ケサル王 勇者の歌 ダグラス・J・ペニック (宮本神酒男訳)

 

第2章 

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 ケサルは母とともに長い年月を砂漠の中で過ごし、成長した。彼の身体は大地のように疲れを知らず、風のようなたゆまぬ強靭さがあった。彼は競いあう川の流れのように、しなやかで、つかみどころがなかった。彼の眼差しは太陽のようで、心は空のようだった。

彼は同じ日に生まれた奇跡の馬、キャンゴ・カルカルにまたがった。大平原を野生のギャロップで駆けるとき、彼らはひとつの存在になった。世のすべての現象に語りかけられると、彼は自分たちが神の遊び道具になったかのように感じた。

母は愛情と誇りをもって息子を育て、彼が成長するのを見てきた。ときおり彼は馬に乗って競争をしたがった。それは彼が突然、ひとつの軍隊や大きな隊商、あるいは巨大な鷲や一閃(ひとひら)の稲光に変身したかのようだった。

そして夜になると、母と子はしずかに火のそばに坐るのだが、いつのまにか息子の姿が消えていることがあった。彼がいた場所には、山があったり、小さな蛇がいたり、年老いた隠者がいたり、ネズミや虎がいたりした。

 このように謎めいたことばかりが起こった。ともかく母は根っこや野生の穀物、野いちごを集めたり、囲炉裏を整えたりしながら、充実した暮らしをして、微笑みの絶えない生活を送ることができた。

 ある朝、テントのなかで目覚めたケサルは、東の空に、自発的なブッダの活動の具現化した蓮華生、パドマサンバヴァが坐っているのを見た。

ケサルよ、リンの獅子王よ、目覚めよ。いま、おまえはひとりの男である。平和な夢のような人生は終止符が打たれたのだ。わたしはブッダの教えを雪の国にもたらし、尋常ではない瞑想の教えを人々に授けてきたので、人は心が生み出した奴隷状態から解放されたのである。

 人間界のもとからある美徳の道を歩む方法を教えたのも、四つの威厳の道をあきらかにしたのも、おまえのためである。天と地、人の道を歩め。そして目覚めの王国、真の善性と純粋な威厳の死のない世界をこの世にもたらすのだ。そしてリンの王ケサルについて語る者がいるかぎり、すべての者は、男も女もこの世の生が気づきと思いやりと不可分であることを知るだろう。彼らはこの確信をいつまでも持ち続けるだろう。

 人の心を惑わし、体に巣食う魔神を鎮めるために、おまえはこの腐敗した世界に思い切って飛び込まなければならない。原初の智慧の純粋なる存在に導かれて、おまえは世俗的な手法を用いることになるだろう。おまえの純粋な心は、ひたむきにまっすぐに飛ぶ矢のごとくに、この世界を直線的に突き抜けて飛ぶだろう。しかし惑わされた普通の人の目から見ると、おまえの行いはよこしまで、奇妙なものに映るだろう。彼らの目に悪知恵、欺瞞、魅惑、欲望、残酷さ、混乱、殺戮に見えるものが、おまえの手になかにあっては、解放のための魔法の武器なのである。おまえは真の戦士の道を示すことになるだろう。

 おまえはけっしておまえ自身と周囲の環境とのかすかな境界を見つけることができないだろうから、おまえは心臓から生命体に入ることになる。このようにおまえは好きなように、善性を生み出すものに形を変えることができる。おまえは真の王の道を示すことになるだろう。

 いまこそ行動すべき時である。いまこそ世界に入るべき時である。おまえの父親であると多くの人がみなすであろうリンの国王、シンレンが修行生活に身を捧げるため、故郷を去ろうとしている。彼の打算的な兄弟、トドンは、肉片を見つめる犬のように、物欲しげに玉座を見ている。いまこそおまえの王国を建てるいい機会である。いまこそ国王になる時である。

 そしておまえの王国が確固としたものとなり、四方の魔王が無慈悲な統治をやめたなら、マギェル・ポムラの水晶洞窟に隠された聖なる武器を手に入れるがいい。おまえひとりが封印を解き、扉を開くことができるだろう。いまこそそうすべき時である。

 もしおまえの王国が健全なものであるなら、心の苦悩を克服するブッダの経典(スートラ)の教えと、身体の問題に安らぎを与える薬という宝を得ることができるだろう。自分たちが永遠の命を得るために大いなる力を獲得したティールティカ(外道)によって、宝は守られている。

 いまこそそれらを彼らに与える時である。それらのことは、魔王の国が征服される前にされるべきであった。そして戦士の道の智慧が取り戻されるべきである。

 いまおまえはすべきことにたいして注意を払わなければならないので、いまこそ遅れなしに行動すべきである

 そう言いながら偉大なるグルは、輝く光の橋の上で立ち上がり、天空に消えていった。おなじ朝、ケサルと母はリンへ向けて出発した。