チベットの英雄叙事詩 

ケサル王物語 

32  ホルの将軍シェンパ・メルツェ、リンの将軍として初参戦 

 

 黄ホル国を制圧したあと、ケサル王はタクツェ城を修復した。王宮は美しく、立派で、壮観だった。ケサル王は王妃たちと暮らしながら、国政を執り、民のためになる事業を施行した。人々は結束して苦難の生活を乗り切り、牧場や農地を切り開いた。ようやく安穏とした生活を手に入れ、平和と幸福の日々がやってきた。

 ある日、太陽が昇る前、獅子王は目を覚まし、王宮の屋上のバルコニーまで歩いて空を見上げた。すると突然空中から彩雲が現れた。彩雲には白法螺貝のように白い馬があり、馬上にはひとりの人物の姿があった。その頭上には黄色い傘が張られ、周囲には無数の天神や仙女が舞っていた。また彩雲からは五色の花の雨が降っていた。人々はいままで嗅いだことのないえもいわれぬ香りに包まれた。

 ケサルはその人物が自分の天上の父、梵天であることがわかった。ケサルは頭を低くして礼拝すると、琵琶のすきとおった音と銅鈴の軽やかな音が聞こえてきた。梵天は神の子に歌いかけた。

 

わが子トゥパ・ガワよ 

頭を上げて父王を見なさい 

父王の話をよく聞きなさい 

 

「わが子よ、おまえは緑の鬣(たてがみ)をもつ白獅子である。おまえは白檀の林の中のまだら模様の虎である。おまえは民衆に慕われる王である。おまえは魔王ルツェンを制圧した。ホル三王を滅ぼした。民衆はみな歓喜し、父王や天神もみな安堵し、喜んでいる。わが子よ、平和な日々がつづくことを願っているだろうが、剣や矛をもって、国を守らねばならぬ時が近づきつつある。リン国の東にジャンという大きな国があるのを知っているだろう。その国王サタムは民衆を残虐に殺すだけでなく、まさにいま兵を発してリン国の塩湖を奪い取ろうとしている。アロンコンソン塩湖をジャン国の手中に収めようとしているのだ」 

 ケサルはジャン国の軍隊が塩湖を奪いに来ると聞くと、剣を引いて身構えた。

「父なる王よ、あなたの息子はすぐに出発いたします。サタム王を討伐しましょう。アロンコンソン塩湖を守らねばなりません」

「わが子よ、そんなにあわてることはない。こんどの戦(いくさ)には降伏した将軍、シェンパ王メルツェに力を出してもらうのがよかろう。すぐに使者を送ってシェンパ・メルツェを招集するのだ。そして塩湖の湖畔へ行かせ、ユラ王子をとらえさせるといい。だがけっして王子を殺してはならぬぞ」

 そういい終わると、梵天は飄然と去っていった。

 ケサルは即座に行動を起こした。モンゴル人家臣ソクミ・パンディを呼ぶと、特使としてシェンパ・メルツェのもとへ送った。

 シェンパ・メルツェはリン国から使節がやってくることを知っていた。そこですぐ命令を下し、ホル13部落と120万戸から歓迎する人員をそろえさせた。美女をえりすぐり、花のごとく、玉のごとく飾り立て、茶や酒をすすめ、歌舞を披露させた。

 シェンパ・メルツェは自身をもっともよく飾り立てた。頭には赤狐の毛皮の帽子をかぶり、黒羊の毛皮の絹の上着を羽おり、日月の金銀の飾り玉がついた七色の帯を掛けた。炎の馬に乗り、彼はソクミ・パンディを歓迎した。この使者を見たとき、彼は3尺の長さの白いカタ(吉祥スカーフ)を献上し、歌い始めた。

 

罪人シェンパ・メルツェは 

王様が永遠にすこやかで安楽であることを願います 

王様は国民から災いを取り除きます 

王様は世界の大英雄であられます 

 

 ケサル王に挨拶したあと、メルツェはドゥクモら王妃、そして大英雄たちにおのおの挨拶をし、彼らの健康と長寿を祝った。そして使者にたいして言った。

「いまのホル国は、以前のホル国とはちがいます。ケサル王さまの治政になってからというもの、貧しい者は富む者に、老いた者は長寿者に、子供たちはより楽しく、娘たちはより美しく、ヤクや乳牛、ゾ(ヤクと牛の中間種)は天上の星々より多く、ヤギや綿羊、子羊は山に降った白い雪のように多くなりました。主のないラバの子は牧草より多く、主のない子馬は野生の馬より多く、主のない食べ物は山となり、主のない谷は花々に満ちるようになりました。乳は海のごとく、酒は湖のごとく増え、だれもが満たされました。夜になると家臣も民衆も踊り、昼間はだれもが歌い、たのしみました。このようなことはみなケサル王のおかげです。国王さまの健康と長寿を祝します」

 使者ソクミ・パンディはメルツェの言葉を聞いて非常に喜んだ。彼がここにやってきた理由を述べると、メルツェは言った。

「ケサル国王がおっしゃったことすべてをはたす所存です」

 そしてメルツェはごちそうで使者をもてなし、ケサル王に献上する贈り物を使者に渡した。ソクミ・パンディはリン国にもどっていった。

 シェンパ・メルツェは金の兜(かぶと)をかぶり、赤い鎧(よろい)を着て、ナツメのように赤い駿馬に乗って、ホルのもっとも高い山の頂に登り、香煙を焚いて神に祈りをささげた。青煙にしたがって左に3回まわり、そして右に3回まわり、うたった。

 

ホルの守護神よ、聞いてください 

十一、十二、十三の供え物を選びました 

供え物をホルの魔神にささげます 

 

上は白い帳(とばり)のような白雲 

それには清らかな水晶の門があり 

猛々しい白獅子の敷物の上に坐っているのは 

ホルの白い魔神です 

 

中間は黄色い帳(とばり)のような黄雲 

それにはきらきらと輝く金の門があり 

猛々しい虎皮の敷物の上に坐っているのは 

ホルの黄色い魔神です 

 

下は黒い帳(とばり)のような黒雲 

それにはどす黒い鋼(はがね)の門があり 

猛々しい九首の豚皮の敷物の上に坐っているのは 

ホルの黒い魔神です 

 

供え物を献上します 

ホルの守護神にささげます 

魔神よ、われを守りたまえ 

どこへ行こうともひるみません 

 

青天の太陽には強大な力があります 

白いフェルトのような白雪は役に立ちません 

われは白雪を溶かし 

獅子を手なずけて奴隷にします 

 

天上の雷には強大な力があります 

さまざまな岩山は役に立ちません 

われは岩を粉砕し 

大鵬を手なずけて奴隷にします 

 

真っ赤に燃える炎には強大な力があります 

やわらかい茅(かや)の草葉は役に立ちません 

われはそれを焼き尽くし 

野生の馬を手なずけて奴隷にします 

 

英雄シェンパ・メルツェは 

王子ユラを捕らえ 

サタム王を殺し 

魔物を手なずけて奴隷にします 

 

 歌い終わると、メルツェはケサルとリン国30人の英雄にそれぞれひとつずつの矢を手渡し、疾風のごとく塩湖のほうへと馬を走らせた。千里を超える遠くにあったが、七日間で塩湖に達した。



⇒ つぎ 









シェンパ・メルツェは死を覚悟してリン軍と戦ったが、敗北し、自分のとった行いを反省する。ケサル王もメルツェを評価し、降伏したホルを彼の指揮下に置くことに決めた。
 今回のジャンとの戦いにおいては、積極的に前面に出て活躍した。