ケサル王の戦士の歌 ダグラス・J・ペニック (宮本神酒男訳)
序言 トゥルク・トンドゥプ・リンポチェ
本性としては、あなたはヴァジュラ・マンジュシュリー(金剛文殊)である。
顕現するものとしては、あなたは世界の神聖なる王である。
古代においてあなたは智慧の保持者パドマサンバヴァであった。
いまあなたはセンチェン・ノルブ・ダンドゥツェ(大獅子至宝制敵者)
すなわちケサルである。
将来あなたは(シャンバラ王の)
リクデン・ルドラチャクリンとなるであろう。
ミパム・ナムギェル
世界の舞台にはときおり精神的に、あるいは俗的に、信じがたいほどのパワーを持った巨人が現れ、秩序と調和をもたらす。およそ8世紀前、驚嘆すべき力を持った輝かしい、奇蹟的な男が東チベットの遊牧民の共同体のなかに生まれた。彼はその周辺の多くの地域を征服し、平和と仏法をもたらした。この男こそリンのケサルである。
ケサルは東チベットのザ谷のリンの家系に生まれた。父はリンのシンレン・ギェルポ(Singlen
Gyalpo)で、母はゴク(Gog)のラカル・ドンマ(Lhakar Dronma)、一般にゴクサ・ラモ(Gogza
Lhamo)あるいはゴクモ(Gogmo)として知られている。
シンレンはリン国の王であったが、おとなしくて弱々しい人間であったため、醜く、臆病だが、短気で下品かつ軽薄な弟のトドンにその地位を脅かされていた。シンレンの最初の妻の嫉妬もあり、トドンはゴクモと幼い息子をシンレンから遠くに離し、緑が多い高地に追放した。そのマ(rMa)谷はとても美しい丘陵地帯にあった。
ゴクモは息子にチョリという名をつけた。チョリは母と簡易で質素なテントに住んだ。身にまとうのは羊皮だけという貧しさだった。
彼は柳の棒(チャンカル・ベルガ lChang dKar Ber rGa)に乗り、特殊な能力を駆使して馬より速く飛ぶことができた。彼はまた、牧夫の石投げ器(アウル・ド Aur rDo)を用いたが、それは奇跡的なほど強力な武器となった。彼はいつも神聖なる力に守られ、神の導きがあった。
彼の勇気と輝かしい知恵、聖なる力、良心は友人に希望と喜びをもたらした。しかしリン国の玉座をめぐるライバルであるトドンとその仲間からは、疑惑と恐怖の目で見られていた。
ほどなくして、北方の野山で神秘的な馬、キャンゴ・カルカル(Kyang Go
Karkar)を見つけ、手に入れた。13歳(あるいは15歳)になったとき、有名なリン国の競馬で、すべての予想に反し、勝利を収めることができた。彼が得たのはリン国の王位であり、王妃となるセチャン・ドゥクモ(Sechang Dugmo)であり、豊かな財宝だった。ドゥクモはガ氏族のキャル・タムパ・ギャルツェン(Kyalo Thampa Gyaltsen)の娘だった。
彼は自らセンチェン・ノルブ・ダンドゥ(Sengchen Norbu Dradul)すなわち偉大なる獅子、如意宝珠、敵を征服する者と称した。若い国王はリン国の金の王座を確かなものとした。彼は戦士の甲冑をまとい、聖なる弓、矢、剣、槍、兜、それにおびただしい宝石に縁取られた盾を持った。
ケサルの地上における主な使命は、人々の平和を乱す敵を倒すことであり、仏法を広げ、保護することだった。ケサル指揮下のリンの軍は18の大きな戦争で勝ちつづけた。相手の多くは外国だったが、なかにはチベット域内の部族であることもあった。
それら18の国には(コンポの?)ルツェン・アキュン(Lutsen Akhyung)やホル(モンゴル)のクルカル王(Kurkar)の王国、ジャン・サタム(Jang Satham 雲南の麗江)の王国、モンのシンティ(Shingti)の王国、トゥグ(トルコ)の王国、ラダックの悪魔崇拝者のカンリ・シェルゾン(Kangri
Sheldzon)などが含まれた。
これらの戦争は敵の側だけでなく、リン国とその同盟国にも混乱をきたした。しかし同時に戦争は、多くの人に平和と喜び、ダルマ(仏法)ももたらしたのである。
リン・ケサルの物語のなかに言及されるムクポ・ドン氏族(Mugpo Dong)のリン・チューラ・ペン(Ling Cholha Phen)は、リンの祖先として知られる。
チューラ・ペンから37世代あとにチューペン・ナクポが現れる。このチューペン・ナクポの3人の息子、ラヤク・ダルカル(Lhayak Darkar)、チャンパル・ティギャル(Changpar
Trigyal)、ダギャル・ブンメ(Dragyal Bumme)から、リンのリーダーとなる3つの支族が生まれるのである。
それらは兄の家系(チェ・ギュ Ch’e brGyud)、中間の家系(ディン・ギュ ’Bring brGyud)、弟の家系(チュン・ギュ Ch’ung brGyud)と呼ばれる。
ブンメの息子はトクラ・ブム(Thoklha Bum)であり、その息子はチューラ・ブム(Cholha Bum)である。チューラには3人の息子があった。すなわちケサルの時代の最長老政治家だったアニ・ロンタ・タゲン(Amye Rongsta Tragen)、ケサルと腹違いの兄弟ギャサの父であるシンレン・ギャルポ(Singlen Gyalpo)、そしてマシ・プンポ・トドン(Mazhi
Ponpo Todong)である。
伝説的な戦士かつ司令官のリーダーシップのもと、ケサルは10万もの男女の戦士を育てた。リーダーにはつぎのような戦士がいた。
至上英雄7人(パヤン・ダクデンパイ・ミドゥン dPa’ Yang Dag lDan Pa’i Mi bDun)、30の戦士兄弟(プヌ・スムチュ Phu Nu Sum Chu)、80の英雄戦士(パトゥル・ギャチュ dPa’ Thul/brTul brGya Chu)、18の至上女戦士(ダンメン・チョギェ
Dvangs sMan bCho brGyad)である。*ダンメンは清浄なる薬という意味。
そのなかでもとくに知られている司令官は、ギャツァ・シェーカル(Gyatsa
Zhalkar)、ツァシャン・デンマ・チャンタ(Tsazhang Denma Changta)、シェンパ・メル(Shenpa Meru)、アニ・ナンチュン・ユタク(Amye
Nanchung Yutag)、パラ・ミチャン・カルポ(Palha Michang Karpo)、ダラ・ツェギェル(Dralha Tsegyal)、アタク・ラモ(Atag Lhamo)、ジャントゥク・ユラ・トギュル(Jangtrug Yulha Thogyur)である。
ケサルはグル・リンポチェ(パドマサンバヴァ、蓮華生)の化身である。その主な司令官たちも悟りを開き、世界に奉仕するために地上に現れたと信じられていた。ケサルはつねに純粋なビジョンのなかに、グル・リンポチェや多くの神格、ダーキニーから、直接教えや予言を受け取っていた。
彼はまた、ラン(Lang)氏族の偉大なる賢者アニ・チャンチュプ・デコル(Amye Changchup Drekhol)からも教えやメッセージを受け取っていた。
大乗仏教が信じるところによれば、その真の本性において、宇宙全体はひとつであり、平和や開放性、喜び、悟りと等価である。それが仏性であり、ブッダの本質である。
しかしながら悟りを開いていない者にとっては、この人生は軋轢と苦痛と動揺に満ちた悪夢である。というのも、自己と自己を苛むネガティブな感情とに分けることから生まれる、二元論的な観念の虜になっているからだ。
個々の存在や社会、時代に奉仕するために、悟りを開いた者の本性は、さまざまな形を取ってあらわれる。たとえば存在、教え、物事の本質などである。それらは平和や喜びのシンボルであり、源なのだ。それゆえいかなる人であれ、源であれ、平和や喜びから出ているのであれば(例としてケサルの誕生)それはブッダの顕現である。
ブッダは形、音、憤怒の表現や行為のなかにしばしば出現する。この怒りの表現や行為は、実際に怒っているわけではなく、執着から来るものでもなく、また、だれかを傷つけたり苦しみを与えたりするのでもない。
ケサルの数限りない戦争は、怒り、貪欲、混乱の表現ではない。むしろ人が必要とするものや本質的な真実に寄与するものである。それらはまた、戦争というかたちを取った、慈愛という行為を通し、悪に打ち勝つ正義、敵意にまさる平和、苦悩をしのぐ喜び、抑圧に対する自由をもたらすのだ。
リンの軍隊は多くの戦争を経て、戦士精神をフルに発揮し、神秘的な能力を用いて、何十万もの敵を殺し、財宝という財宝を根こそぎに奪った。しかし目標はあくまで苦悩と抑圧の源泉を断つことであり、富、平和、自由、仏法を等しく広げ、守ることである。
ケサルの時代、英雄のやり方や倫理に従って戦士は戦った。リンの英雄たちは敵対する者の前に立ち、戦争の歌(ドゥン・ル sGrung gLu)をうたった。そして燃え立つ毒矢や槍、剣、飛び石などを待ち構えた。
リンの真の英雄たちや敵の戦士たちは、より速く攻撃したり、逃走したりして戦った。彼らは鎧兜(よろいかぶと)を着て、あるいは神の助けを借りて、巧みに敵の武器をはらいのけた。そうでなければ自分たちが犠牲となっていただろう。もし生き残ったら、彼らは鬨(とき)の声をあげ、戦争の歌をうたうだろう。
リンの戦士たちはいつも、慈悲のブッダのマントラを唱え、あるいはグル・リンポチェやその他の神々を呼びながら、戦争の歌をうたいはじめた。それにつづいて戦士たちは自己を紹介し、戦争がおこなわれる場所を描く歌をうたった。それから戦争をおこなう理由、彼らがもつ武器の危険さ、敵の犯した罪、敵が直面する成り行きなどをうたった。そういったモノローグが終わって、はじめて武器を手に取ることができるのである。
リンの戦士には、命惜しさに逃げる者はほとんどいないが、トドンは例外である。トドンは何度も敵を挑発しては逃げ、そのあと敵に捕まるとリンの秘密をばらしてしまうのだった。
ケサルと司令官たちの戦争は、リンとその敵に平和と喜びをもたらしただけでなく、リンや敵の「落ちた英雄たち」にも救済を与えた。たとえば、リンのふたりの若い司令官、パウォ・ラトナ・ブムタル(Pawo Ratna Bumthar)とアグ・センゲ・ドゥク(Agod
Senge Drug)は、ソグ・リティ(Sog Litri 蒙古馬ゾン)の若い王子に挑み、戦えば、命を失うことになるかもしれないと考えた。しかし彼らはまた、王子とはカルマ上の深いつながりがあるため、もし自分たち戦闘中に死ぬようなことがあっても、彼らの意識は王子の心を歓喜あふれる天国、すなわち喜足天(ガンデン dGa’ lDan)へと導けるかもしれないと考えていた。ほかのリンの戦士たちも、彼ら自身が傷を負うことなしに王子を殺すことができたかもしれないが、それではだれの意識も解放することはできなかった。それゆえ彼らはおなじ場所で王子と喜んで戦い、死んでいくのだ。
ケサルの時代、リンのほとんどの氏族とそれに付随した人々は高原の上部にあるマ(rMa)、ザ(Dza)、ドゥ(Dru)の谷に住んでいた。そのまわりには、世界的な大河の源流があった。マチュ(rMa chu)、すなわち黄河、ザチュ(Dza chu)、すなわちヤールン川、ドゥチュ(Dru chu)、すなわち揚子江である。(*ザチュは瀾滄江、メコン川と名を変える。またドゥチュはディチュの間違い)
現在、これらの地域に分布するのは、ゴロク、リンツァンの遊牧部落であり、デルゲ、ガパ、ナンチェンの人々である。
チベット語でドゥン(sGrung)として知られるケサルの伝説はおびただしくある。それらはケサルの時代より数世紀あとに書かれた。ケサルと同時代に書かれたものはひとつも残っていない。
ドゥンの文学はリンの戦争をありありと、こまかいことまで描いている。戦争の歌は戦士のあいだで交換されたもっとも熱のこもった詩作である。それらは深遠な教えや予言を含んでいた。
ケサルは実在する人物である。そして彼の勝利は実際に起きたことなのだ。ケサルは物質世界に目印をたくさん残した。多くの相続される文物、(武具などの)人工物、歴史的貢献度の高いものなどである。
しかしケサルが実在しなかったと考える人々もいる。ゲンドゥン・チュンペ(1905−1951)もそのひとりだ。
雪獅子はどこにも存在しない。そのようにケサル王もしょせんは心に紡がれた現象であり、詩的創作物というわけである。
精神面、社会生活面におけるケサルの影響はチベットだけでなく、モンゴル、ブリヤート、カルムク、トゥヴァなどで現在も強く感じられる。カムやアムド、とくにゴロクの人々は、いまもドゥンパ(Dringpas)すなわちドゥンを歌う専門家が読み、歌う物語やケサルの戦争の歌を、何時間も聴いて楽しんでいるのだ。
人々はかがり火の傍らで、一晩中戦争の英雄的エピソードや魅惑的な詩(うた)に耳を傾ける。あたかもリンの戦士の家族の一員になったような気分になって。
チベットの民衆にとって、ケサルの叙事詩は、心の中の勇気を奮い立たせ、過去の偉大さの知識を呼び起こすインスピレーションの源泉でありつづけている。
しかし真剣に仏法を学んでいる者にとって、ケサルは、彼らが勉強をしたり瞑想をしたりするときの妨げになるものとして、拒絶するのが一般的である。
ドゥン(物語)のテクストの多くは心のテル(dGongs gTer)に分類される。理解のある心の本性のなかに隠されたメッセージが、叡智の力によって発見されたものが心のテルである。発見者のなかにはド・キェンツェ(Do Khyentse 1800-1866)やミパム・ナムギェル(Mipham
Namgyal 1846-1912)のような偉大なる成就者や大学者も含まれる。
しかしながらほとんどのドゥン・テクストは、20世紀のドゥンテル・ニマ・ランシャル(Drungter
Nyima Rangshar)のような才能に恵まれた人々によって書かれた神授型ドゥン(Babs sGrung)である。(*神授型と訳したが、もとは英語でvisionary。降臨型のほうが原語に近いかもしれない)
これらのドゥンの歌い手は、ケサル指揮下のリンの社会のメンバーとして、過去生から戦争のできごとの記憶を思い出すのである。
現在でさえ、ドゥンパ・ケルサン・タグパ(Drungpa Kelzang Tragpa)のようなドゥンの作者、ドゥンの歌手は、果てることのない、流れ出るようなケサル物語を思い起こし、語り、歌う特別な能力を持っている。それはあたかも語られるできごとが、目の前で起こっているかのようである。
また非常にたくさんの言葉と想像力の才能を持った人々がリンのケサルの生涯をフィクションとして書いてきた。このようにフィクションと事実を分けてケサルの生涯についての情報を提示するのは容易ではない。にもかかわらず、私は信頼のおける情報源をもとに重要な点にシフトしていきたい。
ケサルはダルマ(仏法)の守護者というだけではなかった。彼はまた何年も孤独に瞑想し、ダルマを、とくに心の本性について、弟子である大聴衆に教えた。マ谷のラルン・ユド(Lhalung Yudo)で彼は、叔父のアニ・ロンツァ・タゲン(Amye
Rongtsa Tragen)、大臣ツァシャン・デンマ(Tsazhang Denma)、その他数多くの人々にたいし、仏法の教えの歌をうたった。
われわれの迷妄世界の創造主はわれわれ自身の心である。しかし(その心において)はじめも、中間も、終わりもないのである。(心の)はじめの本性は、いかなる迷妄も記されず、原初の基礎(トクマイ・チシ Thog Ma’i sPyi gZhi)と呼ばれる。
そこから「私」において貪欲の観念が生じる。これは自己本人(ダクニ・チクプ bDag
Nyid gChig Pu)の無知と呼ばれる。
そこから「他者」としての知恵の5つの光に貪欲が生まれる。これは二分法(ランチク・キェーパ Lhan Chig sKyes Pa)の無知と呼ばれる。
そこから概念の思考と分析がはじまる。これは散漫な思考(クントゥ・トクパ Kun
Tu rTog Pa)の無知と呼ばれる。
そこから汚れと51の精神的事象とともに意識感覚が生まれる。
この時点に置いてあなたは惑わされ、3つのサムサーラ(輪廻)の領域に入る。
はじめに、われわれの心はどこからも来ない。ただ偶発的な条件によって突然はじまる。
中間に、われわれの心は安住する場所を持たない。ただ執着し、すがりつくことによってサムサーラのなかに身をとどめ置く。
終わりに、われわれの心に行くべき場所はない。
もしこの3点を認識することができたなら、われわれは解放されるのだ。
われわれは心に来るもの、心から行くものを把握することができない。ただカルマの流れの条件によって来るもの、行くものが現れる……。
レッテルばかり貼って、それに執着することは、自らを縄に縛り、自身を殺すようなものだ。そのようにわれわれの迷妄は、自分たち自身を縛り、脱出する機会もなく、あたらサムサーラのなかで死へ向かってさまようようなものだ。
もしこのことを、われわれの弱点を理解したなら、われわれ自身の心こそブッダであることが認識できるだろう。
すべての思考は水の上に描く絵にすぎず、それらを跡形もなく消し去ることができるだろう。そのあとに残るのは平静な状態を完成させることである。
インドには、(心の本性に関して)3つの教えがある。
大いなる中道、すなわちマディヤマカ(Madhyamaka 中観派)は、概念的な思考と分析を越えた見方を示す。これはわれわれの心の本性の基礎である。
大いなる印(しるし)、すなわちマハームドラー(Mahamudra)。それは一点(ワンポイント)瞑想の道と進歩や完全性の段階の緻密さを越えた単純性を示す。
サムサーラ(輪廻)とニルヴァーナ(涅槃)を少し理解したなら、非・瞑想の状態を完成させよ。これは(心の本性の)訓練の道である。
大いなる完成、マハーサンディ(Mahasandi ゾクパ・チェンポ Dzogpa Chenpo)は、自発的に、本来備わっているダルマカーヤ(Dharmakaya)、サムボーガカーヤ(Sambhogakaya)、ニルマナカーヤ(Nirmanakaya)としての意識の領域を完成させる。これは(心の本性の)果実の獲得である。*これは三身(trikaya)、すなわち法身、報身、応身である。
88歳になったケサルは、唯一生き残っている老戦士で司令官のツァシン・テンマ(Tsazhing
Drnma)と若い世代の王女戦士たち、それと愛するリンの家来たちをマ谷の宮殿センドゥク・タグツェ(Sengdrug Tagtse)に招集した。ダルマの教えを授けたあと、最後の出発の時が近づいていると宣言した。
翌日、4人のダーキニーに支えられ、光のショールに坐ったまま、ケサルは天空を昇っていき、それから消えていくのを多くの人が目撃した。ほかの人たちは、ケサルが融けて虹の身体となり、衣服を残して去っていくのを見た。彼は死すべき身体を残さなかったのである。
ミパムやほかの人々によると、ケサルは中央アジアの神秘的な隠された国、シャンバラの25代目リグデン王のルドラチャクリン(Rudrachakrin)として転生したという。それは2424年のことで、ルドラチャクリンは暗黒の勢力を征服し、地上に平和で歓喜あふれる新しい黄金時代の幕が開けたのである。