4 吟唱型 

 チベット語でドンドゥブ(’Don sgrung)のドンは吟唱するケサル詩人という意味である。ドンケン(’Don mkhan)ともいう。このタイプは一定の文化水準をもち、チベット文を読むこともできる。

彼らは流伝するケサル王物語の抄本や木刻本などを群衆に読んで聞かせた。新中国成立後、ケサル王物語の鉛印本が大量に世に出て、彼らが読んで聞かせるという機会も増大した。当然のことながら彼らは文字となったものを読むので、説唱の内容、筋立てはどれも一律だった。それでも群衆から歓迎され、彼らは曲調に工夫をこらすなどした。ケサルの伝統的な曲調を継承するという面以外にも、彼らは民間の歌の曲調を取り入れたりしたので、ケサルの曲調はより豊かになり、また系統化することになった。

 チャムド地方ジョンダー県のタルチンは出色の吟唱型ケサル詩人だった。彼は48種類もの曲調を歌うことができ、加えて声がとてもきれいで、物語を熟知していたので、現地では評価が非常に高かった。かつて四川人民テレビ局のためにその説唱を収録したことがあった。

 青海省玉樹(ジェクンド)は吟唱型のケサル詩人がたくさんいる地域である。チベット文の読める人は基本的にみなケサル王物語を吟唱できるといっても過言ではない。

この地方にはおよそ80種類の曲調が流布しているという。ケサル詩人ごとに主要人物それぞれの固定した曲調を持っていて、個性的なケサル王物語を作り上げた。くして民間芸能者として、高い質の音楽とすぐれた芸術性を表現するのである。

 現地の人がケサル詩人を評価するとき、その語られる物語が活き活きとしているかどうか以外に、曲調の種類と変化が多いかどうかも重要な基準となった。彼らが嫌うのは、どれもおなじように冗長で、陳腐な説唱法だった。

 カンゼ州デルゲの60歳のドルマ・ラツォは、現地でもっとも有名な吟唱型の女ケサル詩人だった。幼い頃からケサルの説唱を愛し、その声は透き通り、まろやかだった。彼女は貴族の家に生まれた。デルゲ王の大臣をつとめた父は、ケサル王物語をこよなく愛したという。彼は30巻以上の抄本や刻本を所蔵していた。普段から何人かの大臣が家に集まり、父が抄本を取り出して歌った。ドルマはその声を聞くうちに、いつのまにか自身がケサル王物語に夢中になっていた。

 現地の人々はつねに彼女の家を訪ねたり、あるいは自分の家に彼女を招き、彼女の説唱を聞いた。人々の要求に応じて彼女はケサル王物語をまとめた。彼女の声や曲調は有名になり、四川人民テレビ局でもその様子は放映された。それはインドの同胞の間でも評判になったほどだった。

 吟唱型のケサル詩人はカンゼ、玉樹のような交通が比較的発達していて、文化教育条件のいい地方に多く見られた。このタイプはなお増加傾向にあり、チベット文を理解する若者が吟唱型ケサル詩人になることはまれではなくなっているのだ。



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