チベットの英雄叙事詩 

ケサル王物語 

47  ケサル王、タジク王を殺し、タジク国征服。無尽の財宝を得る 

 

 羅刹肉城を攻めてトトンを救出したあと、ケサル王はいよいよタジクに侵攻する決心をした。そのとき突然ケサルの愛馬キャンゴ・ペルポが口を開いた。

 

雪山を乗り越えるとき 

歩く姿は獅子のように勇ましい 

岩山を突き進んでいくとき 

歩く姿は矢のようですこぶる速い 

天空を突っ切って進むとき 

ワシのような見事な飛びぶりである 

大海や四大河を進むとき 

腹の白い魚のような泳ぎぶりである 

破壊力ある無敵の刀が 

今朝その切れ味がどうであるかたしかめよ 

愛馬キャンゴ・ペルポが 

今朝脚の調子がどうかたしかめよ 

 

「獅子王さま、タジクに勝つためにはまず魔術師たちが作り出したものを除去する必要があります。さあわたしといっしょに行きましょう」

 キャンゴ・ペルポはそう言うと、ケサルを乗せてタジク城の外に飛んでいった。そこでケサルは体をふるわせてスズメに変身した。愛馬はカラスに変身した。スズメとカラスはともに飛んでいって呪術の赤い木箱に達すると、人も魔物も知らなううちにそれをくわえて飛び去った。

 タジクの国王と家臣たちは、火を作ることができ、人を殺すことのできる毒物でもある箱がなくなっていることに気づき、恐怖に打ちひしがれた。呪術師たちは現場を見て、呪術の箱がケサルに盗まれたことを理解した。リン国の大軍は境界まで迫っていた。呪術の防護壁を突破してタジク城まで押し寄せてくるのだろうか。もし押し寄せてきたとしても、タジク国王はあらたに呪術師に命じ、敵軍の戦意を喪失させようとするだろう。

 タジク王と家臣たちは、城の守備が堅固とはいえなかったうえ、城を守る呪術の防御壁もなくなっていたので、恐れおののいてガタガタふるえていた。ツェンラ・ドルジェも最大限用心を重ねていた。彼はリン軍と何度も戦い、少なからぬリン兵を殺し、少なからぬ兵馬や糧食を獲得していた。彼はタジク国の最大功労者だったが、そのぶん、リン国の兵士にとっては憎しみの対象だった。ダラ王子にとっても同様で、ツェンラ・ドルジェの殺害の誓いを立てたほどである。

 タジク国とリン国が一戦を交えたとき、ダラ王子はツェンラ・ドルジェをにらみつけた。一方ツェンラ・ドルジェはダラ王子にたいし、感慨深い思いをいだいていた。王子が自分を必死の目つきでにらめつけているのを見て、むしろ得意に思った。

 

四方を平定する獅子は 

雪山をわがものとし 

荒地を流浪することはない。 

緑の鬣(たてがみ)は颯爽として 

威厳を失うことはない。

 

山林をわがものとする猛虎は 

林の間を練り歩き 

落?して荒地を流浪することはない。 

笑窪(えくぼ)が血に染まろうとも 

谷間で野垂れ死にすることはない。

 

青天の白鳥は 

切り立った岩崖にもたれかかっていたとしても 

草地に落ちることはない。 

羽根を広げれば天空を飛翔し 

鳥の王として平地に落ちることはない。 

 

英雄ツェンラ・ドルジェは 

英雄として勝利を得るのであり 

国を失うことはありえない。

 

 ダラ王子はツェンラ・ドルジェが死に臨んでもたけり狂った歌をうあつのを見て、怒りがこみあげてきた。

 

雪山がどっしりとしているのも日没まで 

獅子の緑の鬣(たてがみ)もどうやって威風を示す? 

生い茂る林は火災にみまわれている 

猛虎の笑窪はひきつっている 

白鳥の羽根は崖にぶつかって折れてしまったのに 

どうやって威風を示す? 

おまえツェンラ・ドルジェの命はわが手中にある 

今夜その命は尽きようとしている 

それなのにどんな威風があるというのか 

 

 ツェンラ・ドルジェはダラ王子の話の中に死のにおいを感じ取り、むなしい気持ちになった。しかし英雄というのは、たとえ死に際でさえも、勇猛でなければならない。

「王子よ、いささかおしゃべりがすぎるぞ。今宵はあなたが射止められるのだ。もし崖を崩せないなら(王子を殺せないなら)、わしは屍(しかばね)も同然である。さあ、この矢を見よ!」

 ツェンラ・ドルジェが放った矢はダラ王子の胸に当たった。しかし矢は長寿衣にはねかえされ、下に落ちた。甲冑はキズひとつつかなかった。ダラ王子は大声で言った。

「ツェンラ・ドルジェよ、おまえに先に矢を射らせたが、こんどはわたしの番だ。この矢は飲血矢だ。矢尻には毒が仕込んである。いまのうちに逃げることをおすすめする。リンの英雄であるわたしが敵討ちをはたす時が来たようだ」

 ツェンラ・ドルジェが避けても、逃げても、ダラ王子が放った飲血矢が追ってきた。ついには一本の矢がツェンラ・ドルジェの胸の前に下がっていた護身鏡を破壊し、胸に突き刺さった。タジクの将軍は馬から落ちた。リンの英雄たちはこのまわりに集まり、だれかがツェンラ・ドルジェの首級を取って高く掲げ、それからみなで周辺に散った敗残兵を追った。

 タジク王は家臣の将軍や兵士たちが目の前でつぎつぎと殺され、怪我人が続出するのを見て、もはや挽回不可能であることを悟った。いまこの混乱時に逃げ出さずに、いつ逃げるというのだろう。セチニマ王は「善飛野牛」という名の名馬に乗って、群衆のなかから飛び出して逃亡をはかった。ケサル王はこの様子を見て、愛馬キャンゴ・ペルポに乗り、あとを追った。

 

大鵬が飛翔するところでは 

スズメは羽ばたいて威風を示すことができない 

野獣の王が爪と牙を見せるところでは 

犬は尾を振って威風を示すこともできない 

神馬が疾駆するところでは 

野牛が飛び跳ねて威風を示すことができない 

われ獅子王の神矢のもとでは 

タジク王は威風を示すことができない 

 

 ケサル王が間近に迫ってくるのを見て、今日は運命が尽きる日であることを悟った。しかしここまで来たら、開き直って全力で戦うのが男というものだ。

 

われはタジク王なり 

権勢は天より高く 

富は海より深く 

名誉は天にとどろき 

武芸は群雄を圧倒する 

手にある刀は「奪命刀」と呼ばれるほど鋭く 

またがる馬は「大鵬馬」と呼ばれるほど早く 

背負う矢は流星のごとき青竜矢である 

われはいかほどの敵の心臓を取ったことか 

われはいかほどの敵の血を飲んだことか 

ケサル王にたいしても 

われは手心を加えることはないぞ 

 

 そう言い終わると、タジク王は3本の矢をケサル王に向かって射た。3本の矢はすさまじい音をたてながらケサル王に命中したが、甲冑にはじかれ、羽毛のようにはらりと地面に落ちた。

 ケサルは埃をはらうように甲冑をはらい、心の中で満悦した。タジク王セチニマを征伐するときがやってきたようだ。彼はこれまでタジク王がリン国にたいしておこなったさまざまな悪行を思い出していた。

「タジク王よ、あなたの軍隊はタクロン部落で、血で血を洗うような殺戮をおこない、トトンの家の財宝を略奪した。オムブ部落の蓮華の花芯のような甥、アヌ・パセンはあなたたちの矢の犠牲になった。またドセら英雄と59人の勇士が殺された。無数の馬もとられた。われらチベットにはつぎのような言い回しがある。第一に、シラミによって衣服が掻きむしられる。第二に、馬の胸の帯が切れてしまう。第三に、悪事をおこなったことがすべてのわざわいのもととなってしまう。そして最後に、すべては因果応報である。つまり今日、あなたは死ぬことになる」

 そういうとケサルは手に神剣を持った。

 タジク王はその剣を見た瞬間に理解した。これは東方のマハー国の国王が6種の珍しい鉄と妖魔の死体のなかから取った6種の毒、紅花の6種の薬分から精製したものを用いて作った剣である。剣は尖っていて柔らかく、剣の腰は細いが長く、剣の柄は硬いがなめらかで、剣の切っ先は青く暗く、岩崖のような硬いものを切り、滔々と流れる水を切ることができた。

国王セチニマはこの剣がきらりと光るのを見た。それは輝く目のように赤く光り、また稲妻のごとく青く光った。おそれおののいたセチニマはひざまずき、手をあわせてケサル王に懇願した。

「偉大なる獅子王さま、六道を救う大師さま、以前のわたしは念仏を唱えることもありませんでした。大王さま、どうかお許しを。死後地獄に落とさないでください。すべての財宝を差し上げます。どうかわが魂を浄土へ送ってください」

 セチニマは財宝が隠された場所をひとつひとつ教えた。タマイロンの赤い岩の横には法螺貝の勝利宮殿があり、自ら鳴る緑玉門、如意宝貝、青真珠飾り、紫瑪瑙亀、黄瑪瑙犬、法螺貝の子羊、水晶の駿馬、緑玉の雌ヤク、鉄の雄ヤク、角の生えた青ヤクなどの宝物があった。

 ケサルは手に持った剣を振りかざし、タジク王の首を切った。王の甲冑や弓矢などは戦利品となった。タジク王の願いを思い起こし、ケサルは王の亡魂を浄土へ導いてあげた。同時に亡くなったすべての兵士の魂を浄土へ送ってあげた。

 富み栄え、財宝が山積みされ、数えきれないほどの牛や羊をもっていたタジク国がついに征服された。目的を達したケサル王は将軍や兵士を連れてリン国に戻った。


 その日、陽はさんさんと降りそそぎ、鳥は語り、花は香った。幕営の中央には、タジク国から持ってきた宝物が山のように積まれ、その周囲に人々は整然と並んだ。前には魔国軍、後ろにはモン国軍、左にジャン国軍、右にホル国軍の兵士という配置だった。

 ケサル王の幕舎は本拠地の陣営の中にあった。幕舎の頂には金の房旗が翻り、そこからびっしりと旗が並んだ。幕舎の内側に珍しい宝物が積まれたそのさまは、まさに荘厳華麗だった。世界獅子大王ケサルは黄金に輝く玉座に座っていた。ダラ王子は叔父であるケサルのかたわらの銀の座に座っていた。叔父や兄弟姉妹など近い親戚は、玉座の後方に座っていた。魔国、ホル国、ジャン国、モン国の将軍や大臣はその両側に陣取った。

 だれもが絹の衣を羽おり、七色の虹の衣や装飾品を身にまとっていた。全員が一同にそろった様子は、きらびやかで、色もあでやかだった。

玉座のケサル王は、ほかの人々と違って特別な存在に見えた。9つの金剛の房がついた頂の赤い帽子をかぶり、紫金の繻子の上衣を着て、胸には金赤の護身符をかけ、日月金剛靴をはき、まるで神仙が地上に降りたかのようでもあり、菩薩があらわれたかのようでもあった。ケサルは左右を眺め、それからうず高く積もった宝物を見た。喜びを隠さず、ケサル王は言った。

「衆生を導いた師よ、民の代表者よ、英雄丈夫(ますらお)の戦神よ、わたしは今日、六音六顫(せん)曲を歌おう。のちの世になっても、この曲を聞けば、魔物は取り除かれるであろう。われらはすでに四大妖魔を征服した。それというのも、降魔四大曲を歌ったからである」

 

悠々としてゆるやかなる武勇の調(しらべ) 

魔王ルツェンの額を射止めた曲(うた) 

三界の肉を食べ血を飲む調(しらべ) 

黄幕(クルセル)王の首に鞍を置く曲(うた) 

白いカッコウの遠い調(しらべ) 

サタム王の命を断つ曲(うた) 

猛虎霹靂の威光の調(しらべ) 

シンティ王の魔梯子を切る曲(うた) 

 

「四大魔王を征服したとはいえ、リン国の民がより安寧と幸福を得るためには、まだ多くの敵を倒さねばならぬ」とケサルは言った。

 

一に、(このたびの)タジクの財宝城 

二に、ソグポ(モンゴル)の馬城 

三に、アタクの瑪瑙(めのう)城 

四に、ジェリの珊瑚(さんご)城 

五に、トゥルクの甲冑城 

六に、ミヌプの絹城 

七に、ギャナ(中国)の茶城 

 

「世界財宝の木の種は、いま、リン国にある。世界の珍しい宝はわれらリン国のもとにあるのだ。臣下の者たちよ、財宝を分配せよ。富をみなで分けよ。これは天の御心である」とケサルは高らかに言った。

 


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