ケサル王物語
2 タントン・ギャルポ、リン国に来る
人の世は南瞻部洲(なんせんぶしゅう、現世のこと)にあり、雪の国(リンのこと)は、チベットのアムド・カム地方にあった。土地は豊かで人民も富裕だった。その地はリン・カルボ(Ling
dkar bo)と呼ばれた。リン・カルボは上中下の三つに分かれた。*カルボは「白い」という意味の美称。梵天もカルボをつけて白い梵天と表現する。訳すときはたんにリン、リン国とする。
リン上部は広々として、風景が美しく、草原は緑が濃く、赤い花が点在し、色彩にあふれていた。リン中部は丘陵が起伏し、つねに霧に覆われ、天女が薄絹を被っているかのようだった。リン下部は凍った湖のように平坦で光を反射し、銀色に光っていた。
リン・カルボの前にも後ろにも険しい山が連なっていた。部落の天幕は星のごとく群がり、牛や羊も雲のごとく散らばっていた。リン・ガルポははてしなく広く、豊かで、美しいところだった。
リン国の総監ロンツァ・タゲン(Rong tsha Khra rgan)は上リンの「暁の蓮華」という小屋にいた。彼はインドの修行者クックリパの化身であり、リン国三十人の英雄の筆頭だった。リン国にはもともと三十人の首領がいたが、彼らはロンツァンを頭に推戴したのである。*総監ロンツァ・タゲンについては第3章の解説参照。
ある夜、ロンツァ・タゲンは早めに就寝したところ、いつになくすこやかに眠ることができた。
気持ちよく夜明けを迎えると、東のマギャル・ボムラ山(rMa rgyal sPom ra)の頂上に金色の太陽が出現した。太陽はチベットのすべてを明るく照らした。太陽が南中したとき、金でできた金剛杵があらわれた。と、金剛杵がリン国中央部の神山キギャル・タグリ山(sKyi
rgyal sTag ri)の頂上に降りてきた。太陽はなお天の高みにあったが、月が昇ってきた。この月は、ふだんと異なっていた。マンラン山の頂上にあり、星々に囲まれ、まわりの神山を照らしていた。
弟のセンロン王(Seng blon rgyal po)が白い絹の頂をつけ、緑の絹で縁取りをし、黄の絹の房を垂らした、金の柄の傘をもって天の果てからやってきた。彼は傘でもって、西はタジク国のバンフ山以東、東は中国のジャンティン山以西、南はインドのリマン以北、北はホルのユンチワン以南を覆って領土とした。
西南の方向に色鮮やかな雲があらわれた。その雲から、蓮華冠をかぶり、右手に金剛杵、左手に三叉戟をもち、赤い衣を羽織ったグル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)が、骨の装飾を頭に載せた女どもを引きつれ、白獅子に乗ってやってきた。彼は走りながら、ロンツァ・タゲンに向かって言った。
「総監よ、目覚めよ。ポタラカ山(補陀落山)から日は昇ろうとしている。もしリン国に日光が必要なら、私がこの歌を聞かせよう」と言うや、歌い始めた。
今日は丁(ひのと)酉(とり)の孟夏、
上弦の月の八日の明け方、
リンの国にまさに吉兆現れる。
長系(che rgyud)の高貴な鳳凰類、
中系(’bring rgyud)の知られる竜類、
幼系(chung rgyud)の鷹、獅子類、
斑紋様の虎類、
十三日に民衆は集う。
上は高貴なラマから
下は一般の人々まで
東が白くなるとき
マギャル寺廟に集まる。
月の十五日以前に
戦神に向かって祈りをささげる。
金木玉柏をもって
木造りの祭礼の小屋を十三建てよ。
戦神の旗を中央に
十三の吉祥旗を立てよ。
ノルブ(財神)の衣を目印にせよ。
十三の招福の儀礼を行なえ。
福を成す王の前
貴族ルンドゥプを首領とし
十三の舞踏をもって祝え。
富裕で運気のある婦人の前で
キャロ妃、ガ妃の前で
十三の歌をうたえ。
甘美なるたべものを中心に
十三のたべものでもって客をもてなせ。
チベットに吉兆があふれ
リンの国に福現れる。
宴催されるこの日
整然とおこなわれ、乱れてはいけない。
茶と酒のふるまわれるこの日
婦女やこどもはあらそってはいけない。
客が門にやってきたとき
おおらかに接しなければならない。
吉兆の訪れるこの日、
男たちは心を乱してはならない。
もしいい知らせを聞くことができたら
一生これ以上のことのない事件のことを聞いたら
吉祥を祝い、その実現を願え。
ロンツァ・タゲンはもっと詳しく聞きたかったが、グルと女たちは飄然と消え去ってしまった。太陽と月も消えた。叫んだが、その瞬間、それが夢であったことがわかった。
ロンツァ・タゲンは夢から覚めたあと、満足感が残っていた。頭もはっきりしていた。夢に見たものはあきらかだった。侍者のガダン・ダロクを大声で呼んだが、やさしい温和な口調ではなかった。ガダン・ダロクはあわてて総監の部屋にやってきた。ロンツァ・タゲンはすでに衣服を整え、靴もはいて、高座に坐っていた。
ガダン・ダロクは悶々とした気分だった。彼は毎日六字マニ真言を五万遍唱え、祝詞を二十一遍のべ、浄水を撒き、焼香をあげるといったことをおこなっていた。総監は起床し、さて今日はいったいどうかしたのだろうか。俗に言う、そびえる雪山の一部が崩れていると、それは獅子が食を探しに出ることを象徴していて、すべての獣は不安におののくと。また偉大な高峰が雲に覆われていると、大雨が降り、晴れることはないという。総監が高座から身を起こすと、侍者たちは不安に駆られた。
ガダン・ダロクが思い巡らす以前に総司令官が口をひらいた。
「よく聞け、おれは夢を見た。このような夢を見たなど三代の祖先から聞いたことがないし、三代の子孫からも聞くことがないだろう。青い空をすべて覆うのはむつかしく、大地をすべて容器に入れることもできない。黒髪のチベット人がこんな夢を見ていいものだろうか。この夢は結局どういう意味なのか。私は成就者、グル・タントン・ギャルポ(チベット人のあいだで高い人気を誇る天才的な聖僧)が夢に現れるのを願った。タントン・ギャルポがおいでくださるなんて、ありえるだろうか」
「ありえます。タントン・ギャルポが来てくださったのです」とガダン・ダロクはこたえた。
「ああ、タントン・ギャルポに願いが通じたのだ。さっそくギャルワ・ルンドゥプ(rGyal ba Lhun grub)とキャロ・トゥンパ・ギャルツェン(sKya lo ston pa rgyal mtshan)のふたりに書信を送らねばならぬ。さて、どうしよう、ともかくお茶をもってきてくれ」
ガダン・ダロクは厨房に入り、「福徳でおなかいっぱい」と書かれた壷のお茶を入れ、火の担当のソナム・ヤペを呼び、献茶歌を歌いつつ周囲をまわった。
この金でできた茶具は
リン上部のセルパ氏(gSer pa)八兄弟を象徴する。
なかのあふれるバターは
リン中部のオンブ('Om bu)六家族を象徴する。
火炎が暗闇を除き光明を放つのは
リン下部のムジャン(dMu spyang)四家族を象徴する。
第一のお茶は神仏に献ずる。
三宝の地位は天尊に匹敵する。
第二のお茶は神祇に献ずる。
吉祥安楽の名は四方にとどろく。
第三のお茶は竜王に献ずる。
豊かさは大雨に匹敵する。
第四のお茶は総監に献ずる。
四方の敵を征服する。
幸福に満ちたこの生において
縁起のいいこの首長において
願わくはその寿命、金剛岩のごとく堅固であれ。
願わくはその権勢、須弥山のごとく安定してあれ。
願わくはその福運、如意宝樹のごとく盛んであれ。
願わくはその運勢、大地のごとく平らであれ。
総監ロンツァ・タゲンは、この賛歌を聞いて心の底から喜んだ。あわただしく侍者のシェラブ・ギャツォを呼び、書信をギャルワ・ルンドゥプとキャロ・トゥンパに届けさせた。彼らにリン国に来てもらい、夢占いをしてもらうためだ。
同時に、雀の数ほどたくさんの使者をリン上部・セルパ氏八部落、リン中部・オムブ六部落、リン下部・ムジャン四部落のほか、ガ(sGa)部落、ドゥ(’Bru)部落、テンマ(’Dan ma)十二部落、白と黒の部落(dKar ruとNag ru)、タクロン(sTag rong)十八部落に送った。書信で、この月の十五日、雪山が金冠を戴いたとき、リン国で大集会が催されると通知した。
この通知はほとんどの人に届けられたが、成就者タントン・ギャルポにだけはまだ届いていなかった。
というのも彼は住所を持たない世捨て人だったからだ。彼は生涯定住せず、漂泊の旅をつづけた。タントン・ギャルポがいまどこにいるのか、どうやったら書信を届けられるのか、だれも知らなかった。
そんなふうにロンツァ・タゲンが悩んでいることをパドマサンバヴァが知った。そしてその仏光がタントン・ギャルポに射し、ことばとなって現れた。
「早くリン・カルポへ行くがいい。そこではたいへんなことが起ころうとしている。行ってリン国の人々を助けなさい。早く!」
タントン・ギャルポはパドマサンバヴァのことばを受けて即座にリン国に向かい、その月の十日、到着した。成就者は城門で歌を作り、歌った。
施主の総監、私のことばを聞け。
南瞻部洲に生を受けても、事はそう簡単ではない、
もし永遠安楽の仏法を修さないなら
宝の山を目前にして
得るところなく、空手で帰ってくるようなもの。
財を施そうとしない金持ちは
まるで悪鬼が倉庫を守るがごとき
活用する勇気がないのはあわれむべきこと。
もしお布施をしないなら
富も朽木のごとく腐るだけ
元気なく停滞するのみ。
お布施は福の道を探るためのもの
お布施は富のよい使い方、名も高めよう。
お布施は災いを防ぐのに必要なもの
だから常々お布施を怠ってはいけない。
われは四方をめぐる世捨て人
食べ物をお恵みくださればそれが結縁となる
あなたのために祈祷し、儀礼をおこないましょう。
吉祥神仏天に満ち
地位も上れと、吉祥円満を願う。
吉祥正法世間に満ち
権勢のばせよと、吉祥円満を願う。
吉祥諸僧天に満ち
福分増せよと、吉祥円満を願う。
献上しましょう、この喜びの歌
リンの国の吉祥円満を願いましょう。
憂いに沈んでいたロンツァ・タゲンはこのすばらしい歌を聞いて精神が奮い立った。金地に花模様の窓から外を見ると、長髪を肩まで垂らし、長い鬚をなびかせ、褐色のチョッキの上に青い修行用の縄をかけ、その上から白い袈裟をまとい、耳には法螺貝の飾りをつけ、手に藤杖を持った者がいた。ロンツァ・タゲンはよく見ることができなかったが、見た瞬間、崇拝する気持ちが芽生えた。このお方はタントン・ギャルポにちがいない。奇異なことではあるが、俗諺にいうとおりだろう。「福があれば道は平坦、勇気があれば刀も鋭利、縁があれば収穫も増える……」と。成就者を探しにどこへ行ったのかわからなかったが、菩薩が彼をリン国に導いたのだろう。とはいえ慎重な姿勢を崩さず、ロンツァ・タゲンは少し試してみようと考えた。
「修行者さん、ご苦労さまです。俗諺にも申しますように、もし自身が解脱できないなら、慈悲を他者に与えるのは困難です。小曲を歌うことのできるあなたは、どこから来たのでしょうか。何をお話なさるのでしょう」
ロンツァ・タゲンは考えをめぐらしながら歌った。
第一、耳飾りは白い法螺
第二、杖は白い藤杖
第三、身には白い袈裟
三つの白色が天から降ってきたかのよう。
第一、髪は青い色、
第二、鬚は青い糸のよう
第三、修行の縄は青い色
三つの青は竜宮から来たかのよう。
第一、皮膚は褐色
第二、チョッキは褐色に染め
第三、ドクロ杯は褐色
褐色のドン氏族の出身か。
総監ロンツァ・タゲンは修行者からの反応がないため、もう一度言った。
「修行者さん、あなたはどんな修行をなされたのでしょうか。どんな戒律でしょうか。衆生を教化するのにどんな智慧をお持ちでしょうか。妖魔を倒すのに秘訣はるのでしょうか。四方のつわものを打ち負かすことができたでしょうか。四方を屈服させ、名誉は得られたでしょうか。崇高なる道とはどんなものでしょうか。もしお答えいただければ、布施の食べ物を好きなだけ持っていってかまいません」
ロンツァ・タゲンはじろじろと観察したが、タントン・ギャルポは一言も発せず、表情も湖面のように変わらなかった。それでも質問攻めをやめなかったが、ついに口をひらいた。
「そなたはこの大きな国の権威ある司令官のようですな。こうやって試そうとして、しゃべりまくって問い詰める。俗諺にも言うじゃないですか。もし自分に鋼の刀がないなら、人に肉を切らせて食べるべきではない。もし自分にお金がないなら、人から利を取るべきではない。もし自分に学問がないなら、教義を人に押し付けるべきではない、と。人は私を成就者タントン・ギャルポと呼びます。それはわが見解の広場で、空性の修行をする王子だからです」
そう言って歌でつづけた。
オーム! 法身の姿を見たいと願う。
アー! 報身の清浄なる仏土を願う。
フーム! 化身の利生の成功を願う。
もしわれがだれか認識できないなら
わが見解の大楽広場で
倶生空から税収を得るだろう
五毒を鎮圧し
輪廻から弱小な衆生を救出する
これによって得たタントン・ギャルポの名声。
見解広大にして私に偏らず
多年の修行によって要領を得て
偽善と狡猾はまったくない。
司令官のそなたはあちこちでこの名を聞くはず
いかにしてタントン・ギャルポを知らずにいられようか。
施主よ、もし信仰心なく布施をするなら
修行者は食べ物をめぐって醜い争いをするだろう。
われはもともとこの地に来る必要はなかった。
ただグル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)の命を受け
総監と話し合いをしにきたのだ。
もし総監が私を信任しないなら
すなわちわれは去るとしよう。
歌い終わると、タントン・ギャルポは体の向きを変え、立ち去ろうとした。総監は千輪の蓮華の刺繍が入ったカタを差し出し、成就者の前に跪いた。たてつづけに三度叩頭し、懇願した。
「慈悲深い修行者、タントン・ギャルポさま、成道をとげたタントン・ギャルポさま、師の尊いお顔を識別できないとは、不遜なことばを投げつけたとは、なんと私はおろかな者でしょう。どうか衆生に慈悲の心をお与えください。この千輪の蓮華のカタをお取りください。どうかご寛恕のほどを」
タントン・ギャルポが黙しているので、ロンツァ・タゲンはつぎのように歌った。
太陽が招かれないなら
もし暖かい陽光が射さないなら
この世の四州に何の意味があろう。
雨が招かれないなら
もし田畑を湿らすことができないなら
四方から湧き上がる黒雲に何の意味があろう。
大師、すなわちあなたが招かれないなら
もしリンの国で教化が行われないなら
修行に何の意味があろう。
どうかリン・カルポに留まってください。
三年、衆生を教化してください。
私のあやまちはご寛恕のほどを。
衆生をあまねく済度してください。
必死に訴えるロンツァ・タゲンの様子を見て、タントン・ギャルポは衆生を教化する時期がやってきたのだと考えた。パドマサンバヴァが予言したとおり、三年にわたってリン国に滞在することになった。
⇒ つぎ
タントン・ギャルポ 像は二つともスピティで撮影
チベット中に鉄の橋を架けたことで知られる15世紀頃(1361?−1485)の密教僧、偉大な成就者。並外れた学識があり、天才肌の修行僧でもあった。アチェラモ(いわゆるチベット・オペラ)の作者とされ、マニパ(巡業芸能集団)からは祖師としてあがめられている。
こんなエピソードが伝わる。国中に疫病がはやったため、魔を静める儀礼を行うよう国王自身がタントン・ギャルポに依頼した。ところが地方から都にやってきて、王宮に着いたものの、正門で門番に追い払われてしまった。乞食と間違われたのである。タントン・ギャルポは高僧のイメージにそぐわない風狂僧だった。
「英雄ケサル王物語」に登場するタントン・ギャルポは、もちろん伝説化された聖僧である。*詳しくは「タントン・ギャルポ伝」へ
師君三尊(ケンロプ・チュースム mkhan slob chos gsum)と呼ばれるチベットの仏教画のもっともよく知られたモティーフのひとつ。上がパドマサンバヴァ、左下がシャーンタラクシタ、右下がチソンデツェン王。8世紀、この三者によってサムイェー寺が建立され、仏教がチベットに根付くことになった。