ヘカテー、境界の儀礼
ソリタ・デステ デイヴィッド・ランキン 宮本訳
三相の女神
古代世界におけるもっとも重要な神の一つ、女神ヘカテーが歴史に登場したのは、はるか数千年前のことだ。遠くない過去から順にさかのぼれば、まずルネサンス期に彼女を探し当てることができる。さらにビザンチン帝国、ローマ帝国、ヘレニズム文化の頃、ギリシアの古典時代、ギリシアの共和制の頃へとさかのぼっていって、ギリシアの暗黒時代、さらにはその向こうへとつづいていく。ヘカテーは少なくとも三千年、われらとともに歩んできた。
彼女はすべての境界や人生の変移の瞬間に存在する識閾(しきいき)の女神である。彼女はまた与えられた数多くの称号で描かれるように、厄払いの(邪悪なるものを避ける)保護者であり、ガイドである。ヘカテーの三つの形象は三界、すなわち天界、海、大地にパワーが及んでいることを示している。彼女の根本的な性質は、多くの動物の頭で表現される。それぞれの頭は多様性に富む性格の異なる性質を強調している。
ヘカテーは古代世界を通じて密儀のイニシエーション儀礼とかかわりがあった。それには有名なエレウシスの密儀が含まれている。またシシリア島のセリヌスのほか、サモトラキ島やアイゴス島、エギナ島などでも密儀は行われていた。
ヘカテーは数知れない別称を持っていた。それらは何千年にもわたるヘカテー崇拝の歴史の中で、彼女の役割や性質を表してきたのである。よく知られる称号にはつぎのようなものがある。
クトニオス (地上の者)
ダドウコス (松明を持つ者)
エノディア (いくつもの道の)
クレイドウコス (鍵を持つ者)
コウロトロフォス (子供の世話をする者)
フォスフォルス (光を持つ者)
プロポロス (同伴者)
プロピュライア (門の前)
ソテイラ (救済者)
トリフォルミス (三つの体を持つ者)
トリオディティス (三相の)
現在のトルコのカリア地方ラギナ市に大きなヘカテー神殿が残っている。毎年このラギナでクレイドス・アゴゲ(鍵の行列)と呼ばれる儀式が開かれている。『ヘカテー・ソテイラ』の著者セーラ・イルス・ジョンストンによれば、門を守護するプロピュライラとしてこの儀式はヘカテーとつながっているのである。付け加えて、この儀式の名前が彼女の称号クレイドウコスを思い出させる。というのも彼女は地下世界への鍵を持っていて、エリュシオンの草原として知られる楽園へ誰が行くべきか決めるのである。この流れの中で彼女は死者の魂の旅の終わりを見渡せることになる。ヘカテーへのオルフェウスの賛歌はついには「全世界の鍵を持つ女主人」と呼ぶようになる。
ラギナ市において彼女が重要な地位を占めているということは、フリギアにおいての女神シュベールと同様、あるいは初期シュメール文明の諸都市においてのイナンナと同様、市の守護神的な女神の役を果たしていることを示している。
紀元前5世紀までにヘカテーはラギナの北西50マイル(80キロ)のそこにはヘカテー信仰が百年前に確立されていたミレトス市の門の前に神殿を持っていた。やはりラギナに近いアフロディシアスで、彼女の崇拝は同様に紀元前5世紀までに確立されていた。彼女は門の守護神として相当の大衆人気を得ていたので、ローマ・ギリシア時代の歴史家プルタークは1世紀に将軍が互いに軍の戦勝記念碑を市の門の上に置いたとして、責め合ったという物語を記録している。彼はかわりにヘカテーの像を建てたほうがよかったと述べている。
プロピュライラ(門の前の者)として彼女は邪悪を避け、内なる者たちを守る厄介払いの守護神だった。この役割の中で彼女への祠は都市、神殿、他の神々の聖域だけでなく、人々の家の入口にも建てられた。家を保護するために表玄関の外側によく設置された小さな祠は、ヘカタイオンと呼ばれる。
(つづく)