物を講堂のかわりに使っている。