チベットの英雄叙事詩
ケサル王物語
23
ケサルは泣く泣くアタラモと別れて出発し、彼女が示した道を進んだ。半日ほど行くと彼女が言った通り、象が寝そべっているような白い山があった。山の右側には黒蛇が坂を下っているように見える橋があった。その橋を渡ると、乳のような白い湖があった。この湖の水は人を喜ばせた。ケサルはこの水を飲み、愛馬にも飲ませた。それでも病み付きになったとは思えなかった。それから水に飛び込み、身体を洗い、気分がよくなった。
上機嫌のケサルはそのまま横になって昼寝をしようかと思ったが、アタラモの言葉が浮かび、雑念を取り払った。ケサルは先に進んだ。しばらく行くと、鬣(たてがみ)の生えた黒ブタのような山があった。山の左側には、もうひとつの湖があった。それは見る人を凍りつかせるような不気味な大きな黒い毒湖だった。しかしアタラモから話を聞いていたので、ケサルは恐怖を感じなかった。
その黒い湖から突如熊のように大きな黒犬が飛び出てきた。魔犬クックリツァである。魔犬は「おい、止まれ」と叫んだかと思うと、ケサルの面前に躍り出た。
魔犬の牙は飛び出て、血が滴り落ちていた。両前足の爪を地面にたて、いまにも襲いかからんかまえである。しかしケサルはニッコリと笑い、アタラモからもらった指輪を突きだした。
「クックリツァよ、止まれなどと言わないでくれ。私はアタラモの夫だ。この指輪を見ればわかるだろう。おまえは歓迎するどころか私にかみつこうとしている。魔王にそのことを報告せねばならぬな」
魔犬は指輪がまぶしすぎて目をあけることができなかった。ケサルがアタラモの夫というのは本当だろうか。アタラモのすごさを知っているということは、本当かもしれないな。ここは面倒を起こさないほうがよさそうだ。
「は、は、は。これは失礼つかまつりました。この老いぼれ犬をお許しくだされ。せっかくですから、湖で少し休んでいってはいかがかな」
「ありがとう。でも先を急いでいるので」、
と言ってケサルは指輪を引っ込めた。牛肉の塊を与えると、魔犬は喜び、肉に食らいつくと、そのまま黒い湖の方へ走っていき、飛び込んだ。
ケサルがさらに進むと、道がふたつに分かれていた。ひとつは白、もうひとつは黒の道だった。アタラモが言うには、白は生の道、黒は死の道である。ケサルは白の道を選び、先に進む。
しばらく行くと、花咲く石山に堅牢な赤い三角形の城がたっていた。城のてっぺんには5つの髑髏で作られた櫓(やぐら)があった。また死んだばかりの死体で幟(のぼり)を作っていた。城門には頭が3つの妖魔が待ち構えていた。ケサルを見ると、何も言わずに歌い始めた。
ひとり行く者、聞くがよい
おまえは魔界に足を踏み入れたのだ
魔国には3人の英雄がいる
3つ頭の妖魔ツェギェルとはわしのこと
5つ頭のチンゴンとは毒ある者
9つ頭の魔王とはルツェンさま
これら妖魔の注意を引かぬがいいぞ
魔国では武芸達者でなければ生きていけぬ
弓矢、矛、剣術
これらの武芸ができれば魔国で生きていけよう
できなければ、とっとと逃げるんだな
歌い終わったツェギェルはその6つの目をケサルに向けた。ケサルもまた妖魔のほうをにらんでいた。ツェギェルはその大胆さに驚いた。魔国へ行くということ自体無謀なことなのに、こちらを挑発するような目で見るとは!
魔国の英雄である3つ頭のツェギェルが脅しをかけてきたので、ケサルはやりかえそうと思った。
3つ頭の妖魔よ、聞くがよい
私はリン国からこの城にやってきた
リン国の4人の英雄がその名を轟かす
獅子として知られるのはわが父センロン
虎として知られるのは叔父の長官ダロン
熊として知られるのは英雄センダ・アトム
鷹として知られるのは総長官ロンツァ・タゲン
アタラモはわが伴侶
ツェン王ドルジェ・トクゴとはわが別名
遠きには弓矢を放ち、近きには刀を持って舞う
遠くも近くもない敵には長矛をふるう
武芸を磨かず魔国に来ようか
今宵はここで戦わねばならぬ
ケサルは歌いながらアタラモの指輪を取り出した。夕陽を浴びて指輪はいっそう輝きを増した。3つ頭の妖魔は5つの目を閉じ、ひとつの目でそれがアタラモの指輪に間違いないことを認識すると、態度をがらりと変え、ケサルを城内に導き、極上の茶やごちそうでもてなした。ケサルは出されたものを口にしなかった。疲れているので食べられないという口実を言って難を避けたのである。
3つ頭の妖魔はケサルの言葉を信じた。信じ切って自ら城の中にケサルを招き入れ、隣に寝たほどだった。夜半、ケサルは妖魔の草刈り鎌を取り、それで3つの頭をはねた。後ろを振り向かず、ケサルは馬に乗って城をあとにした。というのも、振り返ると妖魔が生き返るということをアタラモから聞いていたからである。
ケサルは第2の道の入り口にさしかかった。そこには五本指が立っているかのような山があった。山の横には広大な草原があり、5つ頭の妖魔が白と黒の羊の群れを放牧していた。見える限り、ここには色がなく。白色と黒色だけだった。山も湖も羊も白黒だったのである。
魔国のさまざまな妖魔は、人を見ると話しかけるよりも前に歌をうたった。この5つ頭の妖魔も歌い始めた。
ここは緑の海原がつづく大草原
われはルツェンのもとの魔の大臣
ガダ・チンゴンとはわれの名前
馬に乗った小童(こわっぱ)よ
おまえはどこからやってきた?
そしてどこへ行こうとしているのか
ケサルはこの対話方式にあわてて乗らないようにし、リズムよく答えた。
われは善良の種をまく者
われは邪悪の心の根から断つ者
われはリン国を治める者
われは魔王ルツェンの処刑人
われは黒鉄魔を溶かす溶鉱炉の火
われはホル国の山を焼く雷
われはジャン国の毒湖をあぶる炎
われはすべての病を治す丸薬
われは天上の甘露を吸い上げる月光
われは勇敢無敵の戦神
われは五毒を破壊する知恵ある者
われは衆生を導く如来仏
われは魔軍を砕く鉄槌
われはゴクモの愛する子
われはリン国を導く大将
獅子大王ケサルである
5つ頭のラジ・チンゴンはケサルの歌を聞いて警戒を強めた。彼はケサルと会うのははじめてだったが、その近隣に轟いていたその名は知っていた。ケサルは妖魔の目の敵とされていたが、自分がその相手となるにふさわしいかどうかはわからなかった。魔国では、5つ頭の武芸はルツェンより下とみなされていたのだ。
彼はケサルと力比べをしたいと考え、弓と相撲を競うことを提案すると、ケサルは快諾した。的として用意したのは五九四十五の標的だった。すなわち9匹の羊、9匹の山羊、9つの鎧(よろい)、9つの鍋、9つの鞍である。
ケサルは9万本の「よき友」の弓矢を取り出し、しずかに呪文を唱えた。そして弓を引き、放つと、天を覆うほどの激しい炎が起こった。矢は五九四十五の的を射抜くと、空中を旋回してすべてもとのケサルの矢筒に戻ってきて、納まった。
5つ頭のチンゴンはその光景を見てあきれるばかりだった。彼は長年生きてきたが、ここまで神業と呼びたくなるような弓術は見たことがなかった。自分の腕前を見せる気にはなれず、つぎの競技、相撲に移った。
ケサルは呪文を唱えて天神を呼び、力を得ると、羊のようなチンゴンを投げ飛ばし、膝頭で5つ頭の妖魔を押さえ、水晶刀を取り出して怒りをあらわに歌った。
力ある緑の鬣(たてがみ)の白獅子が
雪山の頂で勝利を得た
両翼を無力化したフクロウが
枯れ木の洞で敗れ、底に落ちた
まだら花紋の虎が
白檀の林で勝利を得た
針に似た皮膚をもつハリネズミが
凍った黒い水の中で敗れ、底に落ちた
神の変化英雄ケサルは
妖魔の地で勝利を得た
5つ頭の妖魔大臣は
敗れて泥沼の底に落ちた
「5つ頭の妖魔よ、聞くがいい。針は小さいといえども人を殺すことができる。私も小さいけれど、大きな妖魔を倒すことができるのだ。もし命が惜しいなら、私の言うことを聞け。もし少しでも聞かぬなら、命はないと思え」
チンゴンはそれを聞いて自分が助かる見込みがあることを喜び、ケサルの言葉を了承するとともに、身の上話を語った。
「私はもともとロン国に生まれたのですが、ルツェンによって拉致されました。ロン国の人の多くは拉致されて魔国に住まわされ、5つ頭の妖魔になるのです。このようなことももう終わらえたい。私はケサル大王さまについてリン国へ行き、普通の善良な国民として生きていきたいのです」
ケサルは老いた妖魔の語ることを本当だと信じ、感動し、命を助けることにした。そしてすぐに彼に9つの尖塔をもつ魔宮に行かせた。そこで魔王ルツェンやメサ妃が何をしているか様子をうかがわせるためだ。
チンゴンはケサルのために一頭の牛を殺し、百杯の酒を献上し、こう言った。
「大王さま、どうぞ肉を食べ、酒を飲み、皮をなめし、さらに骨を砕いて骨髄を食べてください。そうしたらすぐ出発します」
5つ頭の妖魔チンゴンは、ケサルに託された任務を帯びて魔宮にやってきた。魔王ルツェンと王妃メサ・ブムキはくつろいで坐っていた。チンゴンが入ってきたのを見ると、ルツェンは声をかけてきた。
「おお、わが大臣殿ではないか。いかがお過ごしかな? 白と黒の家畜は元気かな? 国内各地は平穏無事であろうかな? 敵の襲来はないだろうかな?」
「大王さま、ご報告申し上げます。国内はどこも平穏でございます。敵の来襲などはございません。大王さまのあたたかいご庇護のおかげで、臣民はみなつつがなく暮らしておりまする」
「大臣殿、さきほどから人間の匂いがするのだが、もしかしてお主がもってきたのではあるまいな?」
ルツェンはだてに魔王を名乗っているわけではなかった。チンゴンの体から強烈な人間臭を感じ取っていたのだ。
「まさかそんなことはありえないでしょう。大王さま、私は毎日羊を放牧しているのです。昨日も一匹の白い羊が病気になってしまいましたので、殺してしまいました。そのとき血がかかってしまったのです。たぶんその臭いがまだ残っているのでしょう」
チンゴンはルツェンが追及してきそうなので、あわてて言いつくろった。
「おお、そうかもしれんな」とルツェンはまだいくらか疑っていた。「大臣どの、そなたは遠くからやってきたのだ。どうかゆっくり休まれるといい。われは巡視に出なければならぬ。王妃よ、チンゴンをもてなしておあげ」
そう言うと、ルツェンは出ていった。
魔王が疑っていることはわかっていた。チンゴンは、魔王がいない今、王妃と話をするいい機会だと思った。
「王妃さま、昨日通りすがりのインド商人を見ました。彼はリン国を通って来たと申しておりました」
「あら、あなたは何をおっしゃっていますの?」メサ妃はチンゴンと話をしたくないようであったが、リン国から来たという一節には敏感に反応した。彼は心の中で、ほくそえんだ。ケサル王の妃はまだリン国のことが気になっているようだ。彼はじらすようにゆっくりとメサに語りかけた。
「インド商人の話では、リン国にはいま国王がいないということです。ケサル王が死んでから1年以上たつそうです」
「何ですって? 何とおっしゃいました?」メサはあわてて、自分の感情を押し殺すことができなかった。魔王ルツェンにさらわれてきて以来、メサは特別待遇を受けてきた。ほかの王妃はほったらかしにして、毎日ルツェンはメサのところにやってきて、ともに食べたり飲んだり、舞いや音楽を楽しんだのだ。メサはもっともおいしいものを食べることができたし、もっともきれいな衣を着ることができた。魔王はメサの言いなりになったのだ。右といえば右、左といえば左を向いた。
しかしメサがリン国のことに思いをはせるのは禁止した。リン国という文字も目に入らないようにした。メサは豪華な生活を送ることができたが、心の中では故郷のことを思わざるを得なかった。ケサル王のことを消し去ることはできなかった。ところが今日、チンゴンからケサル王がすでに死んだと伝えられたのである。
チンゴンはメサが取り乱しているのを察し、思いやりをこめて言った。
「わしも近頃耳が遠くてのう。聞き違いかもしれん。それにインド人商人が間違っているのかもしれん。まあともかくこの商人をこんど連れてきましょう。メサさまが直接商人に尋ねたらよろしいでしょう」
「そうしてください。くれぐれも魔王さまの耳には届かぬように」
「わかりました」と言ってチンゴンはうれしそうに出ていった。
チンゴンが戻ってきたとき、ケサルは牛肉を食べ終え、酒を飲み干し、皮をなめし終え、骨を砕いて骨髄を食べているところだった。チンゴンからメサのことを聞いたケサルは、手に持っていた骨を投げ捨て、立ち上がってメサのもとへ向かった。
チンゴンが立ち去ったあと、メサの心は乱れに乱れた。いつかケサル王が魔国に来て自分を救出してくれるに違いないと、ずっと思ってきた。今日はインド人商人にいろいろと聞いてみよう。もしケサルが本当に死んだのなら、もう生きていく気もしない。もしそれが間違いなら、5つ頭の妖魔がケサルを食べてしまうだろう。でもどうして彼はこんな話をしたのだろうか。
メサがこうしてあれこれと考えていると、チンゴンがケサルを連れてやってきた。チンゴンはわざと人に聞こえるような大きな声で言った。
「インドの商人さん、今日は王妃がいろいろと話を聞きたいそうです。どうか本当の話を聞かせてあげてください」
と言うと、チンゴンはお辞儀をして部屋から退出した。
メサはインド人商人をじっと見た。その顔は見覚えがあるような、ないような。いや、見覚えどころかよく知ったお顔!
ケサルもよくメサを見た。そのきれいな髪飾りでも彼女の憔悴ぶりを隠すことはできなかった。その美しい衣服でも、がりがりに痩せ細ったからだを覆い隠すことはできなかった。リン国にいた頃とくらべてどれだけ痩せてしまったのだろうか。
ケサルはゆっくりとインド人商人の上着を脱ぎ捨てた。そこに現れたのはケサル王の衣装である。メサもまた魔王の妃の衣装を脱ぎ捨てた。彼女が来ていたのは純白の薄絹の下着だけだった。ケサル王とメサ妃はしっかりと抱き合った。メサの目からは涙がこぼれ、ケサル王もまたとめどなく涙を流した。
突然メサはケサル王の腕をはらって離れ、大声で叫んだ。
「うそだわ! だましているんでしょ! あなたは魔王。私の愛を試そうとしているんだわ。ケサルは死んだのよ! 死んで一年以上もたつのよ! 私だってもう生きていたくなんかないわ!」
離れようとするメサの腕を取り、ケサルは彼女を胸元に引き寄せた。
「メサ、わが妃よ。どうしたというんだ。私がわからないのかい。おまえのために山をいくつも越え、川をいくつも渡ってきたんじゃないか。こんなに苦労してやっとここに来たというのに、魔王呼ばわりするなんてひどいじゃないか」
「あなたは本当に獅子大王なのね」
「まだ信じてくれないのか」
「いろいろと聞かないといけないわ」
メサはリン国のことについてこまかく質問し、ケサルがそのひとうひとつを正確に答えることによって、ようやく不動の確信を得るにいたった。眼前にいるのはケサル王そのひとにまちがいなかった。
「大王さま、私をここから連れ出してください」
「妃よ、そんなにあせってはいけない。魔王が戻ってきてからでも遅くはないのだ」
「でも……」とメサは逡巡した。ケサルが魔王と戦うことによって負傷してしまうこともあるかもしれないと恐れたのだ。メサはケサルを魔宮のなかに案内した。
「大王さま、見て。これがルツェンの寝床です。これがルツェンの飯碗です。これがルツェンの鉄弾、これがルツェンの鉄矢です」
ケサルは子供のように寝床の上で飛び跳ねた。また鉄碗を持ったり、鉄弾や鉄弓を手に取ったりした。メサは見かねて叫んだ。
「魔王を破るのはそんなに簡単なことじゃないわ!」
「まあ、魔王を倒したくないわけがないだろう。メサ王妃よ、おまえは降魔法を知っているはずだ。おまえの助けが必要だ」
「こうしましょう。私が魔王の母牛を殺すので、それを食べてください。あなたはそれで巨大化するのです」
メサはそう言って牛を殺し、煮込んだ。ケサルが一気にそれを食べると、瞬時に身体は高く、大きくなった。ケサルは寝床をかかげ、さらに重い鉄碗や鉄弾、鉄矢なども軽々と持ち上げた。
ケサルはチンゴンの城に戻り、翌日実行に移すことにした。その夜、魔王ルツェンにメサは言った。
「大王さま、私、悪い夢を見ました。夢の中で右側のおさげが切られてしまったのです。これは何か不吉なしるしなのでしょうか。大王さまにもしものことがあったら、どういたしましょう。昨日大臣のチンゴンが言っていましたが、リンのケサルが妖魔を倒すために北方へ向かったということです。いつこちらに来るのかわかりません。あなたの魂が宿る湖、魂が宿る木、魂が宿る牛が奪われないようご用心してください」
魔王はハ、ハ、と笑いながら、
「妃よ、心配することはない。わが倉庫にあるらい病の血を一碗注がなければ、魂の湖が干上がることもないさ。わが倉庫にある金の斧で3回切りつけなければ、魂の木が倒れることもないさ。わが倉庫にある玉の羽根がついた矢で射ぬかなければ、魂の牛が死ぬこともないさ。熟睡しているときに眉間で光る小魚がわしの命の根だからな。小魚がぴかぴか光っているときに矢で射ぬかれたらわしもおしまいだがな」
ルツェンはそう言ってから突然しゃべったことを後悔した。
「妃よ、いま言ったことはゆめゆめ漏らすなよ。わしの命に関わることだからな」
「承知しております」とメサは答えたが、内心ほくそえんでいた。夜明け方、メサは魔王を心配しているふうに装った。
「大王さま、万が一にもケサル王が来ている可能性がありますから、巡視されるのがよかろうかと存じます」
魔王はメサを信じ切っていた。そして実際ケサルが来ているかもしれないという不安もあったので、巡視に出かけることにした。
その間にケサルは魔宮にやってきた。メサから降魔法を聞いていたので、魔王の魂が宿る湖を干し、魂が宿る木を伐り、魂が宿る牛を射殺した。
ケサルはおなじことを三日つづけた。魔王の妖気は次第に弱まっていった。身体の上を這っていた鉄のサソリや手足の毒蛇も姿を消した。
魔王は昏睡状態に陥り、眉間の小魚が光り始めた。かまどの中に隠れていたケサルはガルダの羽根の矢を眉間の小魚に打ち込んだ。それでも妖気は完全には消えず、魔王はケサルに襲いかかってきた。
「わしにはおまえの匂いがわかっていた。おまえはわしの魂の湖を干上がらせおったな。おまえはわしの魂の木を伐りおったな。おまえはわしの魂の牛を殺しおったな。わしはもう生きていけぬが、おまえを道連れにしてやる」
ケサルは魔王ルツェンの取っ組み合いになった。ケサルの身があぶないと思ったメサはルツェンの足元に豆をまいた。そしてかまどの灰をケサルの足元にまいた。ケサルがまじないの言葉を唱えると、ルツェンは豆によって滑って地面にからだを叩きつけた。ケサルは赤い妖魔を倒す剣を出し、それでルツェンをまっぷたつにたたき切った。
あとでケサルはルツェンの死体を黒い塔の下に埋めた。そしてケサルは座禅をし、ルツェンの魂を浄土へ送った。このときケサルが魔国に来て3か月と9日たっていた。
またチンゴンを大臣に任命し、重用した。魔国にはこのあと2年と3か月滞在した。
⇒ つぎ
漫画版「北の魔王ルツェンとの戦い」
アタラモ(魔王の妹)の協力を得て、魔王ルツェンを倒した