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まさにおなじ日、たくさんの不吉なしるしがティルティカの要塞にあらわれた。祭壇上の聖水を湛(たた)えた黄金の水瓶の首から、血がしみだしてきたのだ。また突風が吹いてきて、聖所の前に掛けられた人間の皮膚でできたカーテンがズタズタに切られた。そしてお茶をいれる大鍋の底が粉砕した。
ルンジャク・ナクポの娘、パドマ・チューツォは夢を見た。夢の中では、要塞が燃えて灰燼に帰し、なかにいた人全員が殺され、燃えさしと乾いた血糊だけが残った。野獣は小石にこびりついた血糊をなめていた。
ティルティカの人々の心に漠然とした不安が忍び込んできた。そしてルンジャク・ナクポは、占いを見て、武器を準備し、祈りの魔法の力で対処をしていく決心をした。
彼は心をからっぽにする悪癖があり、そのためにティルティカの人々の前に現れたケサルを神の使者と勘違いしてしまった。ケサルは、鳥の大王のところへ行こうとしている宝石で飾った絹の衣を着た、見目麗しい輝く8歳の子どもに化けた。
「あなたがたの恐怖には根拠がありません」と子供はみなに言った。「これらの不吉な予兆は、敵に勝利するという前兆なのです。敵の身体の皮膚と肉体の血はあなたがたの祭壇を飾るでしょう。敵はだれからも援助が得られないので、彼らの強みも失われ、最後には土に帰することになるでしょう」
ティルティカの人々はこれを聞いてほっとし、警戒をゆるめてしまうことになった。
数日後、ケサルはふたたびティルティカの人々の前に現れた。今回は彼らの神の賢明で威厳のある大臣として。彼は銅の甲冑をまとい、人間の肌の衣を着て盛装し、9首の象に乗ってやってきた。彼はしばらくするとチベットから来た兵士らの攻撃を受けるだろうと予言した。
しかしもし薬を梱包した俵を要塞の四方向の壁に置き、すべての門を閉めたら、ティルティカは勝利を得るだろうと述べた。奇妙な戦略だと感じた者もいたが、神の命令だと信じ切っていたので、異を唱える者はいなかった。
最終的に、ケサルはパドマ・チューツォの部屋のなかで自分の本当の姿をあらわした。彼女ははじめ警戒心を解かなかったが、ケサルの心地よい音楽的な声によって気が楽になった。
恐れないで、いとしい友よ
残酷で人を惑わせる
異質の暗闇のなかに生まれたとはいえ
あなたは過ちを犯した人々にたいしても親切な心を見せました
じつにあなたの慈愛の芳香だけが
虐殺のひどい臭いを追い払うのです
じつにあなたの勇気のきめこまやかさだけは
恐怖と自己関心の虚勢ではないのです
じつにあなたの明快なやさしさだけが
血の犠牲のなかで光を与えるのです
あなたの種族の真の、当然の運命を知って
あなたはなおやさしさで祝福しようとします
おお、王女よ
あなたはほんとうの戦士です
母方のダラ戦神の冠の宝石です
あなたの尊いお顔を見るだけでわが心は溶けてしまいます
あなたの長い忍耐に比べれば
どんな戦士も卑しく思えてくるほどです
あなたの苦しみの戦いの時間は
いまようやく終わりを迎えました
あすあなたをシニンの水晶洞窟にお連れしましょう
そこであなたは長年望んできた瞑想修行をおこなうことができます
あなたはブッダの道のすみきった湖の上に咲く
優美な蓮の花です
あすあなたを心の家へお連れしましょう
パドマ・チューツォは差し迫った父の死を嘆いたが、ケサルの言葉を聞いたとき、長い旅を終えて、自分の家が見えたときのように、重い荷が下ろされたように感じた。
さて、彼女の目の前でキャンゴ・カルカルは魔術的に小さな水晶のドルジェに変身した。それはケサルが「時が来たら、このドルジェがあなたを私のところに運んできてくれます」と彼女に教えていたものだった。そしてこの言葉を告げると、ケサルはどこかへ消えてしまった。