3 ストーリーの面白さ
「ぜひ見せたいものがある」
前夜、ケサル王物語の「ホル・リン戦争」を滔々と説唱した齢80のムハンマド・チョーは、村を出て、世界第二の高峰K2へとつづく谷間を歩き始めた。ここはパキスタン北部バルチスタン。住民のほぼ全員がイスラム教徒のこの地で、ケサル詩人であるムハンマドもまた敬虔なイスラム教徒である。とくにラマダンの時期に当ったので、彼は日に5度の礼拝を欠かさない。
足場が悪く、盲目の詩人にとって、目当ての岩を探すのは容易ではなかった。ようやくたどりついた岩には、白い粒のような不思議な模様が斜めに入っていた。地質学者ならうまく説明してくれるかもしれない。
「これがブルクモの乳じゃよ」
ブルクモ、つまりドゥクモは、ケサルが競馬で勝者となり、王位についたときに得た正妻の王妃である。つまり副賞の賞品だったのである。ケサルには12人の妃がいるが、ドゥクモは特別な存在だった。
リン国の王となったケサルは北方にある魔王ルツェンの国を攻める。ルツェンを制圧したケサルは美女アタラモを手に入れ、なんと10年もそこにとどまる。悪魔の血をひく美女の前では、英雄ケサル王もたんなるエロじじいである。いや、このときケサルはまだ15歳なので、色事を覚えたばかりのませたガキといったところか。
ともかく、10年も留守にした国王が戻ってきて、妻がいなくなっていても、文句を言う権利はないだろう。正妻ドゥクモは、ケサルのライバルである叔父の大臣トドンの手引きもあり、リン国に攻め入ったホルの国王に連れ去られていたのだ。
自業自得というほかないが、ケサルは敵国であるホルを攻めるのに口実ができたことを認識し、戦争を仕掛ける。ケサルは変身の術などあの手この手を使いながら、ホルの宮廷に入り、最終的にホル王を殺す。
しかし救出されたドゥクモは複雑な心境だった。ホル王との間に子供ができていたのだ。ホル王がたとえ悪魔だとしても、この赤ん坊は自分の子だ、とドゥクモは思った。
「この子の命だけは助けてください」とドゥクモは懇願した。
しかしケサルは非情にも赤ん坊を殺してしまう。悪魔の血は潰えさせないといけないのだ。
赤ん坊が殺されたことを感じ取ったドゥクモは、大きなショックを受ける。子供はもうこの世にいないというのに、乳腺が張り、乳が流れ出た。悲しくて、涙もとめどなく流れ出た。
ムハンマドによると、岩の白い模様はそのドゥクモの乳だという。
話を聞いていると、本当にそこで物語が起こっているかのように感じた。
「あれを見なさい」
とムハンマドは目が見えないはずなのに、遠くの岩壁を杖で指した。岩壁には赤い模様が浮き出ていた。それはドゥクモの花飾りだという。ドゥクモはなおも自分を飾って、ケサル王の気に入ろうとしたのだろうか。
学者はケサル王物語の舞台がどこなのか、リン国はどこにあったのか、論じてきた。しかしムハンマドにとってはどうでもいい話だった。なぜならここが舞台なのだから。
ケサル王がホル王とドゥクモの間にできた子供を殺したことについては、賛否両論があるだろう。腹違いの兄弟でさえ跡目争いのライバルになるのに、不貞の子となれば、殺したくもなるだろう。しかしそれが殺人罪に問われないのは、ホル王が人間とはみなされず、それが殺人ならぬ殺魔だからである。
「ホル・リン戦争」のこのくだりは、もっとも人気のある場面のひとつである。ここからもわかるように、ケサルは「英雄」と呼ばれながらも、弱点だらけである。戦いには最終的に勝利するものの、百戦百勝というわけでもない。魔女にうつつを抜かして妻を間男に寝取られるなんていうのも間抜けな亭主である。こういうケサルの人間的な側面も、チベットの民衆に愛されてきたのだ。
私の一押しは、ケサルがこの世を離れる前の、ケサル王物語最後の巻である「地獄救妻」と「地獄救母」である。それまでの戦いに明け暮れる物語とは、まったく色合いが異なるのだ。目連や地蔵の地獄救済故事の影響があきらかに見て取れる。
とはいえ、地獄救済をレパートリーに加えているケサル詩人はかならずしも多くない。かつてツェラン・ワンドゥに「なぜ地獄救済がないのですか」と聞いたことがある。
「それは平時に歌うと、病気になったり、死ぬことさえあるからです」
「じゃあ、いつなら大丈夫なのですか」
「死期が近づいていると悟ったときです」
彼の言葉を信じるなら、物語をやみくもに歌っていいわけではなく、その最適な時期というのもあるということなのだ。
死はすべての人に訪れる。愛妃アタラモは若くして病死する。アタラモは魔物の血をひいていて、多くの無辜の人間を死に追いやっていたので、地獄に堕ちてしまった。地獄の業火に煮やされるアタラモを、ケサルはパドマサンバヴァの助言にしたがって救出する。救出とは、魂を浄土へ送るということである。その際ケサルはアタラモの魂だけでなく、18億もの魂を救済するのだった。
多くの魂を救済するというモティーフは、目連故事にも見られるものだ。目連は母の魂を救ったとき、800万の魂を解き放った。
母ゴクモもまた地獄に堕ちていた。閻魔王が言うには、地獄に堕ちた原因はゴクモの不信心だけではなく、ケサル自身にあるという。ケサル王は魔物を殺しまくってきた。魔物だけでなく、実際一般人も多数殺した可能性がある。ケサルが母の魂を救うとき、じつは自分自身も救っていたのである。
私が思うに、地獄救済の場面もよく演唱されてきたのではなかろうか。地獄は、娯楽の少ない時代にあっては人気のある場面であり、「悪いことをしたら地獄におちるぞ」と教育的効果があり、また話を聞くだけで心を浄化することができると考えただろうからだ。
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