ヒンドゥー教のターラー デーヴィッド・キンズリー 宮本神酒男編訳

ヴァシシュタとマハーチナ・ターラー 

 ターラーははじめインド仏教において重要な神格となり、チベットにもたらされたあと中心的な位置を占めるようになったと思われる。ヒンドゥー教においては、チベット仏教におけるほどの輝かしい存在ではなかった。おそらくタントラ仏教の影響を受けて、ヒンドゥー教の神格のひとつとなったのである。

ターラーを信奉する仏教徒の影響はヒンドゥー教の文献に随所に見られる。たとえばヒンドゥー教のターラーは、アクショービヤの髪型を保持している。アクショービヤとは「かき乱されない者」という意味であり、シヴァの別名だが、ブッダの名前でもあるのだ。ヒンドゥー経典の「ルドラヤーマラ」や「ブラフマヤーマラ」では、さらに、ターラーはしばしばプラジュニャーパーラミター(智慧の成就、すなわち般若波羅蜜)と呼ばれている。これはあきらかに仏教風の名称である。

 ターラーが初期の仏教徒と関係している確固たる証拠となるのは、賢者ヴァシシュタがターラーを信仰する試みに焦点を当てた神話の存在である。

ヴァシシュタは1万年のあいだ禁欲生活を送ってきたが、何の成果も得られなかった。彼はブラフマー神のところに行き、自分を助けてくれる強力なマントラを欲しがった。するとブラフマーは、彼にターラーがどれだけすばらしいか語った。ターラーの力を通じて彼は世界を創造し、ヴィシュヌがそれを維持し、シヴァが破壊した、と彼は言った。ターラーは数百万の太陽より輝いていた。ターラーはすべての光の源であり、ヴェーダをあきらかにしたのもターラーだった。

ブラフマーはそれからヴァシシュタに、成功のためにターラーのマントラを唱えるようにと言った。ヴァシシュタはアッサムの有名な女神の寺院、カーマーキヤーに参拝し、ターラーを信仰した。

そのあと千年たったが、彼は依然として成功を得ていなかった。この時点でついに賢者は怒り、その冷淡さゆえターラーに呪いをかけようとした。すると大地全体が恐怖に震え、神々さえもが取り乱した。その瞬間、ヴァシシュタの前にターラーが姿を現した。

ターラーは彼に、あなたは時間を浪費しています、なぜならあなたは私のことを理解していないだけでなく、どのように私を信仰すればいいかを知らないからです、と言った。ターラーはまた、私がチーナ・ターラーの姿のときどのように見えるかをあなたは知らない、だからヨーガや禁欲生活によって私をなだめることはできないのです、と語った。

「ブッダの姿をしたヴィシュヌだけが、信仰されるときの私の姿を知っているのです」とターラーは言った。「そしてこの信仰の仕方を知るために、あなたは中国へ行かなければなりません」と言うと、ターラーは姿を消した。

 ヴァシシュタは何をすべきか考えるためにチベットへ行った。ヒマラヤ山脈の近くで多くの美しい少女に囲まれ、葡萄酒に酩酊しているブッダの幻影を見た。彼らはみな裸で、酒を飲みながらどんちゃん騒ぎをしていたので、ヴァシシュタは衝撃を受けた。彼らから浮かれ騒ぎに加わるよう招かれたが、拒んだ。すると空から声が聞こえてきた。

「これがターラーを信仰する最善の方法である。もしおまえがただちに成功を収めたいなら、このようしかたでターラーを信仰しなければならない」

 ヴァシシュタはブッダの姿をしたヴィシュヌに帰依し、このようなやりかたで訓戒を与えてくれるようにと願った。ブッダは彼にクラ・マールガ、すなわちタントラ式のサーダナー(精神的鍛練)をお示しになり、これが秘密であることを肝に銘じさせた。この方法の中核となるのは5つの禁じられたことの儀礼だった。この儀礼、この方法によって、人は善悪のさなかにありながらも、それらから離れ、生きていくことができるとブッダは語った。この方法では、旧式の類の儀礼は必要とされなかった。信仰は精神的なものであって、物質的なものではなかった。つねに物事は幸先の良いものであり、ようないものは何もなかった。純粋と不純のあいだに違いはなかった。食べたり飲んだりするとき、禁じられるものはなかった。信仰はいついかなるときでもすることができた。女性にたいして敬意を払い、その態度は洗練されるべきだった。女性にたいして崇拝といえるほどの気持ちを持つべきである。

 ブッダからこれらの知識を受け取ったヴァシシュタは、5つの禁止されたことの儀礼をおこない、とても力強いサーダカ(宗教的熟達者)になった。彼はターラープルへ行き、新しい精神的な方法を実践した。この場所はベンガルのビルブム地方にあり、ターラーピートという名で知られている。そしてここは有名な熟達者バーマーケーパ(18431911)がサーダナーをおこなった場所でもあった。そこは墓場(火葬地)に近かった。

 この神話はいくつかの重要なポイントを明らかにしている。第一に、適切なターラー信仰はブッダ信仰とつながっている。このブッダはヴィシュヌの化身のひとつとして理解されている。つまりこの神話はターラー信仰が仏教から来たことを暗示しているのだ。

第二に、信仰の仕方がタントラ的であり、5つの禁止されたことの儀礼をおこなうなど左道的である。

第三に、ヴァシシュタはターラーの真の形と信仰を探しに北へ向かっているが、それはチベットの影響を示唆している。

第四に、神話はアッサムのカーマーキヤーとベンガルのターラーピートが重要であると述べているが、それはヒンドゥー教のターラー信仰が東へ行くほど強く、おそらく東インドが中心地であることを示している。